会社員の傍ら、週末になると秘湯どころじゃない「未発見の温泉」を求めて道なき山々を探索。なぜそんな活動を続けるのか。快適な旅館の湯船とは180°違う温泉体験を求める”偏愛”趣味の魅力を紹介する。

「未発見の温泉」の探し方

山に分け入って、まだ人類に見つかっていない未知の温泉を探し出して”史上一番風呂”に入浴する。これが僕の目標だ。活動名を『前人未到温泉』という。ただ闇雲に山の中を探し回っては見つかるはずもない。人工衛星が捉えた地表のサーモ画像を基に地熱の高いエリアを探し、国土地理院地形図やGoogleアースを使って怪しいポイントを絞り現地を探索する。もちろん探す場所は道なんてない山深い場所であることも多い。

 

温泉探しは宇宙から地球をじっくり見つめるところから始まる。

 

といっても僕は冒険家でもなければ、研究機関に勤めているわけでもない。ただ週末に趣味として温泉を探している。もともと山登りを趣味とする中で、自分の想像を遥かに超えて日本中のいろんな山奥に温泉が湧いていることを知った。特に温泉好きというわけではない僕は箱根や草津といった著名な温泉地しか知らなかったので、そんな秘湯の数々に驚かされたのだが、一方でこんな疑問が頭に浮かんだ。日本の国土の7割は森林。我々のよく知る温泉は残り3割に湧いているということだ。ということは、人の目に触れず山の中でただコンコンと湧き続けている温泉がまだたくさんあるのではないか、と。

そんな中、長野県・北アルプスの山の中にグツグツと熱湯の温泉が湧き出していて、それを川の水と混ぜて湯舟を作って入浴できる、野趣あふれる場所があることを知った。「湯俣温泉」という場所だ。

 

湯俣温泉への道。往復5~6時間ほど山を歩かないとたどり着くことは出来ない。

 

深くて荒々しい谷間を流れる青い川と湯気をもうもうと立てて湧く温泉、日本にこんな場所があるのかと感動した。温泉施設の湯舟とは全く違う、人が手を加える前の本来の温泉の姿。そこでの入浴は僕にとって忘れられない体験となった。

 

湯俣温泉の「噴湯丘」。奥にある白い玉ねぎのような部分は見上げるほど大きく、絶えず温泉が湧きだしている。国の天然記念物。

 

それと同時期に奇跡的なもう1つの出会いが。書店でたまたま手に取った書籍にはNASAの人工衛星が捉えた日本各地のサーモ画像が収録されていたのだ。『これがあればまだ見ぬ温泉を探せるはず』。いてもたってもいられず本を購入して、著者に連絡を取りデータを取り寄せ、その温泉のありかを示す「宝の地図」をもとに山を探索する日々が始まった。それがこの前人未到温泉活動を始めたきっかけだ。

 

山の中で見つけた水たまりのような大きさの温泉。これでも触れないくらい熱い。

 

事前にじっくりとPC画面と向き合って場所を検討&情報を収集し、現地に向かう。温泉探しを行いたいと思っているエリアに辿り着くまでも一苦労だ。時には100m進むのに何十分もかかるような密度の濃すぎる藪を進むこともあれば、登山靴から沢歩き用シューズに履き替えて山奥の沢を遡ることもある。その中で感じる匂いや沢の水の色の変化なども手がかりにして探索を行う。そうして辿りついた先にある温泉は40℃近くあって快適に肩まで浸かることができて、それまでの疲れが一気に吹っ飛ぶ…というようなものはほとんどない。そんな温泉が見つかれば奇跡だ。むしろ、熱すぎてとても入れないとか、ちょろちょろとした水深2cmの流れで水温も川の水よりは温かいかな、みたいなことの方が多い。意を決して服を脱ぎ、横たわると背中はほんのり温かいが体の前面は寒い。起き上がって寒さに震えながら、泥と枯れ葉と温泉成分でドロドロになった体からタオルで汚れを拭き取って再び服をねじ込んで帰途につく。文面にすると散々だが、その興奮はとてもここで伝え切れるものではない。

 

温泉に浸かっている部分はちょっと温かいが、外気は凍えるほど寒い。

入浴するのに勇気のいる見た目の温泉もある。

ガスマスクが必携!?山で温泉を探すのに必要な装備

当然、登山道でもない山の中を探索するのには様々な危険や懸念が付きまとう。遭難、火山性ガス、熊…それぞれに出来うる限りの対策をして臨まなければならない。登山届けの提出にGPSアプリなど山登りに必要な装備はもちろん、何かが起こってしまった時のための山岳保険や、ココヘリ(遭難時捜索サービス)への加入は行なった上で集中力を絶やさず行動する必要がある。

登山道以外をフィールドとするアクティビティとしては沢登りやロッククライミングなどもあるが、それらにはないこの活動特有の危険として「火山性ガス」がある。温泉は火山と密に結びついてるので、そんなエリアでは火山性ガス、特に硫化水素に気をつけなければならない。誰しもが温泉地で嗅いだことのある”硫黄臭”、あの正体が硫化水素だ。もちろん温泉地に漂っているレベルの硫化水素濃度であれば何ら問題はないが、温泉の源泉近くでは温泉地の比ではない濃度の硫化水素が噴出していることも。日本ではたまに硫化水素での死亡事故があるだけに見知らぬ山では余計に気をつけなければならない。僕の場合は常に硫化水素検知器で安全な濃度か確かめながら山を歩いているほか、いざという時のためにガスマスクも携帯している。経験上、硫化水素は匂いの強さとガスの濃度が全くと言っていいほど相関しない。少し匂いがする程度でも実際は検知器がけたたましく鳴り始めたこともあるので硫化水素検知器はとても重要な装備として重宝している。

 

硫化水素濃度の高い場所ではガスマスクをして入浴することも。温泉はお尻の下にある。

 

また、熊との遭遇も恐怖だ。こちらの存在を知らせるための熊鈴をつけた上で、出会ってしまった時のために熊撃退用スプレーをザックの手に取りやすい位置につけている。あえて「恐怖」と主観的な表現をしたのは僕が実際に熊に襲われたことがあるからだ。これまで一度だけ山の中で熊を見たことがあるが、その4秒後僕は熊に襲われ、血だらけで山を降りて救急車で病院に運ばれた。それ以来、人気のない山中では音色の違う熊鈴3つをつけて、たまにホイッスルを吹いて自分の位置を全力で知らせながら歩くようにしている。山に行くときは熊の領域にお邪魔していることを忘れてはいけない。

 

熊に襲われた直後、傷の具合を確かめようと撮った自撮り。

 

山での危険以外にも気をつけないといけないことはある。当然、私有林に勝手に入ってはいけないし、国立公園に指定されている地域では高山植物や湿原を踏み荒らすようなことはあってはいけない。保護エリアでは温泉があったからと言って、スコップで即席の湯船を掘るようなことも避けた方がいい。どこが保護エリアなのか事前の情報収集も重要である。

…いや、気をつけないといけないことが多すぎる!こんなに注意すべき点が多くて、しかも薮を漕いだり大変な思いをして行くのに、最終的に入れる温泉の水深は2cmで冷たい。何も見つからず泥だらけ&汗だくで帰る日だってある。それなのになぜ温泉を探すのか。それは簡単。めちゃくちゃ楽しいからだ。その魅力をきちんと伝えないことには終われないだろう。

次回はこの活動の中でたどり着いた、山の中にただ湧き続ける野生の温泉「野湯」の魅力を紹介する。