お笑いコンビ「馬鹿よ貴方は」のボケを担当している、平井“ファラオ”光に<偏愛>している物について語ってもらう連載企画。第三回目は、日本画家・上村松園について語っていただいた。

世界的ロックンロールバンドから日本画家・上村松園へと

5PM Journalさんでのコラム、キティちゃんローリングストーンズと続いて第3回目は、念願の日本画について書かせていただけることになった。

正直これはなかなかに勇気のいることだと思う。なにしろ日本画というジャンル自体、現代においては非常にニッチな世界というか、スルーされがちなジャンルだからだ。
日本画の美術館に行っても客層の9割は人生の大先輩方で(ガラスとの距離感が掴めずよく頭を衝突させていらっしゃる)、若い世代で美術に興味を持つ人も大半はまず西洋画に目を向ける。まあ引き算の美学を根底に持つ日本文化が、情報過多な現代社会でその深みに気づかれないのは哀しいかな必然なのだろう。

一般的にも名の知れた日本画家といえば、葛飾北斎や歌川さんとこの何人かが挙げられるくらいだ(彼らの主戦場は浮世絵だし彼らの時代には日本画という言葉自体なかったが)。
ただそれも結局ヨーロッパで起こったジャポニスムによって浮世絵が世界に影響を与えたおかげで、「世界で認められた」というキャッチーな情報をもって俗なバラエティなどでよく取り上げられるからだろう(日本人の外国コンプレックスがよく表れている)。

確かに北斎も歌川も凄い。それは間違いない。特に北斎なんかは僕自身トップクラスで大好きな画家の一人である。しかし日本画の世界には一般知名度こそ低いが、北斎にも匹敵するレベルの画家がまだまだたくさんいるのだ。

​​そして今回はそんな数いる日本画家のなかでも、僕が個人的に最もロックでかっこいいと思っている画家、上村松園(うえむらしょうえん)にスポットを当てて書いていこうと思う。

“美人画”一筋の画家

ただでさえ需要の低い日本画の中で、さらに特定の画家について書くことを許してくれる5PM Journalさんはエンタメサイトの鑑だと思う昨今です。

さて、上村松園は明治~昭和にかけて活躍した女流(これ重要ポイント)画家である。

絵の題材は生涯を通して専ら美人画一本。日本絵画の歴史上、美人画といえばまず松園の名前が挙げられるほど、美人画においてずば抜けた才能を発揮した人である。

モチーフとしては、当時の社会における様々な立場の女性(多くは庶民の日常における一場面)や、小説などの物語に登場する女性だったり、あるいは紫式部などの歴史上の女性だったりと様々だ。

明治期以降は西洋画が日本に入ってきたことで西洋画の影響を取り入れた画家も増えたが、松園はあくまで伝統的な日本の画風を基盤とし、そこに独自の個性を乗せることにこだわった。
ゆえに背景は描かず、余白を設け、日本画の真髄の一つでもある空気感や情緒を出しつつ、モチーフとなる女性の魅力を最大限に引き出すことに成功している。

具体的にいうと、松園は女性の外見的な美しさだけに留まらず、内面の美しさをも描き出しているのである。
まさにこれこそ松園の描く美人画の最大の魅力であり他の美人画と決定的に違うところなのだが、松園の描く女性を見ていると、そのシチュエーションにおける女性の繊細な感情や、背景となる人生そのものまでもが見えてくるのだ。

 

 『娘深雪』

代表作の一つでもある『娘深雪』を例に取ると、モチーフは歌舞伎などの演目となっている『朝顔日記』のヒロイン・深雪で、恋人からもらった扇に見入っている最中、人の気配を感じ、慌てて扇を懐に隠す深雪の仕草を描いている。このふとした瞬間の感情を露骨に表情に表すのではなく、あくまで画面全体の空気感で感じ取らせ、なおかつその空気感により深雪の奥ゆかしき人間性やバックストーリーまでも想像させる描き方をしているのである。

これ以外の絵においても、女性の人生における様々なシチュエーションの中での繊細な感情、意志、そして人間性を押し付けがましくなく、あくまで気品をもって伝えてくれている。それが上村松園という画家なのだ。

それを可能としているのは、やはり松園自身が女性であるということが大きいと思う。当然ながら松園の生きた時代というのは、今以上に女性が社会で立場を確立するのが難しい時代だった。
そんな時代にあって松園は、あくまで女性としての気品や強さにこだわり続け、画家として戦い抜いた人なのである。
例えば『遊女亀遊』という作品では、当時幕府のお偉いさん方でも一切頭の上がらなかったアメリカ人に身を売られることになった実在したらしき遊女・亀遊が、大和撫子としての誇りを守るために自害するシーンが描かれている。そんな彼女を題材とするところに松園自身の女性としての気概も伺える。
また後に展覧会で、おそらく松園の活躍に嫉妬した何者かによって亀遊の顔の部分が鉛筆でぐちゃぐちゃに落書きされるという事件も起こるのだが、松園は「絵を汚さずに私の顔にでも墨をぬって汚してくれればよい」と毅然と言い放ち、展覧会の事務員に朝のうちに直すように言われてもあえて直さず、そのままの状態で展示させたという話も残っている。

かっこよすぎやしませんかねえ?

他にも重要文化財に指定されている『序の舞』では、「優美なうちにも毅然として犯しがたい女性の気品をかいた」と本人が言っているように、まさに日本人女性の持つ芯の強さが、絶妙な緊張感とともに描かれている。

 

『序の舞』

「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願」。
これが松園の信念である。時代背景や当時の女性の社会的立場を考えると、これほど純粋で力強い信念はない。そして彼女の描く多くの女性の根本的なモチーフとなったのは、彼女の理解ある母親でもあった。

そんな信念を貫き通した結果、彼女は女性として初めて文化勲章を受章し、帝室技芸員(今でいうところの人間国宝的な)にも認定された。
彼女の登場以降、女流画家の活躍が目覚ましくなったり、その名前にも彼女の影響を感じさせる画家が増えたりもしたくらいなので、その存在の重要性たるやである。
また同時期に同じく美人画で名を馳せた鏑木清方(かぶらききよかた。♂)という画家もおり、僕自身大好きな画家だし、美人画においては「東の清方、西の松園」といわれ松園と二分する人気を博していたが、やはり美人画においては最終的なところでは松園に軍配が上がると思う。

ちなみに上で挙げた例以外に個人的に特にお勧めの作品は、『雪月花』『清少納言』『紫式部図』などがある。どれもやまと絵(日本絵画の伝統的な技法)に基づいた美人画である。息を呑むほどの美しさで、まさに「香高い珠玉のような」美人といえる。自分がやまと絵美人に弱いというのもあるが。

昨今は伊藤若冲や鈴木其一など、再評価が高まる日本画家も増えてはきているが、まだまだ一般的に浸透しているレベルでは全然ない。
いずれなにかをきっかけに、日本画が一過性のブームとしてではなく、世界最高レベルの芸術としてその本質的な価値を見出される時代がきてほしいと心から願う。そうなれば上村松園が見逃されるはずがない。

信念の人、上村松園。彼女の反体制的な生き方は、今でいうところのロックンロール以外の何物でもない。
それも薄っぺらいアンチモラルに走ることなく、表現者らしく作品を通して戦い続けた“本物の”ロックンローラーだ。はっきり言ってキース・リチャーズよりもかっこいい。

やはり彼女のように芸をもって我を伝えることこそが表現者の本懐なのだ。

というわけで信念ある者だけが叫べ。

ロックンロール。