たまたま受かった地元の短大の漆工芸コースで漆を学び、そのままの流れで漆職人に。その後、漫画家になる夢を追いかけて上京し、念願の漆をテーマにしたギャグ漫画の連載がスタート。一時期は漆職人と漫画家という二足のわらじで活動していた堀道広。この連載では自由で奥深い金継ぎの世界を紐解きつつ、超私的な見解をもって金継ぎの魅力を深掘りしていく。第1回のテーマは「そもそも、金継ぎって何?」。

金継ぎは、人の気持ちを投影した鑑になる。

金継ぎって、室町時代から茶の湯の文化とともにあった修理の技法なんですけど、古くは、縄文時代の人が漆と砂を混ぜて土器を修理したものが見つかっていたり、そういうのも「金継ぎ」の祖みたいなものらしいです。でも、ここ10年ほど、なぜか「SDGs」「エシカル」やらの言葉とともにブームのようになっていて、世界でも注目されるようになったり、もともと自分がいた漆工芸も、尻すぼみの業界であったわけなんですが、こういう活路があったのかと、あたふたしているように思います。

さて、金継ぎの魅力ってなんなんでしょうか。自分が金継ぎに対して個人的に思うことを箇条書きしてみました。


・壊れてしまった器に再び命を吹き込むことで達成感を味わえる。
・美しく金継ぎ修理ができた時の嬉しさ。
・単純作業としての面白さ。無心になれる時間。
・器よりも、直すこと、直しているという自分が好きな人。
・器の持ち主の喜ぶ顔を見るため。
・生業、お金のため。


いろいろあると思います。 
一生懸命直した器には、壊れる前より愛着が生まれます。極論、金継ぎってその器に対する人の気持ちを投影したもの、鑑なんじゃないかと思うんです。性格診断と言ったら大袈裟かもしれませんが、例えば私は、金継ぎからこんな分析をしています。

 

・自分の大切な人の大切な器を直したいと思う人は、気持ちの優しい人だな、と思う。
・普段使いの器がガンガン割れてそれを金継ぎしている人は、忙しく充実した生活を送っているのだな、と思う。(そりゃそうだ)
・作家ものの器をたくさん直している人は、そういう器が好きで、センスの良い生活をしているから、センスの良い人だと思う。(そりゃそうだ)
・古い器を直してオシャレな金継ぎの写真を撮り、それをSNSにあげてばかりいる人は、金継ぎより、そういうオシャレなことがやりたいんじゃないだろうか、と思う。(偏見)
・自然の土でできた陶磁器(の食器)に対して、天然塗料である漆を使わず、合成接着剤で接着して合成塗料などのケミカルなもので修理するのは、作家や職人に対して上から目線というか、優しくない気がする。(偏見)
・金継ぎの線も、女性の眉毛と同じで流行の太さがあると思う。糸のように細い金継ぎをする人は、器の強度とかを重んずるというより、センシティブな性格な気がする。(偏見)

 

偏見たっぷりですみません。

ちなみに、私自身は金継ぎをする際にこんなことを考えています。

 

・大切に直して使ってもらえると器も嬉しいはず、と思う。
・「君は古の職人が作った器に対して、化学的な接着剤で直すのか?君のボク(器)に対する気持ちは、そのくらいなのか?」と問われている気がする。
・古の名もない職人、陶芸の作家が作った器があり、それを差し置いてたかだか修理しただけの者が、我が物顔で「修理しました」と前に出て良いのだろうか?本来は、控えめな日本人の美学が集約された名前も出ない影武者の技術であったわけで。修理した人間が、作った作者より前に出ることが、厚顔なんじゃないだろうか。その人間の器が、器に対する接し方にも表れる。(考えすぎ)

だいぶ極論もありますが、人間よりも寿命の長いはずの器の目線になることが癖になっています。
私の支離滅裂でバラバラな文章は誰か「金継ぎ」して解読してもらえればと思います。