実家の玄関にちょこんと佇んでいる。もしくは、おばあちゃん家の棚の上から見守ってくれている。だるま、福助、こけし、おめん、赤べこなどの「郷土玩具」からは、そんなイメージが浮かぶ。長年の歴史や伝統を守りながら、新しい郷土玩具を発信し続けているのが、福岡の郷土玩具専門店の「山響屋」だ。山響屋の店主・瀬川信太郎に郷土玩具への偏愛を語っていただく連載企画の2回目は、自身も絵付けを手がける「だるま」について。

私たちは小さい頃から絵本や漫画などで、だるまをみています。個人的にはだるまが他の縁起物とがっちゃんこしているやつが好きっす。例えば、招き猫とくっついちゃってたり、宝船とくっついちゃってたり。さらに縁起が増す感じがしていいんですよ。

大人になればTVの選挙速報で当選した方がだるまに目を入れるところをみることになります。意識せずとも日常の身近なところにいるだるま。そのだるまにはモデルとなった人物がいました。禅の開祖として有名な天竺生まれのお坊さん”達磨大師“です。

座禅の果ての姿

達磨は今から1500年前にインド南部の国の第三王子としてうまれます。仏教の教えをインド各地から中国まで布教の旅に出ます。中国に渡った達磨は少林寺に住みつき、裏山の洞窟で岩壁に向かい九年間座禅を組んで修行に励みます。この修行の姿が現在、私たちがだるまと呼ぶようになる縁起物になります。

死後、達磨は「偉大な師」という意味で高僧の敬称として使われる「大師」をおくられました。鎌倉時代に達磨大師の説いた教えが日本に伝わり、禅と呼ばれ、禅宗という宗派がうまれました。

今の私たちが知っている赤くて丸いだるまはこの達磨大師が座禅を組んだ姿が簡略化されたものになります。

ではなぜ、だるまが赤色なのかについてですが、「赤色」は疱瘡除けのおまじないとして中国から伝えられました。疱瘡は今でいう天然痘のことです。高熱がでて、失明や死にいたる怖い伝染病でした。治っても顔にブツブツが残ってしまうことがあり、当時はとても恐れられていました。治療法が発見されていなかった時代は、自然に治癒するのを待つしかない病気として諦め、神仏に祈ることが唯一の治療法だったのでしょう。それが「赤色」の迷信的な治療法でした。

「赤色」は人工では出せない色で、それだけに特殊なパワーを秘めていると考えられていたようです。この考えは中国、アジア全般ばかりでなくヨーロッパにもあったようです。
郷土玩具でも有名な「赤べこ」が求められるようになったのもそういった風習の名残です。

だるまというと「七転び八起き」という言葉を連想する方が多いと思います。これはだるまが今の形に簡略化される間にできました。唐の時代、酒胡子というの木製の遊具が生まれました。「胡」は中央アジアより西のトルキスタンなどの西域からの伝承を表す言葉。
「子」 は子供という意味から転じて遊び道具という意味です。酒を飲むときに使われるおもちゃはやがて明代になると紙で作られるようになりました。倒れても起き上がる張子の玩具の爆誕です。これが「起き上がり」の始まりといわれています。老人や娘、子供をモチーフに様々な起き上がりが作られました。老人の起き上がりは不老長寿を表す縁起物として扱われました。

時代は変わり、室町時代。室町幕府は明と正式な貿易をはじめます。幕府の派遣する船には民間の商人も同乗し、いろいろなものを持ち帰ったのです。その中に「起き上がり」もありました。室町時代に中国から伝わった起き上がりは、京から東へ西にと伝わり、各地で子供のおもちゃとして広がっていきました。江戸時代にはいり、達磨大師の顔をした起き上がりが誕生しました。達磨大師の禅画が世の中に広まった由か、たまたま子供が落書きしたのをヒントにできたのかもしれません。怖いヒゲヅラの達磨大師が倒れたり起き上がったりする仕草が子供たちの人気者になりました。倒れても起き上がるというとこから「七転び八起き」という言葉がうまれました。

私たちが今「だるま」と呼んでいるのは。

京都から全国に達磨大師の教えは禅という宗教で、起き上がりはおもちゃとして、疱瘡避けのおまじないは赤いものとして全国に伝わっていき、長い年月をかけてそれぞれが江戸に伝わり、この三つを合体したおもちゃ「だるま」が江戸中期に完成しました。
私たちが今日「だるま」と呼んでいるのは「達磨大師が描かれた起き上がり」ということになります。だるまが今の姿になるまでにはとてつもない時間がかかっていますが、何より驚くのはそんな年月の中、誰も必要ないと思わなかったところです。
もしこの年月の中で誰かがこれは必要ないものと判断していればそこで終わり、現在に繋がっていなかったところでしょう。

今では日本各地で様々な形をしただるまが作られています。え?様々な形?選挙のときに赤くて丸いだるまじゃないの?ってほとんどの方が思われると思いますが、江戸でできただるまは日本各地に伝わっていく中でその土地によって様々な進化をしていきます。

まずみんなが知っているだるまは群馬県高崎で作られています。日本のだるまシェアのほとんどが高崎だるまです。だるまの目入れもここのだるま。むしろ目入れをするだるまはほぼ関東地方と岡山しか作られていません。そもそも達磨大師の座禅姿を表わしたものですから、最初は目が描かれていました。江戸だるまにも目は描かれていたのです。目が描かれなくなったのには諸説ありますが、客からこの目は気に入らないと難癖つけられただるま屋がいっそ初めから白目にし、逆に客が気に入った目を描き入れてもらえれば、描く手間も省けるし、客は自分の好きなだるまができあがるからwinwinやんって説が個人的には気に入ってます。

それ以外の地方のだるまはもちろん目入りです。さらにはハチマキしていたり、だるまと恵比須さんや狐が合体していたりと当初の達磨大師からはかけ離れたものがたくさんあります。だけどそこがだるまのもつおおらかさで今まで愛されてきた証なんじゃないかと思っています。そもそもいいものを吸収してうまれただるまだからこそ、それいいじゃん。とりこんじゃお的な。

だるまだってスケボーがしたい。

そんなだるまはさらに進化?現代風に変わっていってます。スケボーに乗っているだるまや、手足が生えて応援しているだるまなど、怖い顔から日常に寄り添う相棒みたいな存在に。

僕が最も気に入っているだるまは、地元長崎の源三だるま。

源三だるま

源三だるまは廃絶していて、なかなか入手できないんですよ。いつかコレクションに加えたいなーと思っていたのですが、ようやく去年手に入れたんです。赤くない、丸くない、もはやだるまの要素がほぼないところが最高……さぁさぁ、そろそろだるまが気になってきた頃じゃないですか?笑

だるまを買おうと思ったときにじゃーどこで売ってるの?についてちゃんとお答えします! 東日本の皆さんは安心してください。酉の市のだるま版「だるま市」が年明けから開催されています。じゃー西日本は?残念ながら西日本はだるま市が広島しか開催されないので、そこに行くか、酉の市の西日本版「えべっさん」で購入することができます。
※西日本は酉の市がない変わりに、年明けに各地の恵比須神社で「えべっさん」と親しまれている縁起物市があります。

あー、おばけのだるまとかあったらいいのになあ(笑)。