幼少期に食べたビリヤニの味が忘れられず、理想の味を追い求め「流しのビリヤニ」活動を始めたビリヤニ偏愛人・奈良岳。味覚を刺激するスパイス、独特の食べ心地バスマティライス、炊き加減のタイミング、彼が追求するビリヤニの世界を全5回にわたり紹介。最終回となる今回は、インドのハイデラバードからのグルメリポート。本場のビリヤニをお届けします。

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ハイデラバードグルメリポート

インドはハイデラバード、看板もないような小さな飲食店で、私は5人のインド人に囲まれていた。彼らは、突然やってきた謎の日本人が、その一皿を食べてどんなリアクションをするのか、気になっているようだった。

東京でも、ローカルな店に突然外国人旅行者がやってきたら、なんだか嬉しくなることがある。「こんなローカルな店に来るなんてセンスあるな。観光客はみんな有名な店に行くが、ここはそこより美味い。わかってるな。」と、稀に思う。

ハイデラバードで私がそう思われたかどうかは確認のしようが無いが、きっとそうに違いない。インドでも、美味くて小さな店のお客と店主には、日本人をもてなす人情があったのだから。

 

<ハイデラバードに行った理由>

ハイデラバードはインド中南部の都市で、16世紀の王朝の名残のある旧市街と、グーグルのオフィスもあるようなIT都市の両面を併せ持つ。そして、もともと王朝料理から発展したビリヤニの街でもある。おそらく世界で最もビリヤニ屋の数が多く、最もビリヤニを食べる人が多い街だ。そんなビリヤニの聖地とも言えるハイデラバードで一週間、ひたすらビリヤニを食べてきた。

 

<初日>

3月28日11時に成田を発ち、スリランカのコロンボを経由して、ハイデラバードへ向かう。機内食にビリヤニが出てきた。3月28日22時ごろ、ハイデラバードに到着。日本との時差は3時間半。むわっと漂うその街の空気。乾燥と埃の匂い。空港から異国の地に降り立つ瞬間のドキドキ感。ドライバーらしき人物に車に乗らないかと声をかけられるが、「No thank you」ときっぱり伝えると、あっさり引くから楽だ。地下の駐車場でウーバーの配車スポットを見つける。駐車場にタクシーの列のようにウーバーが停まっており、番号を伝え、乗車。運転手は常に誰かと電話している。BGMは、YouTubeでインドのアイドルグループの動画と音楽を流し続けている。移り変わる街の風景は賑やかで、若者からおばさんまで様々な人が闊歩している。明日は祝日で、その前のお祭り騒ぎなのだろうか。大量のバイクが店の前にとまっている店を見て、運転手が電話相手に、「あの店混んでる」と英語で言った。すかさずGOOGLEMAPで検索しピンを立てる。ビリヤニ屋だ。

 

 

ハイデラバードには、街のすぐ横に湖があり、その湖畔にある「マリオットホテル」が最初の宿。ここには2泊する。東京で朝起きてからおよそ20時間ほど経ち、活動限界は近い。高級とされるランクのホテルのベットはふかふかだ。日本でいうところのちょっといい感じのビジネスホテルくらいのクオリティ。最初の宿をここにして正解だったかもしれない。泥のように眠る、明日からはじめるハイデラバードの日々に備えて。

 

<1皿目>Hotel Shadab

3月29日、昼。まずは旧市街の中心部に位置する観光スポットで、記念碑かつモスクである「チャーミナー」へ向かう。パリで言う凱旋門、ベネチアでいうサン・マルコ広場みたいな中心が明確にある街はわかりやすくて好きだ。チャーミナーの周りは広場になっており、露天商が所狭しと軒を連ねていて楽しい。ひとしきり露天商をひやかしたところで、まずはチャーミナーからすぐの位置にある人気店「Hotel Shadab」へ。

 

 

かまぼこが縦に6本並んでいるような特徴的な外観。1Fはほぼ外なローカルな席のようで、こっちに座りたかったが、圧倒的観光客である私は問答無用で2Fの室内の席に通された。生のチキンをヨーグルトやスパイスなどとマリネしてからバスマティライスと一緒に炊くのが特徴のハイデラバードチキンビリヤニを注文。

 

 

運ばれてきたビリヤニは大きめのステンテスの壺に詰め込まれていて、店員さんに席でお皿に盛り付けてもらう。しっとりしたバスマティライス、チキンはあばらの部位が入っており、サイズはケンタッキーくらいあるが結構パサパサ。全てのコメがいい状態で伸びていて、良い炊き具合。ホールスパイスはクローブだけ確認できたけど、スパイス感はやや控えめでちょうどいい。味も旨みしっかりしていて美味しい。このレベルのビリヤニが、日常的にかつ大量に提供され続けているとは、さすがハイデラバードと思わざるを得ない。感動に浸っているのはいいが、目の前のビリヤニは一向に減る気配がない。単純に提供される量が多い。初めてラーメン二郎を食べたときのように、お腹をパンパンにして店をでる。インドの街を歩いて夜までにお腹を空かせよう。

 

<2皿目>Cafe Bahar

3月30日、昼。市街地の中にあるホテル「タージ・マホール・ホテル」へ宿を移す。マリオットで一泊1.2万円、ここタージマホールは一泊4千円ほど。インドに身体が慣れるごとに、ホテルのランクを落としていく作戦。

 

 

結局昨日は、ビリヤニ一皿だけ食べて、それ以降全くお腹が空かなかった。ハイデラバードのビリヤニ屋をネットでリサーチしていると、有名店はGoogleマップの評価が4以上で、レビュー数が多いところで8万件くらいあったりして、インドの人口の多さを感じる。まずは有名店に行ってポピュラーなビリヤニを食べようということで、ホテルから15分ほど歩いて「Cafe Bahar」へ。

 

 

1Fの雑な席に通されて、ちょっと嬉しい。ハイデラバードマトンビリヤニを注文。モモの部位のような肉肉しさもありながら、すごくほろほろで美味い。辛さはHotel Shadabよりあって、味わいは単調、米の炊き加減はふわふわな感じで美味しい。

 

<3皿目>Grand Hotel

3月30日、夜。ちょうどイスラムの断食ラマダン中。日が昇っている間は食事ができないのがラマダン。飲食店は昼間も営業しているが、お客さんは少なめ。夜になると街はお祭り騒ぎのように、人であふれかえる。道路はバイクがひっきりなしに往来しており、歩いている人なんてほとんどいない。宿から10分ほど歩き、有名店のひとつ「Grand Hotel」へ。

 

 

Grand Hotelはこれでもかというくらい電飾でおおわれ、エレクトリックパレードのように輝いていた。光に誘われてどんどん人が吸い込まれていく。2階に通され、ミニチキンビリヤニを選んだが、他店の普通サイズよりやや少ないくらいで、かなりのボリューム。骨つきチキンがほろほろで美味い。具材としてパクチーがしっかりな量入っていたり、今までで1番味濃いめ。トッピングのスライスのオニオンは必ずついてくるが、一緒に生のにんじんが添えられていたのは謎だった。

 

<4皿目>Darwaze Ki Hotel

3月31日、朝。インドは疲れる。街は賑わい、常にその喧騒を響かせる。彼らはいつどこで憩い、心を休めているのだろうか。そう思うほどに静寂とは無縁だ。疲労感は日に日に増し、胃には油が蓄積していく。お腹は空くけど、胃もたれで食欲が湧かない。ホテルのベッドの上で身体と胃を休める。ベッドに沈みながら、ひたすらビリヤニ屋店をリサーチする。

 

 

いままでは有名店ばかりだったが、今日は気になっていたローカルな食堂「Darwaze Ki Hotel」へ。オートリキシャに乗って、メインの通りから路地に入り、不安とともにローカルな街へずいずいと進んでいく。目的地にはまともな看板もなく、もはや店なのかどうかすら怪しい。ドキドキしながら入って行くと、入口に立っていたお客さんなのか店員さんなのかわからないおじさんに手招きされる。おじさんに導かれて店内へ。店内と言ってもミチミチなサイズの4人がけボックス席4つが、4畳半くらいの部屋に押し込まれているような感じ。その奥にキッチンがあるが、シンクや作業台などのキッチン設備は無く、薪をくべる炉が2つと蛇口が2つ、裸電球がひとつと換気扇が電気で回っているだけだ。いままでみたどの飲食店のキッチンよりもミニマムな空間に見惚れる。

 

 

Darwaze Ki Hotelは、ビーフテハリのワンメニュー。具材の上に米をのせて炊くハイデラバードのビリヤニと違い、テハリは全てを混ぜながら煮込むスパイスの炊き込みご飯だ。ビリヤニの街ハイデラバードで頑なにテハリを作る姿に惚れ惚れする。

 

 

出されたテハリは、味もバチバチにキマっていて、めちゃくちゃ美味い。フレッシュトマトが効いていて、お肉もホロホロで、一緒に炊かれたダルやコリアンダーが調和しているような感じ。狭い店で愛想のいい5人のインド人に見守られながらも、食べる手を止めるのが難しい。いままでの有名店の大量生産大量消費の味や広さや接客とは違う。素朴でフレッシュな素材の味と、ローカルな人情あるインド人にもてなされた。

<5皿目>Bawarchi Restaurant

3月31日、昼。一泊2800円ほどのホテルに変える。すこし通りを裏に入って、中規模の病院の目の前。気になっているローカルな店にアクセスしやすい立地。順調にホテルのランクを下げてきたが、どうやら今回はハズレを引いたようだった。エアコンが効かなかったり、掃除が雑だったり、ベッドで虫に刺されたり。シャワーからはお湯が出て、受付のおっちゃんが陽気なので、まあ良しとしよう。

 

 

3月31日、夜。オートリキシャに20分ほど乗り、おそらく最も人気なビリヤニ屋「Bawarchi Restaurant」へ向かう。でかい店が3フロア分あり、道路を挟んで向かいにも同じ店がある。そのキャパが人で埋まっているのがすごい。ラマダン中の日没後ということもあるのだろうが、おそらく世界で最もビリヤニが食べられている空間だったと思う。

 

 

3階まで上がり、半屋外の席につき、ミニチキンビリヤニを注文し、しばらくすると運ばれてきた。ミニサイズだけど当然のように大盛りで、一口食べると確かに美味い。辛さは控えめで、チキンの火入れも完璧でほろほろと肉がほぐれ、お米の炊き加減も最高。油は相変わらず多いが、他の有名店と比較すると、さまざまな要素がちょっとずつレベルが高いような感じ。ひとつひとつの味の要素を上回って来る感じが有名店の所以なのかもしれない。

 

 

ひと通り有名店のビリヤニを食べた。わかりやすい美味しさと量が脳をバグらせてくる。客席が多く、内装に清潔感があり、ウェイターがいる。そんな有名店のトンマナがある気がする。

大量の人が大量のビリヤニを消費し続けている状況は、日本という極東の端くれでビリヤニを売っている私からしたら、凄まじい状況だった。需要と供給。ビリヤニを炊き続けることのできる店と、ビリヤニを食べることが当たり前のお客。その二者の幸福な関係に、ただただ感服するばかりだ。

手食文化が一般的なインドだが、有名店では明らかに観光客の私には必ずスプーンをつけてくれる。しかし、ローカルな店ではスプーンなんてない。必ずお店には手洗い場があり、そこで手を洗ってから食事をする。昔は叔母から食べ方を教わってカレーの時は手食をしていた。インドに来て、25年ぶりの手食だったが、幼少期の記憶は身体に染み込んでいた。ローカルな食事をローカルな振る舞いで食べる。その街の生活者に近づくことこそ、旅行の楽しみの一つだ。

 

 

一通り有名店に行った。どこも流石と言わざるを得ないクオリティだが、食べ歩いていると一様なその“美味しさ”に、飽きがくる。旨みと塩と油。ずんともたれる胃と、なかなかやって来ない空腹感。食事は1日1回になった。ビリヤニが食べられなくなるから、ほかのインド料理はなるべく控える。もはや修行だ。ビリヤニ食べ修行の後半は、ローカルな店へ。贅沢じゃない日常のビリヤニを食べに。

<6皿目>Mehboob Tahari Kalyani Biryani

4月1日、昼。チャーミナーからほど近い「Mehboob Tahari Kalyani Biryani」へ。カリヤニビリヤニとは、ハイデラバードで食べられる庶民のためのより安価な水牛のビリヤニを指す。インドでは牛乳やヨーグルトのために水牛が多く飼育されており、役目を終えた水牛は安価な肉として販売されるらしい。ヒンドゥー教は牛を食べないが、水牛は対象外らしく、普通にビーフビリヤニは売られている。日本では牛肉が一番高級だが、インドでは逆のようだった。2日前に訪れたDarwaze Ki Hotelのビーフテハリも、もしかしたら水牛だったのかもしれない。

 

 

Mehboob Tahari Kalyani Biryaniは、朝はテハリ、昼はビリヤニを提供する、陽気なおっちゃんがやっている街の食堂。目前はすぐ道路、6席ほどの狭い店で、みんな寡黙にビリヤニを頬張る。ローカルな店は、ちゃんと食べ切れる量でいい。味もシンプルで、飽きずに食べ切れる。

 


 

お米は長粒米のバスマティライスではなく、中粒米。ソナマスリライスだろうか。インドでは様々な種類のお米を栽培している。

農林水産省が出しているレポートによると、ハイデラバードのあるテランガーナ州はインドの米の生産量の22%を占めており、インドで最も多い。ハイデラバードでも街を歩いていると、たまに米屋に遭遇する。俵サイズの大袋が積み重なっていて、どうやって積んでいるのか、ずっと謎だ。

 

 

そして、世界のコメ輸出量のうち、インドは約4割を占め、世界一の米輸出国とのこと。しかし、2023年7月に、国内の物価高騰に対応するため、バスマティライス以外の米を輸出禁止した。現在、バスマティライスは日本に輸入されているが、それ以外の中粒米などは日本に今ない状態だ。輸入が再開したら、インドの中粒米で、庶民のビリヤニを作ってみよう。

<7皿目>Hotel City Diamond

4月1日、夜。ハイデラバードを歩いていると街中でハリームという食べ物が売られている。茶色いドゥルドゥルとしたゲル状の食べ物。どうやらラマダン時期の定番グルメらしい。このラマダン時期は、ビリヤニとハリームしか出していないローカルなレストランもあった。肉と麦と豆とスパイスを、肉の形がなくなるまで煮るらしい。4皿目のDarwaze Ki Hotelの店先にあった赤い台は、ハリーム台。台に鍋がはめ込まれており、台の上に人が座って、ハリームを提供する。ラマダン中ならではのストリートフード。

ホテルから20分ほどオートリキシャに乗りHotel City Diamondというビリヤニ屋へ。ビリヤニはまた明日食べると決め、一番小さいサイズのハリームを注文。これがまあ、疲れた胃に優しい味わいで、美味い。噛む必要はなく、飲み込むだけ。日中の断食で空っぽになった胃に寄り添ってくれる。

 

 

4月2日、昼。昨晩、ハリームを食べたHotel City Diamondを再び訪れた。12時ごろに行ったら、ビリヤニの炊き上がりは13時半だと、お店のおっちゃんに言われる。普段イベントなどで自分が炊き上がり時間をお客さんに伝えているので、まさか言われる側になるとは。近所の大型ショッピングモールで時間を潰す。

 

 

期待を胸に店に戻り、ビーフビリヤニを注文。オーバル型のお皿に盛られ、丸くこんもりと押し固められている。いままでのビリヤニとは違い、味の濃い茶色い部分とバスマティの白い部分がはっきり分かれている。盛り付けから、潔さと美学を感じる。もう美味しそう。

 

 

今まで食べた大型店舗とはまったく違う味わい。なんと言うか、味のコントラストがはっきりしており、香りと旨みのバランスが絶妙。ただ、今まででいちばん辛くて、辛いものが苦手な自分からしたら、食べるのは超大変。滝のような汗を流しながらも、食べる手は止められない。美味しいから。

美味しかったことを、店のおっちゃんに伝え、写真を撮らせてもらう。終始塩対応だったこのおっちゃんも、最後はにっこり。インド人のおっちゃんは、写真を撮ると、ほほえみ顔とドヤ顔の中間くらいの顔をする。

 

<8皿目>Hotel Al-shafa Kalyani Biryani

4月3日、朝。ハイデラバード6日目にして、ようやく街に慣れてきた。日本人は歩く。バイクでの移動がメインのインドでは歩く人は少ない。日本人は歩くことで街を知ろうとする。どんな建物があり、どんな商売があって、どんな暮らしがあるのか。朝5時に街中に流れる(おそらくラマダンの)放送で目が覚める。まだ暗い。日本は8時半。小一時間パソコンに向かい仕事をする。ひと仕事終えたら朝の街に繰り出そう。昨日の夜は、連日の食べ過ぎで胃もたれをおこして、なにも食べていない。仕事をしながらお腹がなった。

 

 

ホテルから歩いて30分ほど、早朝から昼すぎまでしかやっていない「Lingaiah Tiffin Center」で朝ごはん。朝7時はまだ涼しく、交通量も少なく、歩きやすい。オレンジのベストを着て街を箒で清掃する女性たち、ひたすらチキンを捌く精肉店、朝ごはん屋に群がる人々。

 

 

ドーナツみたいなワダと蒸しパンみたいなイドゥリをドロドロにつけながら食べる。優しい味わいで、朝にちょうどいい。

 

 

4月3日、昼。Hotel Al-shafa Kalyani Biryaniへ、カリヤニビリヤニ(庶民の水牛のビリヤニ)を食べに行く。街の北側へ、オートリキシャで20分。階段を登り2階へ上がるとお店がある。路面店じゃない店は初めてだ。看板をよく見ると、英語の他に、テルグ語、ヒンディー語、ウルドゥー語(たぶん)で、カリヤニビリヤニと書かれている。Wikiによると、ハイデラバードの話者人口は、テルグ語が最も多く、次いでウルドゥー語、ヒンディー語の順となっているらしい。

 

 

雰囲気的にも、構造的にも、ちょっと怪しい階段を上がる。ラマダン時期だからか店内は空いていた。チャキチャキ店を仕切っている女将さんに、ちょっと怒られながらカリヤニビリヤニを注文。丸皿にこんもり盛られたビリヤニが美しい。お米のふわふわ加減も最高で、油の量は少なめ、旨みもしっかりあって、肉の筋もいい食感。美味い。決してハレでは無く、ケのビリヤニ。生活の中で普段から食べる特別じゃないビリヤニ。そんなインドの日常のビリヤニが一番美味しい。

 

<9皿目>Darwaze Ki Hotelへ再訪

4月4日、朝。ハイデラバード最終日、最後のビリヤニはどこで食べよう。日常の一皿がもう一度食べたくなって、3日目に行った​​Darwaze Ki Hotelへ再訪。作っている風景がみたくて、少し早めに店に。「おお!またお前来たのか!また食べたくて来たのか!」みたいなテンションで、人情のある歓迎を受ける。そのまま、薪火のドープなキッチンへ招かれ、作っているところを見せてもらう。

 


 

地獄の釜のように、米が入った大鍋が焚き火にかけられ、ふつふつと煮立っている。全体が均等になるように混ぜる。最後は焚き火を鎮火し、炭を蓋の上に乗せ、よく蒸らす。完成までもう間もなく。ひと仕事終えたインド人がタバコを一本くれた。久しぶりに吸うが、ありがたく受け取る。

 

そうこうしているうちに、炊きたてのテハリが運ばれてくる。やっぱり美味い。バチッと味が決まっている。

そして、5人の愉快なインド人の質問攻めに合う。英語は簡単な単語なら通じるが、基本的に何を言っているのかは、解らない。翻訳アプリで文字を見せたが、そもそも文字が読めないようだった。ヒンディー語の読み上げ機能を使って聞かせ、ヒンディー語で音声入力してもらったものを日本語に翻訳する。テハリとビリヤニの違いを聞いてみると、なんとも翻訳アプリらしいヒンディー訳文が返ってきた。

「暑い中、みんなで一緒に走ります。ビリヤニでは、肉が下に残り、ご飯が上に来ます。」

テハリは具材と米をすべて混ぜて炊くのに対して、ビリヤニは具材の上に下茹でした米を乗せて炊く、ということを言いたかったのだろう。ハードモードなコミュニケーションだったが、身振り手振りと持ち前の美味しい表情で、仲良くなれた気がする。

こんなキッチンがあること、そこでこんなにも美味い一皿が作られていることに、衝撃を受けた。そして、気の良いインド人たちがもてなしてくれただけで、ハイデラバードに来て良かったと思える。どんな環境であれ、美味いものがあり、それを作る職人がいて、食べるお客さんがいる。こんなカッコいい店とキッチンはまだ私には作れないけれども、いつか薪で、うまいテハリを大量に炊けるようになりたい。最高の〆の一皿を食べ、インドを後にした。さようならハイデラバード、ありがとうインド。

 

<10皿目>Hotel De Buhari

4月4日の深夜にトランジットで、スリランカのコロンボに到着。そのまま街で一泊。夕方のフライトで日本に帰る。

4月5日、昼。スリランカのビリヤニを食べてみようということで、有名な老舗ビリヤニ屋Hotel De Buhariへ。ハイデラバードのビリヤニとは全く異なり、炊かれた米と揚げられた鶏が一緒に盛られている。ハーブ的な味わいが特徴的。付け合わせのミントのペーストのようなものを一緒に食べると味が決まる。正直、揚げた鶏はカピカピで、硬くて、そんなに美味しくはなかった。評判の良い新興の店にしておけば良かったと少し後悔するも、お腹はもうパンパンで余裕はない。

同じビリヤニと言っても、国や地域によって、作り方や味が大きく異なる。その良い例を体験できた。あれもビリヤニ、これもビリヤニ。

 

 

<おわりに>

3月28日午前中に東京を発ち、インドのハイデラバードで7泊、スリランカのコロンボで1泊し、4月6日朝に東京に戻ってきた。成田から大荷物のまま店へ直行し、翌日のイベントのためのビリヤニを仕込む。ビリヤニ職人の朝は早い。

ここには書いていないいろいろな出来事があったが、日本についてすぐに、またインドへ行きたくなっている。インドは、最も安全な“危険な国”のように思う。でこぼこした道、秩序のない交通、照りつける日差し、屋外での調理、良い人悪い人。一歩踏み外すと怪我をしてしまうような、日本では決して得られない“野性”を感じた。一方で、多くの日本人が訪れていることもあり、検索すればいろいろな情報が出てくるし、経験から危機察知能力も働く。気を張りながら、気を付けながら、ずいずいと街へ入っていく。それが可能な奥行きのある街。早くインドの新たな街へ行きたい。ローカルな一皿を求めて。

計5回にわたってお送りしたビリヤニの話。今後もビリヤニ探求は続きます。またどこかで、皆さんにビリヤニの魅力を伝えられたら幸いです。