爪作家・つめをぬるひと。その名の通り、爪を塗ってきた彼女だが、彼女が生み出す「爪」は、いわゆるネイルとはどこか違う。爪を塗る行為そのものに魅了され、気づけば活動10周年を目前に控える今、改めて「爪を塗ること」について考えてみる。第一回は「爪が秘める可能性とその魅力」。

爪は塗った後が楽しい

私は「つめをぬるひと」という名前で活動して、2024年で10年になる。

普段はつけ爪を制作し、委託店舗へ納品したり、イベントで来場者に爪を塗ったりしながら、音楽と爪、映画と爪、といったように、爪以外のジャンルとの関わりを持たせた企画をしたり、記事を書いたりしている。

今の時点で既に「爪」という字を書き過ぎている。

これまでも私は多くの文章や取引先とのメールに「爪」という字を書いてきた。

この連載では、10年の活動を振り返りながら、私が基盤として選んだものがなぜ「爪」だったのかについて考えていく。今回は爪の可能性や魅力についての話。

爪は、塗って終わりではない。どちらかというと、その後が楽しい。

塗った後に、いつもと同じ日常を生きるなかで、視界に爪が入るたびに少しだけ心の琴線に触れる瞬間がある。日常の中でその瞬間を作ることができるのも、爪を塗ることの魅力。

自分のプロフィールにいつも書いていることがあって、それは爪を「体の部位で唯一、手軽に描写・書き換えの出来る表現媒体」と定義しているということ。身体の一部でありながら、思いつきで描いたり消したりできるのは爪だけではないかと思う。文字や絵を描くための紙であったり、音を奏でるための楽器や、それを鳴らすためのスピーカー、映像を映すためのスクリーンと同列で「爪」があるのだと思っている。爪にはそれだけ、まだ出来ることがある。

ネイルの居場所はもっと広げられる

最近はカジュアルネイルというジャンルもメジャーになってきて、デザインの幅もかなり広がっているけど、活動を始めた10年前は今ほどの幅はなく少数派だった。ハートや十字架などの、昔から続いているデザインを否定したいわけじゃないけど、「ほぼそれしかない」という状況が、私にはよく分からなかった。

10年前に描いた爪

10年前に描いた爪

「ネイルは常にキラキラしている人がするもの」という昔のイメージは、日常との間に距離を感じる。普通に生きていたらキラキラした出来事は稀で、理不尽なことや、どうにもいかないことも多い。そういう気持ちをやり過ごす手段として私たちは、映画を観たり音楽を聴いたり、好きな料理を食べたり、人に話を聞いてもらったりする。

「爪を塗ること」もそれらと同等じゃないのか。辛い時に聴く音楽があるように、嫌なことにたいして心を保つために塗る爪もある。

映画や音楽などの文化とネイルの関わりについても思うところがある。

最近はnailmaticというブランドが、イギリスのロックバンド・The Ribertinesのピート・ドハーティをテーマにした新色を発表したり、THREEの新作はオーストラリアの画家・クリムトをテーマにしていたりと、少しずつネイルが(というかもうコスメが)芸術と関わりを持ち始めている。私が知らなかっただけの可能性もあるけど、最近の動きをみて「やっとか」という感想を持った(あまりにも上から目線なのは分かっている)。

betcover!!『島』を聴きながら制作した爪

betcover!!『島』を聴きながら制作した爪

身体の一部でありながら、好きに描いたり消したりすることが出来る、爪という場所。好きなものを描いて自分の嗜好を表現することもできるし、言葉を書いて思想を訴えることもできる。爪が、今後もずっと『可愛い状態にしておく部位』だけに留まるのはもったいない。

爪に可能性を感じるからこそ、自分のできることとして、もっと文化的なものとネイルの距離を縮めたいと思っている。他のジャンルとネイルとの垣根をなくしたい。混沌とさせたいし混乱させたい。なんならもう文化的なものに留まらず、何かも分からない場所にネイルのある状態を作りたい。

選択肢はできるだけ多く持っておきたいから、「自分にはこれしかない」と縛りを設けることはしたくない”はずだった”のに、一度爪の魅力や可能性に気づいてしまうと、もう「爪」以外の選択肢が、自分にとってはぼやけて見えてしまう。

Django Django『Found You』を聴きながら制作した爪

Django Django『Found You』を聴きながら制作した爪

さっきから10年前10年前と書いているけど、そう思うに至った最初のきっかけは10年前の夏。

私は体調を崩して自宅で寝込んでいた。夕方頃、熱が引いた時に感じる「外には行けないけど家でなにかしたい」という軽い気持ちから、なんとなく自宅にあるネイルポリッシュを手にとった。爪に塗った瞬間、もうその日一日が「気が済んだ」と思えるくらいに充実した気持ちになれた。その時から頻繁に爪を塗るようになって、気づけば10年である。

こんなふうに、キラキラとは程遠い状態から始まる「爪を塗る行為」がある。

次回は、制作環境や、爪のデザインを作る最初の段階についてを掘り下げながら「なぜ爪を塗ることに飽きなかったのか」の話を書きたいと思います。