あんきょ【暗渠】道路などの地下に埋設した水路を指す。

暗渠に関するさまざまな情報を発信し続ける、髙山英男・吉村生によるユニット「暗渠マニアックス」による連載企画。連載最終回となる、第六回は吉村生が語る「暗渠を通して見える地域性」について。

 

 

六回目は、吉村にバトンタッチしてお送りします。今回は、暗渠を通して広がっていった世界について、書いていきたいと思います。

関連記事はこちら

 

身近な場所から次第に広がる世界

Vol.2で書いたように、私の原点は桃園川だ。

 

桃園川名物、愛され河童。世話をしている人がいるらしく、身につけるものが変わるので目が離せない

 

はじめは、支流を追うだけで時間も労力もかかるため、桃園川をネチネチと調べることを中心に活動していた。桃園川は神田川水系であるが、当初はわたしの住まいや通勤先などが全て神田川水系に位置していたため、他の暗渠を見にゆくにしても、親近感のある神田川水系を中心に回っていた。ルーツを探る、足元を固める。そんな感覚が近かったのかもしれない。なにしろ、土地勘のある場所の暗渠は、それと気づくだけで、じゅうぶん嬉しかった。
そうするとそのうち、他の水系も見たくなってきた。桃園川を調査し終えたわけでは全くなくて、このひとつの暗渠についてだけでも、きっと一生のつきあいになるのだと思う。つまり、桃園川との日常的なつきあいを拠点としつつ、新たな場所で新たな暗渠と出会い、違いを味わい、謎を見つけて解くことも、楽しみに加わっていった。

 

暗渠を探すための旅

本業の仕事のほうで、時折出張が入ることがある。暗渠を探求し始めて1年経った時、珍しくアメリカへの出張が入った。西海岸の4都市をまわる行程で、自由時間はほぼなかったのだが、サンフランシスコで少しだけ探索の時間をもらった。当時はまだ要領がわからず、地形や地図の下調べをしていなかったため効率も悪く、漫然と徘徊して終わった。以降も出張の際には時間ができれば暗渠を探しに行っているが、とれ高が確実に異なるのはやはり、「暗渠を探すための旅」に行くときである。
日本における地方はもちろん、台湾、香港、マカオ、ハノイ、ウラジオストクなどにも、暗渠を探しに行った。暗渠を介して知り合った人がイギリスやアメリカに住んでいたり(残念ながら、まだ日本でしかお会いできていないのだが)、ハノイに転居したり、台湾に住む日本語が堪能かつ暗渠が好きな友人ができたりと、暗渠人脈も国際化していく。うち、台湾とハノイの探訪記録は『暗渠パラダイス!』に一部記載した。
たとえば、台北中心部は、暗渠が意外なところに存在する場合があって、必ずしも日本のメソッドが通用しない面白みを感じる。

台北にて、街中に突如現れる水路。中心部には、こういう規模の水路がズボッと現れて、また集合住宅の下に潜っていく風景がある

 

一方で、高雄には川の上に市場が建つという、那覇に似た風景があった。

 

高雄にある市場。水路の上に細く長く続く。その雰囲気は、那覇のガーブ川の上にできた水上市場とよく似ていた

 

香港の街中を通る暗渠も、長細公園や公共施設が連なり、日本のそれと似ていた。ハノイでは生活排水を流す暗渠蓋が日本のコンクリート蓋とよく似ていて、河川の暗渠化はまさにこれから始まるところだった。海外では、資料を探せない、あっても読めない、という境遇となるため、ひたすら地形を感じ、地図を睨むという、異なる姿勢で挑むこととなる。まるでトレーニングのようで、何かが研ぎ澄まされてゆく。(ちなみに台湾は、古地図アプリが手に入るので助かる。)
基本的にはどのような都市にも暗渠はあるのだが、唯一、マカオでは見つけることができなかった。

 

マカオにあった蓋。残念ながら電気系統が入っており、暗渠ではない。「騙されないぞ」と言いながら歩いた

 

そういう発見もある。

 

地方都市の暗渠

もっと遠い国にも行きたいけれど、そこまでまとまった休みを取ることができていない。次は韓国に、と申し込もうとしたあの春、コロナウイルスが流行し始めたのだった。
最近は、休みが取れる時には、地方都市に行くことが多い。ありがたいことに、地方の暗渠に関するイベントや執筆がらみで行くことも増えてきた。イベントや執筆で行くときには、暗渠マニアックスのもう一人、高山氏と一緒に現地へ赴くものの、別行動を取ることも少なくない。なぜなら、ピンとくる場所が違うからだ。おのおの気になる場所へいき、満足するまで探索し、後から写真を見せ合って「そっちの方が面白そう」とか「これは素敵」などと感嘆し合う。
先日は徳島で、古地図をたよりに訪れたところ、川らしい風情の残る道が四方にとめどなく続くという、あまりにも興奮した場所があったので、予定を大幅に変えることになってしまった。が、その日の暗渠探索に「やめられない止まらない終わらない、徳島暗渠蟻地獄」とタイトルまでつけるに至り、ドヤ顔で報告をした。

 

徳島で、ひとり時間を忘れてかけめぐった暗渠がこちら

 

暗渠サインの違い

地方に赴き現地を見たり、地元の人の話を聞いたりしていくと、普段見慣れている暗渠サインを見かけなかったり、東京メソッドが使えないことに気づいたりもする。
私は東京の西側を主なフィールドにしていたわけだが、同じ東京でも、東側とはだいぶ違いがある。東側では地形がものを言わないし、直線的な人工水路が多い。そして暗橋が多い。その東京の東側の感じは、平野を伴う地方の県庁所在地に近いと思うことが多い。

 

新潟市中心部にある西堀通りと東堀通りはかつて堀だった。そこに架けられていた橋が保存されている。これは西堀に架かっていた勝念寺橋

 

一方で、私の郷里である山形市も県庁所在地ではあるが、扇状地に江戸時代の用水路が張り巡らされているため、だいぶ暗渠の様相が異なる。

 

山形駅前、自転車道に擬態する蓋暗渠。山形五堰という、江戸時代に作られた用水路の一つであり、市内のどこにでも張り巡らされている

 

山形市では暗渠蓋の下には生きた用水が流れているし、橋跡はまず見かけない。谷地形も車止めも銭湯もないため、暗渠サインの乏しいエリアといえるかもしれない。
用水大国、金沢市でも暗渠の中に用水が流れているケースが多いが、同じ雪国でもやや違いがあって、金沢暗渠サインといってもいい鉄板の蓋は、実は開けることができ、雪かきをした雪を入れていたと言う人がいた(ただし、世代や地域で異なるようだ)。

 

金沢市内の用水路暗渠には、このようにところどころに鉄板の蓋が混じっている

 

山形市でも農閑期で水の止まった開渠に雪を捨てるが、暗渠蓋を開けることはないので、興味深い違いである。
また別の用水大国、静岡県島田市に行くと、今度は大井川沿いの平地に用水が張り巡らされているのだが、とりわけ緻密で、水車の跡が多かった。また、パルプやお茶の工場に暗渠が出たり入ったりするさまもよく見かけた。
六甲山地を背負う神戸では全くありようが異なっていて、暗渠といえば「地下河川」を指す。急峻な地形での水害予防が主な役割だ。そして河川名の書かれたマンホールが、独特の暗渠サインといえよう。
このように、地域でも暗渠サインが異なることがあり、その背景には地形が影響している場合もあれば、よくわからない場合もある。その地域ならではの暗渠サインを見つけて堪能していると、その街にますます愛着が湧くし、解けない謎が残ると、また行かねばという気になってくる。
と同時に、翻って桃園川と重ねたり、比べたりすることで、ますます自分の足元への理解が深まりもする。

そんなふうに、わたしは「暗渠を探すためだけの旅=暗渠旅」を繰り返すだけでも、一生楽しめるような気がしている。根詰めて働いた後のビールが美味しいように、人生に時折挟まれる、暗渠旅のこの輝きよ。
さて、次はどこに行こうかな。