餅つきとの遭遇

世田谷在住40代。普段は写真や映像を撮って生活しています。

10年ほど前のある秋の晴れた夕方、妻をバイクの後ろに乗せて細めの幹線道路を渋谷に向かって走っていた。
とある団地に併設された小さな公園で、人だかりができている。
大抵の場合はそのまま通過するのだけれど、たまたま信号待ちで交通の流れが止まった。
白いもやが見えて、子供が周りを取り巻いている。なんだかすごく楽しそう。
焚き火でもやっているのかと思ったが、公園の入り口に看板があった。
「餅つき大会」
その間5秒も無かったはず。
何が自分の心に引っかかったのかは全く分からないのだけど滅茶苦茶見てみたいという気持ちなり、バイクを降りて近づいた。これが私の餅つきとのファーストコンタクト。

北海道出身の私、稲作文化とは全くもって触れたことなかった。
田んぼ見たことなんて修学旅行の車中が初めてだったし(秋田?)、田植え体験もゼロ。餅つきなんてもちろんやったことはなかった。っていうか見たことすら無かったかもしれない。
その数年後『ゲリラ出張餅つき』と自称して餅つきして回るおじさんになっているとは。人生わからんものである。

 

DIY精神とパーティー好きが餅つきへ向かわせた?

さて、もちつきがあーだこーだと言う前段。そもそも自分がどういう人間だったかを少し。
過剰にDIY精神のある親。ある日駐車場に大量の木材が運び込まれ、畑の隣に小屋を建てているのが割と最初の記憶、低学年のうちからストーブの設営させられたり、風呂が薪と石炭だったり。ないものは何でも自分で考えて作るのが普通のことだと思っていたし、面倒臭いことが逆に楽しいことだという子ども時代をすごした。

そして時は過ぎ、上京し東京生活をエンジョイしていた学生時代。
夜な夜なクラブで遊び呆けていた。自分らでイベントしたい!けど金はない!

99年にヨーロッパ音楽旅行したときにサウンドシステム文化(※)と出会ってしまったのが決定的だった。金が無ければ自分らで場所を作ればいいんじゃないか。友達のイベントで知り合った先輩にスピーカーの自作を指南してもらった。

(※)サウンド・システム (Sound System) とは、移動式の野外ダンスパーティを提供する音響設備、および提供する集団のこと。現在ではテクノやレイヴ、ヒップホップなど、レゲエ以外の音楽ジャンルでも使用されています。自分はイギリスのブリストルやドイツのベルリンなどでみっちり体験しました。

アキバを巡ってパーツを買い漁り、安くて小さくてでかい音の出るそして乾電池で動くDJセットを作り上げたのだった。システム一式をピザ屋みたいなバイクに載せて気ままに公園でパーティーしていたのだった。
どでかい音でさっとイベントができるそのサウンドシステムは結構な割合で稼働し、色々なイベントや時にはサウンドデモなどに駆り出された。でかい低音がどすんと出れば、そこには妙な祭り感覚が生まれるのがとにかく楽しかったのだ。わっしょい。

さてそんな長ーいモラトリアム期も終えてカメラマンとしてせかせかと忙しくなってきたとき、友人のギャラリーから個展のオファーがあった。
1月5日から始まる展示、お正月気分が抜けず、あまり来場者が多くない時期。何か人を呼ぶ企画はないかと考え、人が楽しそうに集っている場面を想像したとき数年前にバイクから降りて見たあの光景がフラッシュバックした。「あの時の餅つき!!」「タダ飯を振る舞えばみんな来るだろう(アホか自分)」ってことは餅つきだ!!オープニングイベントとして「餅つき」をやろうではないか!この日から餅つきのことが頭から全然離れなくなってしまった。

とはいうものの、臼も杵もどこで調達すれば良いのかわからないし、そもそも触ったことすら無かった。
RPGでいうところの装備ゼロ。初心者中の初心者である。

だがしかし、「餅つきやるぞ!」と対外的に言い始めたら、商店街で懇意にしている飲み屋の友人が「あれ?〇〇くんのお店毎年餅つきにきてもらってる人いるみたいだよ。多分今週来るんじゃない?」や「商店街の〇〇が臼と杵を持ってて貸してくれるぞ」とか、建築家の友人が「なんか古民家のリフォームで臼出てきたぞ、要らない?」などなど、餅つきするってことが現代社会でニッチすぎるせいで人によっては深く刺さるせいか、いきなりディープな有益情報を数々ゲットできたのであった。求めよ、さらば与えられん。なんのRPGだよこれは。

 

 

下北沢アートナイトにて/9月中秋の名月に絡めて下北沢の線路跡にて行われたアートナイトにて。
光るウサギの巨大な展示がある、そして場所はボーナストラック駐車場と聞いて、満月を借景にウサギの餅つきをリアルにやれるぞ!と一人興奮してボーナストラックにプレゼンしたところ、イベント主催者の小田急さんに秒で掛け合ってくれて、あっという間に餅つき決定。ノリの良い担当さんに大感謝。当日は200人近くのお子様、大人が集まり盛大な催しになりました。壮大なダジャレを完遂した感あり。

 

 

BAD MORNING! CLUB/小泉今日子さん、近田春夫さんのナビゲートするJ-WAVEの番組TOKYO M.A.A.D SPINの正月に行われたリアルイベントにて。定期開催の本イベント、以前の会に出店していた友人が「次が正月だから小泉さんが餅つきやりたいってちらっと言ってたよ」とのインサイダー情報をゲット。自分がカメラマンになった理由の7割くらいが小泉さんと仕事したいっていうくらいファンなのです。縁あってお会いする機会があり、カメラマンとは一言も言わず「ライブハウスやクラブで出張餅つきやってます」と営業しました。結果速攻でやることになり人生の夢が一気に叶ってしまいました。小泉さん撮りたいカメラマンは一万人くらいいると思うのですがさすがに餅つきできる人は居なかった。その後、写真集を献本したら大変驚かれていました。そして書評で取り上げていただきました。身に余る光栄です。人生のピークタイム!

 

人と人をくっつける餅つき

非常に幸先良いスタート。
先述の餅つきの方を訪れて、早速米の蒸し加減や全体の流れを学び、研修だと称して実際に臼と杵でつかせてもらった。リアル餅つき初体験!Youtubeで予習していたことと全然違うじゃないか!果たして自分でできるのか?これ・・。

そして迎えた素人餅つき本番の日、僕が初心者だと心配した餅つき経験者たちがなぜか大集合。『あれは用意したか?』『俺にもつかせろ』と顔を出てきてくれ、最終的にはギャラリーには7.8人の餅つき猛者が集まってしまい事なきを得た次第。なんだこの餅が引き寄せるこの力は!!
結果、ギャラリーには50人ほどが集まり、3回にわたって代わる代わるもちをつきました。
餅つきでは自分が撮った写真のモデルを一人一人紹介しながら、杵をバトンしていきました。モデル同士が仲良くなったりして、パーティー感、祭り感あってすごく楽しかった。これは・・・楽しい・・。

なんだかわからない一体感を生む餅つき、知らない隣の人や前後の人と話をしたり、なぜかその場にフランクな空気を生み出し、「もち」なだけに、人と人をくっつけるような作用があるぞ。餅的・餅性としか思えない事象。

みんなで一緒に食べる。とても単純なことだけれど、そこには祭りの直会のような、高校の部室のような、社食のような、運動会でのお弁当のような、長年連れ添った夫婦がだんだんなんだか似ていくような妙な一体感が生まれてゆく。単純に同じものをそこでたまたま会った他人同士がシェアして食べているっていうのが面白いし、なんだか和む。
一発で餅つきの破壊力にやられた。

2、3年、ギャラリーで餅つきイベントを開き続けると、友人や知人から「花見で餅をついてくれない?」「ライブの前座でやってほしい」と声がかかるようになった。
それが今活動し続けているゲリラ出張餅つきユニット「もちはもちや」のスタートである。
その名の通り、呼ばれればバイクで全ての荷物を運び、どこでもやるぞスタイルで相当無理めな場所でも断らないスタイルでやり続けた。電源がない、カセットコンロしか使えない、水が出ないなどなど。無茶な要望も面白がって応えた。楽しいから。

考えてみれば、普通、臼や杵はそのコミュニティーやら、個人宅の物置や納屋にあるもので、別の場所へ運んだりしない。その土地に固定されているイベントだものな。わざわざ、えっちらおっちらとクソ重いもの運んでそんな面倒なことする人がいなかったってことだった。
だがしかし、自分はスピーカー持ち込んで野外でイベントやっていた人なのでその辺りの面倒くさいの初期設定の感覚が全くもってぶっ壊れていた。全然面倒とは思わなかったのだ。

 

 

中銀カプセルタワービル内/惜しくも先日解体された昭和の大建築家、黒川紀章先生の代表作である中銀カプセルタワービル内で。最後に住んでいた有志の方にお誘いいただいて搗きました。水道管がほぼ壊れていて水道が使えない、ガス不可、電気容量の低さなど、餅つきには致命的な条件でしたが当方『ゲリラ餅つき』の看板を掲げている以上「できない」はないのでどうにか工夫してやりました。おもしろ建築には面白な人たちが住んでいるのが相場。めちゃくちゃ雑多な面白い人たちが集まっていました。

 

 

花見にて/妻の大学時代の友人が「花見をするのだが、沼田さん河川敷でなんてできないですよねえ?」との連絡。「舐めてもらっては困る!その河川敷はまさか臼より小さいということはなかろうな!スペースさえあればどこでもやるよ!」ということで多摩川河川敷にて。コメを蒸すのにいつも電気式の蒸し器を使うのですが、当日はどピーカン。ソーラーパネルとモバイルバッテリーで蒸し器の電源を確保しつつ無事盛り上げた次第。わっしょい。周囲の人たちの「こいつらは何をおっ始める気だ??」という奇異の視線もまた楽しってことで。

 

受け継いでいきたい『餅つき文化』

餅つきやりたいっていう人が人づてにつながって後を絶たなかった。これ単純にやれる人が全然いないって事なのではないか??確かに臼杵もつってまあ普通の家はないよね。自分は当たり前にやってるけど、この文化無くしたくないよなあと思い始めた。
前述した通りそもそも餅つきは地域の恒例行事だったはず。

東京に出てきて子供が産まれ、ここが地元という意識が芽生えてきたときに同時に感じたのは、町会はじめとするその土地に代々長く住んでいる人たちのレイヤーだった。
何世代も続いてきた伝統や祭りなどがギリギリなくならず保存されている底力みたいなものを感じて、コミュニティーへの関わり方を意識するようになった。そのひとつとして『餅つき文化』も残せないだろうか?

本業の写真家としても、築地市場で働く人々や赤線などをテーマにしてきました。近い未来に「消えゆくもの」「消えてしまうかもしれないもの」にフォーカスしてきたことがぼんやり繋がった。自分の中では餅つきを続けることは写真を撮る行為とほぼ同じこととしてあるんです。
おそらく餅つきは自分の祖父母世代ではまだまだ普通の年中行事だったはず。電動餅つき機見たり使ったりしたことあるでしょう?便利なんですがそれを使いだしたその下の世代でどうやら餅をつくことが断絶している印象なんですよね。核家族化とか地域のつながりが薄くなった?とか色々考えられると思います。

やってみて分かったことですが、餅つきやお祭りってひとりじゃできないんです。必ずほかの誰かの手伝いが必要なんです。昔の人達は顔をつき合わせて誰かに手伝ってもらうことで人間関係を円滑にしたりコミュニケーションを取りやすくしたりしていたのかなと想像します。
小さい祭りを都度やっている気分になります。ハレのインフレ状態!

何百年にも渡って生活の中に普通にあることって、やってる当人は気づかないかもしれないけれど、一歩引いて外から見るとユニーク!ということが往々にしてあると思います。外国のかたが餅つきに参加した時の興味の持ち方や盛り上がりすごいですよ。

どこかで若い世代が技術を伝承しておかないとという危機感があります。
餅研究をしている人も若い人は全然いない。だからこそ若手として立候補します、という感じです、もうオジさんだけど。

もちろんパックされた市販のお餅も便利でおいしいですが、みんなでワイワイついた方が面白いですよ。普段食べているものが、どんな風にできるか。上流から下流まで全行程を見られる機会ってなかなかありません。しかもそれを体験できるのが『餅つき』の良さですね。


昔は家の棟上げの時に餅を撒いてましたよね。今でも1歳の時に餅を担いだりしますよね。縁起のよいことと餅がセットだったはずです。
文献を読むと岩手のとある村では昭和のはじめの頃まで、一年に100回くらい餅をついていたという記録が残っている(めちゃ極端ですが)。ごく普通のことだったようです。

今こそ餅つきのパワーを再確認する時期ではないか!!と思う次第です!
日常に餅つきあると面白いですよ。呼んでください!!どこでも搗きに行きますので。地域のおかしな名物餅つきおじさんになるのが今後の目標です。

野外イベント、音楽フェスや、ライブのオーガナイザー様。今まで色々な現場で見てきましたが。餅つきあるだけでなぜかお客さんの記憶に残るようですよ!お声がけお待ちしています。

そして、今、コロナが落ちついたので、全国各地の餅つきを取材し始めたところです。
餅つきはその家その家で微妙なローカルルールがあるのが面白い。仕切るのが家のお母さんだったり、お父さんだったり。
こんな映像を撮っていますのでぜひ我が家にも!というかたいらっしゃいましたらご一報ください!

佐賀出身、長い付き合いの友人加茂ちゃん。僕が餅をつき始めてから「今まで言ってませんでしたが、実家がものすごい餅つきをする家でして…学さん絶対見に来てください!!」と。そういうお誘いは守るたちなので行ってきました、佐賀は唐津の里山に隣接する築80年以上の古民家。かまどで米を蒸し、何代にも渡り使い続けてきたという石臼を使った超オールドスクール・非電化餅つき。加茂ちゃんの姪っ子のための餅つきということで親戚集まってワイワイと。あんこの材料や雑煮の具はすべて裏の畑で調達した超地産地消料理。水も井戸から汲んだりと地方ではこういうスタイルは残っているので、ライフワークとして記録していきたい。