目次

1.歌舞伎の屋号とは?

2.歌舞伎の主な屋号を紹介!

3.歌舞伎の屋号は意外に多い?

歌舞伎の屋号とは?

歌舞伎座

文化庁ライブラリーによると、歌舞伎の屋号とは歌舞伎役者の家ごとに名づけられている名称です。屋号といえば一般的にはお店の名前のことを意味しますが、歌舞伎役者が屋号を名乗るようになったいわれが複数あります。

江戸時代には武士以外の階級は苗字を名乗ることができませんでした。歌舞伎役者は町人にとっては憧れの存在ではあったものの、身分としては苗字が名乗れない階級に属します。そのため、屋号を使っていた商人にならい、苗字の代わりに屋号を使ったというのが一つの説です。

また、本業の歌舞伎役者の他に化粧品屋や菓子屋などの商売を副業をおこなっていたため、屋号を持っていたという説もあります。中村勘九郎・七之助のように苗字と屋号が同じ場合もあるものの、基本的に歌舞伎役者の苗字(名跡)と屋号は異なる場合が多いです。

落語以外の伝統芸能にも興味がある人は、日本の伝統芸能とは?伝統芸能の種類一覧も紹介!をご覧ください。

 

1-1  屋号の始まりは市川團十郎の「成田屋」

歌舞伎役者の屋号の中で最も古いものは、市川團十郎の「成田屋」です。

成田屋と名乗るようになったのは、初代の市川團十郎が千葉県成田山にある「成田山新勝寺(別名:成田不動)」を深く信仰していたことが由来とされています。

初代市川團十郎は成田山新勝寺を子宝祈願のために参拝したところ、翌年無事に二代目を授かることができました。世継ぎが誕生したことに感謝してその気持ちを表すために「成田山不動明王山」という演目を上演したところ、大当たりしたのです。

この演目の上演中に観客から「成田屋」という掛け声が多く上がったことから、それがそのまま屋号になったといわれています。そして、このことは歌舞伎界で屋号が始まった歴史的な出来事となりました。

 

1-2  役者が襲名する名前(名跡)とは別

歌舞伎といえば代々受け継がれていく芸名(名跡、みょうせき)のイメージが強いかもしれません。しかし、名跡は歌舞伎役者の名称、屋号は一門や一家に対する名称という明確な区別があります。

歌舞伎俳優の芸名の多くは、代々受け継がれていきます。そのような名前を名跡(みょうせき)と呼び、その名跡を継ぐことが「襲名」です。この襲名は単に名前を継ぐというだけではなく、芸風や俳優が得意とする役も受け継がれます。

名跡は、いくつかの名前を順番に、年月をかけて襲名していくのが習わしです。たとえば、市川團十郎という名跡を襲名する前に、新之助、海老蔵の名跡を順に襲名していきます。

名跡はその家に生まれて成長することだけで襲名することはできません。経験を積み重ねること、人気を得ること、芸を向上させることが襲名に値する条件となります。

歌舞伎の主な屋号を紹介!

屋号

歌舞伎の屋号は意外に多く、100程もあるといわれています。ここからは、主な屋号と歌舞伎役者に代々受け継がれる家名・名前の名跡を紹介していきます。

名跡には決まりがあり、例えば市川團十郎、市川海老蔵という名跡を弟子が名乗ることはできません。市川家の跡継ぎであることが名跡を名乗るための条件です。

 

2-1  成田屋(なりたや)

代表的な名跡:市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)、市川海老蔵(いちかわえびぞう)、市川新之助(いちかわしんのすけ)など

成田屋は歌舞伎界で最も格式が高い特別な家柄です。初代市川團十郎は自らが芝居小屋を作り、集まった客を前に芸を披露するという歌舞伎のスタイルを生み出しました。「荒事(あらごと)」といわれる華やかさと豪快さを持ち合わせた芸風は、かつてないものであったことから、江戸中で評判になりました。現代でも成田屋は江戸歌舞伎の代表的存在であり、市川團十郎は歌舞伎界の大黒柱とされています。2020年に襲名した十三代市川團十郎さんはテレビ等でも活躍しており人気です。

歌舞伎十八番、新歌舞伎十八番は成田屋の芸の演目集として知られています。歌舞伎十八番は七代目市川團十郎によってお家芸として選定されました。新歌舞伎十八番は七代目と九代目市川團十郎によって選定されており、実際は18種類ではなく30種類以上あります。

 

2-2  音羽屋(おとわや)

代表的な名跡:  尾上菊五郞(おのえきくごろう)、尾上菊之助(おのえきくのすけ)、尾上丑之助(おのえうしのすけ)、尾上梅幸(おのえばいこう)、尾上松綠(おのえしょうろく)、尾上辰之助(おのえたつのすけ)など

音羽屋は、成田屋と並んで團菊(だんぎく)と称される江戸歌舞伎の代表的な名家です。初代尾上菊五郎の父、半平(はんぺい)は、江戸時代初期に京都の四条にあった芝居小屋、都万太夫座(みやこまんだゆうざ)で出方(でかた)と呼ばれる場内の案内係や飲食サービスをしていました。半平の生まれが清水寺のほど近くであったことから、境内にある音羽の滝にあやかって、自らを音羽屋半平と呼んでいたことが屋号の由来です。

半平の息子は尾上左門に師事して1730年に尾上菊五郎を名乗って初舞台を踏みました。
音羽屋は江戸時代を舞台とする「弁天小僧」などの世話物や怪談物の舞踊劇を得意としています。

 

2-3  高麗屋(こうらいや)

代表的な名跡:松本幸四郞(まつもとこうしろう)、松本白鸚(まつもとはくおう)、市川染五郞(いちかわそめごろう)、松本金太郞(まつもときんたろう)、市川髙麗藏(いちかわこまぞう)、松本錦吾(まつもときんご)など

初代松本幸四郎は若い頃、江戸の神田にあった「高麗屋」という商店で丁稚奉公(でっちぼうこう)をしていたことが、二代目から高麗屋と名乗ることになった由来とされています。高麗屋と成田屋は師弟関係があり、成田屋に跡継ぎがいなかったときは高麗屋から養子を迎え入れる間柄でした。七代目の松本幸四郎は生涯に1600回以上も「勧進帳」の「弁慶」を務めました。

現在でも二代目松本白鸚、十代目松本幸四郎、八代目市川染五郎が活躍中です。松本白鸚は当たり役となった「勧進帳」の弁慶役の他にミュージカル「ラ・マンチャの男」でも数々の受賞歴があります。

 

2-4  中村屋(なかむらや)

代表的な名跡 中村勘三郎(なかむらかんざぶろう)、中村勘九郎(なかむらかんくろう)、中村勘太郎(なかむらかんたろう)など

中村勘三郎家は歌舞伎役者の名前と同一であること、「中村屋」と呼ばれる芝居小屋の座元(ざもと:支配人)であったことなどから、他の名家とは一線を画しています。中村屋は歌舞伎を上演する劇場としては初の常設芝居小屋でした。中村屋は幕府から興行許可を受けた江戸三座の中で最も古くからの歴史を誇ります。

中村屋という屋号は明治時代に一度途絶えたものの、1950年に十七代目中村勘三郎が現れ、中村屋は復活しました。脚本家の宮藤官九郎や俳優の阿部サダヲらが所属するグループ魂のコントでも「中村屋ぁ!」がネタとして使われています。

 

2-5  大和屋(やまとや)

代表的な名跡:坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)、坂東八十助(ばんどうやそすけ)、坂東玉三郎(ばんどうたまさぶろう)、坂東巳之助(ばんどうみのすけ)など

初代坂東三津五郎は、竹田巳之助(たけだみのすけ)という名で大阪で人気を博していた役者でした。初代坂東三八(ばんどうさんぱち)に認められたことから初代三八の養子となり、江戸にわたって坂東三津五郎として活躍しました。三八の父の名が大和屋又八(やまとやまたはち)だったことが大和屋の屋号の由来とされています。

五代目坂東玉三郎は日本を代表する文豪、三島由紀夫に「現代歌舞伎の奇跡」と言われた圧倒的存在感と美しさを誇る女形です。

また、大和屋は歌舞伎だけでなく日本舞踊の名門としても知られており、日本舞踊坂東流の家元として日本舞踊の発展にも力を尽くしています。七代目坂東三津五郎は現代でも「踊りの神様」と呼ばれているほどです。

 

2-6  松嶋屋(まつしまや)

代表的な名跡:片岡仁左衞門(かたおかにざえもん)、片岡我當(かたおかがとう)、片岡我童(かたおかがどう)、片岡秀太郞(かたおかひでたろう)、片岡芦燕(かたおかろえん)、片岡孝太郎(かたおかこうたろう)、片岡愛之助(かたおかあいのすけ、初~四・六代目)など

松嶋家は片岡仁左衛門を名跡の筆頭として、元禄年間(1688~1717年)に大阪や京都で発展した上方歌舞伎の名門です。関西の歌舞伎界をけん引する立場にあります。松嶋家の屋号は七代目片岡仁左衛門から名乗っています。しかし、その由来は伝えられていません。

松嶋屋には女優の藤原紀香さんと結婚したことで話題となった片岡愛之助がいます。片岡愛之助は一般家庭出身であるものの、その才能を認められ、歌舞伎界の御曹司として歩むことを選んだ異色の経歴の持ち主です。

 

2-7  成駒屋(なりこまや)

代表的な名跡:  中村歌右衞門(なかむらうたえもん、四~六代目)、中村芝翫(なかむらしかん)、中村福助(なかむらふくすけ)、中村兒太郞(なかむらこたろう)、中村梅之助(なかむらうめのすけ)など

四代目中村歌右衛門が、公私ともに親しかった四代目市川團十郎から贈られた「成駒(なりこま)柄」の着物をもらったことに感謝して、それまでの屋号であった「加賀屋」を改めて、「成駒屋」と呼ぶことにしました。将棋の「成駒」と市川團十郎の屋号、成田屋の「成」をかけたといわれています。

成駒屋には女優の三田寛子さんと結婚し、3人のお子さんを設けた八代目中村芝翫がいます。中村芝翫と合わせて3人のお子さんが中村橋之助、歌之助、福之助として2016年に4人同時に襲名したことが話題になりました。

 

2-8  播磨屋(はりまや)

代表的な名跡:中村吉右衞門(なかむらきちえもん)、中村又五郞(なかむらまたごろう)、中村歌六(なかむらかろく)、市川鰕十郞(いちかわえびじゅうろう)、中村歌昇(なかむらかしょう)など

播磨屋の初代中村歌六は大阪の生まれで三井家の番頭の子でした。のちに「播磨屋作兵衛」の養子になったことが播磨屋の由来です。

播磨屋の初代中村歌六は女形が得意で、三代目までは大阪で活躍しました。三代目の子である初代中村吉右衛門は東京に拠点を移しています。初代中村吉右衛門が得意としたのは時代物でした。2010年には中村歌六、中村歌昇が屋号を「萬屋」から「播磨屋」に変更しています。

二代目松本白鸚の実弟で人間国宝だった二代目中村吉右衛門は長年テレビ番組の「鬼平犯科帳」で主演し、人気を博しました。二代目中村吉右衛門は2021年に逝去しましたが、息子がいなかったことから「中村吉右衛門」の跡継ぎの見通しは立っていない状況です。

 

2-9  澤瀉屋(おもだかや)

代表的な名跡:市川猿之助(いちかわえんのすけ)、市川團子(いちかわだんこ)、市川段四郎(いちかわだんしろう)、市川青虎(いちかわせいこ)、市川亀治郎(いちかわかめじろう)、市川中車(いちかわちゅうしゃ)など

澤瀉屋を使用しているのは市川猿之助(いちかわえんのすけ)家と市川段四郎(いちかわだんしろう)家です。初代市川猿之助の生家では、副業として澤瀉(おもだか)と呼ばれる薬草を扱う薬屋を営んでいたため、屋号の由来となりました。

澤瀉屋は、歌舞伎役者をワイヤーで吊り揚げる宙乗りや、一人の役者が複数の役柄を瞬時または短時間に演じ分ける早替わりを得意とします。

三代目市川猿之助はスーパー歌舞伎を始めたことで注目されました。俳優の香川照之さんは歌舞伎界では市川中車(ちゅうしゃ)として活動しています。

歌舞伎の屋号は意外に多い?

歌舞伎座外観モノクロ

歌舞伎の屋号は100以上もあるといわれているので、かなりの数といえるでしょう。そして、それぞれの屋号には特徴があり、時代を経ても伝統は脈々と大切に受け継がれています。

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この記事で紹介した歌舞伎と「ギャル」の意外な共通点に言及した、青春時代の思い出。ギャルに対する謎の憧れを考察したら歌舞伎に行きついた話。という記事もありますので、ぜひこちらもご覧ください。

 

参考

かぶきのーと 歌舞伎役者の名前は襲名で変わる?屋号や名前の由来はどこからきてるの?

ワゴコロ 歌舞伎役者の「名跡」とは?名前が上がれば芸も上がる

かぶきのーと 歌舞伎の屋号とは? 歌舞伎の家に格付けってあるの?

エンタメール 歌舞伎の役者と屋号

shittoko 歌舞伎の屋号には格付けやランクがあるの?屋号の由来や最上位について

名古屋名刀ワールド 歌舞伎の屋号とは

Kabuki on the web 屋号について

わつなぎ 【歌舞伎系図】歌舞伎界の頂点に立つ成田屋!はじまりから歴代、当代名跡の歌舞伎役者

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ウィキペディア 音羽屋

和比茶美 歌舞伎の音羽屋!尾上松也もいるの?役者家系図で紹介

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