団地のある町に、ひと際高くそびえ立つ「給水塔」。見たことはあるけれど、よく分からない。

シンボルのような存在感を放ちながらも、あまり関心を向けられることが少ない「給水塔」。

そんな不思議な存在に惹かれ、全国各地を巡り記録をし続けるのが、日本給水党党首のUC。

あなたの町のシンボルのことが気になってくる、給水塔考察をお届け。

 

そもそも給水塔って、なに?

整然と並ぶ団地の住棟。その中でひと際高く、異質な存在感を放ちながらそびえ立つ給水塔。小学5年生で転校した先の大阪で初めて見たその風景は、子供心に強い印象を残した。それ以来ずっと給水塔が好きで……ということはなく、成長するにつれ、いつしかその印象も薄れすっかり忘れてしまっていた。

しかし、もう大人になった2008年のある日。電車の窓から子供のころに見ていたものとよく似た団地の給水塔が見えた。なんとなく感じるものがあり、途中下車して見に行ったあの日からもう16年。なんであの日、わざわざ電車を降りてまで見に行ったのか。そしてなんで16年経っても未だに各地の給水塔を見に行っているのか。自分でも上手く説明できないが、未だに飽きることはない。

 

 

誰もが知っている前提で始めてしまったが、みなさんは給水塔をご存知だろうか。

言葉は聞いたことがあるけど見たことはない、見たことはあるかもしれないけど意識したことはない、という人が多いかもしれない。

そんな人もビルの屋上に載ったタンクなら見たことがあるはず。

高置水槽と呼ばれるあの屋上のタンクと給水塔は同じ役割の設備で、高い位置の水槽にポンプで水を汲み上げて貯め、重力を利用して給水している。

 

ビルの上の高置水槽。中には水が貯まっている。


ただ、高置水槽は設置された建物だけに給水するのに対して、給水塔は建物の上に載るのではなく独立して建ち、より広い区域や建物への給水に使われる。住宅地全体に給水する水道局のものをはじめ、団地や工場、高速道路のサービスエリアなどにもある。

 

左から水道局、団地、工場、サービスエリアの給水塔

 

給水塔は単に給水するだけでなく、背の高さゆえにその場所のシンボル的な存在にもなっている。

似たような建物が並び単調だと言われがちな団地では特に、それを打ち破るかのようにさまざまな色や形の給水塔が立つ。日常の風景そのものの団地の中に、どこか非日常なスケール感で佇む給水塔。そんな風景が見たくて全国を巡っている。

 

団地の住棟から顔をのぞかせる給水塔。こんな風景にグッとくる。

 

給水塔の探し方

全国を巡るといっても、観光ガイドに団地の給水塔は載っていないので場所は自力で探すしかない。

UR都市機構や自治体のウェブサイトなどから団地の一覧を入手し、それを一つずつGoogleマップで確認していく地道な作業。本当は適当に歩いて偶然出会うのが一番嬉しいし、ストリートビューで見るなんて邪道という気持ちもある。しかし今、給水塔は老朽化や給水方式の変更などでどんどん解体されていく運命にあり、あまり悠長なことは言っていられない。差し迫った危機を前に、Googleの力も借りねばならないのが実情だ。

 

いつ、どうやって行くか? 大事なマイルール

場所が分かったら、次に決めるのはいつ行くか。

いつ行っても自由なのだが、自分は給水塔を撮影する時のルールを一つ決めている。それは、晴れた日の青空を背景に正面から順光で撮ること。

どんより曇った空を背負った給水塔は、どこか暗く寂しげな印象を与えてしまう。もちろんそうした風景にも詫び錆びのような魅力はあるけれど、自分が撮った写真のせいで給水塔にマイナスイメージを持たれたくない。さまざまな色や形を持つ給水塔が元気にそびえ立つ姿を捉えたい。そんなことを考えてこのルールを決めた。

 

そうなると気になるのは天気予報。平日は働いているので行くのは土日。週間予報で次の土日の天気を常にチェックするようになった。近所であれば行った日の天気が悪くてもまた撮り直しに行けばいいが、泊まりで遠征する場合はそうもいかない。複数の会社の予報を見てこの土日なら確実に晴れるだろうという日を狙って行っている。

 

給水塔が映えるこんな空が理想

 

巡る順番も重要だ。

先ほど書いた撮影のルールには「順光で」という条件もある。順光とは太陽の光が正面から当たっている状態。ということは太陽の動きも知っておかなければならない。それぞれの団地で自分が給水塔を撮影する位置を地図上で想定して、その位置に自分が立った時に日光が自分の背中から射す時間に行く必要がある。

車ならある程度自由に移動できるのだろうが、あいにくペーパードライバーなので電車やバスなどの公共交通機関で行くしかない。結果、毎回太陽の位置を考慮した分刻みの行程を作成して臨んでいる。

 

サン・サーベイヤーというアプリは指定した場所と日時の太陽の位置が分かる優れもの

 

そうやって無事青空をバックにした給水塔と対峙した時の感情は、嬉しさももちろんあるけれどそれ以上に「ホッとした気持ち」というのが正直なところかもしれない。雲一つない青空の下、ストリートビューではたしかに給水塔があったはずの場所が更地になっていて呆然と立ち尽くしたという経験は一度や二度ではない。

 

台座だけを残し姿を消した給水塔

 

面倒なルールに縛られない方がもっと早く効率的に給水塔に行けるのでは? と言われることもあるけれど、別に数や効率を求めているわけではない。いや、本当のことを言えばなんでわざわざ自分からこんな大変なことをしているんだろうと我に返る瞬間も、たまにはある。でも、思い通りにならないことばかりのこの世界で、自分で決めたルールの通りに動くというのは最高の自由であり贅沢ではないかとも思うのだ。

 

揺らぐ定義、広がる興味

そんなささやかな活動が突然制限された時期があった。コロナ禍のあの頃。不要不急の外出は避けるべきとされる中、遠くへ給水塔を見に行くなんて不要不急の最たるもの。

その中で目に付いたのがビルの屋上に載った高置水槽。そう、冒頭で仕組みは同じだけど給水塔ではないと書いたあのタンク。遠出しなくとも、近所のビルの上にも載っている。

給水塔とは違う物だし、給水塔と混同されることもあってむしろ迷惑な存在とまで考えていた高置水槽。でも、よく見てみたらこれもいろんな色や形があって面白い。

 

色も形もさまざまな高置水槽たち

 

辞書的な定義では給水塔と高置水槽は別の物だ。それは分かっているけれど、見つけた時の高揚感や青空を背景に撮りたくなる気持ちは給水塔とそれほど変わらない。

給水塔も高置水槽も、気にしなくても生きていける些細な存在だ。だけど、一度気になり始めると目に映る街の風景が新しい意味を持って立ち上がってくる。そんな気がしている。自分にとってはもはや欠かせない、生きる楽しみだ。

遠くへ行けるようになった今でも、変わらず高置水槽も撮り続けている。

変えずにこだわりたいこと。興味に任せ柔軟に変えていくこと。どちらも大事にしながら、これからも給水塔を追い続けていきたい。