引き出しの奥から、どこで買ったのかいまいち覚えていない、妙に郷愁を誘う、置物、どこかのお土産などが出てきたことはないだろうか。私の自宅玄関には、観光地で購入した“カエルがどんぐりの帽子を被っている、小さな置物”が鎮座している。これ、どうやら駄民具のよう。そして、絶対に手放したくない。

今回はそんな品々に「駄民具」と名付け、集め、発信をしている、駄民具ダミラ氏に改めて駄民具の魅力を解説をしていただいた。

 

駄民具とは?

駄民具(だみんぐ)とは『駄目で無駄な民具』の総称であり、一見無用と思われる事にこそユーモアや非凡さが潜んでおり、そのあり様を楽しみ味わう価値観が宿った物である。

【駄民具3箇条】

その1.  親に捨てられがち
その2.  無駄な物だと分かっていても欲しい
その3.  手にすると絶滅危惧種を保護したような気持ちになる

駄民具の特性を表したこの3箇条に少々補足をすると、対象物に思い入れのある当事者でなければタダでも要らず(その1)、日常生活になくても何ら支障をきたさないが…(その2)、失われてからその重要性に初めて気付く無類の存在である(その3)。

駄民具の用語の使い方としては、おばーちゃん家で木彫りの置物や謎の剥製、手芸作品なんかを見かけた時に「これは駄民具だね~」などと言って褒めておこう。また時折、路上で出くわす“ご自由にどうぞ”と書かれた箱に不用品が入っている際には「駄民具のお払い箱や~」などと言い換える事も可能だ。

 

おばーちゃん家で見覚えはないだろうか

 

東京タワーの土産物店が織りなすカオス

駄民具に目覚めた発端は…ある日 神の啓示を受けまして──なんて事はなく。駄民具集めに至るまでには様々な出来事があったので、明確に「これが転機」という風には語れないのだが、きっかけの一つになったエピソードを紹介したい。(こっから長いよ~)

時は2013年──当時26歳の私は職を求め、仕事のレパートリーが少ない地方から 縁もゆかりもなかった関東圏に遅めの上京をしてきた。引っ越し後間もなく家の近所に場末の居酒屋を見つけ、そこで仲良くなった仲間達と「東京タワーの今度閉館してしまう蝋人形館を見納めに行こう!」という話になった。はて、東京タワーに行くのは中学の修学旅行以来だが、あそこに蝋人形館なんてあったっけ?位かすれた印象しかなかったものの 即話に乗っかった。

さて当日、6人程の同志が集まった。閉館間近だというのにオーディエンスは自分達の他に見当たらなかった。神妙な面持ちのアリスの横で死んだようにうなだれる動物や不気味な笑みを浮かべるマッドハッターの理解不能なシチュエーションに抱腹絶倒し、壁穴から拷問の様子をやれ覗き見、やたら充実している誰得ジャーマンプログレエリアに首を傾げつつもザワつくなどして蝋人形館を存分に堪能した。それから館の出口にあるレコード屋を見て、貧弱な恐竜シアターを鑑賞し、廃れた屋上遊園地を眺めたりして東京タワー(の下の無料でウロつけるエリア)を大方しゃぶり尽くしたあと、私にとって最も重要なスポットに遭遇する。

 

東京観光記念

 

観光地の傍にだいたいある、名所のパワーにあやからんと寄生するように軒連ね、非日常に浮かれる少年少女は密花に群がる虫の如くいざなわれ、よく考えたら要らん物ばっか売ってんのに何故かしびれるあこがれる、昔かたぎのお土産屋さん──。洗練という言葉とは程遠い次元にあるギトギトしたクドい掛け軸や、やけに触り心地がいい毛束のキーホルダー、物騒な木刀にセクシー湯呑etcがビッチリ並んだ東京タワーの土産物街に私は心臓を撃ち抜かれた。

在りし日の修学旅行以来目にする昭和な土産物店が織り成す混沌とした世界観の何もかもに目移りしている最中、一緒だった皆が休憩処でたむろしている事に気が付いた。ヤバい、皆もう帰りたそう!しかしこのラインナップが刺さってるのは自分だけかぁと軽いショックを受けつつも、『東京観光記念と書かれた煌びやかなケースの中に 手紙を読みふける芸者の様子を閉じ込めた物体』…とにかく文字での説明が面倒な何かを手に取った。

東京土産と言い張る強引な記念品。手紙には何と書いてあるのだろう、女の顔からは何の感情も読み取れない。商品の企画会議はどうなってんのか、客は何を思ってこれを買うのか…これひとつで幾つもの疑問と妄想が湧いて出る。お土産として作られたにも関わらず、物数奇な嗜好を有する少数派にしか響かない非日常的な佇まい。9割『無駄』でできたソレに惹かれながらも購入を躊躇していると、私と同じように何かを手に取り悩んでる風な…一緒に蝋人形を見に来た同志の1人が、そこにいた。

「ここのお土産めっちゃいいですよね!もっと見てたいんだけど皆を待たせてるみたいだから、この訳わかんない人形を買うべきかどうか迷ってて…」
「それ絶対買ったほうがいいよ!!」
「ですよねー、しょっちゅう来る所でもないし、、、買います!…ところでそれは?」
その人が持っていた忍者カップを指すと
「や~実は迷ってて…食器要らないんだけど、この逆輸入っぽい忍者がイイんだよね~」
「NINJAね…それは買いでしょ‼」

 

旬のあの人も

 

互いにグッときた物を讃え推し合いえらく盛り上がった後、迷いなんてそもそもなかったかのようにレジへ向かった。あの日あの時あの場所でプッシュされなかったら、人形を諦め皆の元へ戻り、自分が惹かれた物が何なのか気付くこともなかったのかもしれない。この一件で『コイツら』の漠然とした良さを分かってくれる初めての理解者に出会えたのと同時に、自分が欲しいと感じる物の方向性がこの時定まったように思う。もれなく「トゥクトゥーン!」と脳内プレイされてしまうような劇的な巡りあわせだった。

──その後程なくして 趣味の物を集め売る行商出店をしようと思い立ち、『駄民具』という造語を考え その魅力を世に広めんとする活動(ダミ活)が始まった。

 

語源

駄民具の語源は、「値うちのないもの、つまらないもの、粗悪なもの」などの意味を持つ“駄”と、“民具”(※1) とをかけ合わせてできた造語である。(※1 民具とは、古くから民衆が日常生活の中で必要に応じて作り使ってきた道具を指す)

駄民具という言葉が生まれた発端は、店の屋号を何にしようかと考えていた時、そもそも自分が集めている有象無象の品々を端的に表す言葉がまだこの世にない事に気が付いた。やりたい店のタイプは雑貨屋、おもちゃ屋、土産物屋、骨董品店、ジャンクショップ、そして的屋に露天商…これらの要素をひとつまみして ごった煮に。扱う品は使途不明なオブジェや安っぽい日用品、パチモン玩具にうさん臭いカルトグッズ、その他 扱いに困る物全般──我ながら節操ナシのこの顔ぶれに共通しているのは、駄目で無駄な所じゃなかろうか…?どうやら自分がグッとくる『何か』には“駄”が潜んでいるようだった。

 

世界の駄民具

 

駄玩具(だがんぐ)というジャンルが既にあるものの、オモチャに限らず使えそうな古民具(こみんぐ)という単語を思い浮かべた突如、シナプスが繋がり奇跡のマリアージュ!ついにあの『駄民具』という名言が降臨した。これでようやく線引きが曖昧だった物をたった一言で片付ける事ができ、これ以上ないほど腑に落ちた瞬間だった。

 

駄民具に惹かれる理由

駄民具に惹かれる理由? もちろんオーラに導かれて…という風に済ませる事もできるが、入れ込む原因のひとつに『焦燥感』が挙げられる。前述の東京タワー蝋人形館と共に、屋上遊園地も恐竜シアターも同時に姿を消し、跡地は現代のニーズに合わせ大幅リニューアルした。その流れからあの年季十分な土産物街が逃れられる訳もなく──残念ながら当時の光景を見ることはもう叶わない。

失われし情景と駄民具を探し求め各地を回ったが、街全体が退廃し寂れきっているか ファスト風土化(※2)を遂げており、まだ昔の片鱗が残っていたとしても僅か数年でその2択を余儀なくされている。(※2 ファスト風土化とは、多くの地域で同じような風景になっていく様を指す)それは日本に限ったことではなく外国でも進行している。放っておけば朽ちるか、捨てられるか…どこもかしこも待ったなし!

この調子で誰もが無用な物を省いていけば、駄民具に明日はない。無常の荒波に揉まれ 焦る心が収集欲を駆り立てる。しかし、不景気にファスト風土に断捨離ブームこそが駄民具を浮き彫りにした。逆境の立場にあってもなお、大衆に媚びず退かず顧みぬ 孤高の存在として私の目には映っている。

「いつまでも、あると思うな親と駄民具」──これを聞いて焦る人を増やしたい。