「富士フイルムが好きすぎるtsubaki」というユーザーネームでSNSで発信するほど、富士フイルムを愛してやまない写真家今井田彩那(tsubaki)。

フイルムやカメラ機材など、写真家視点での愛かと思いきや、社風や働く人も含め、富士フイルムの-全て-がたまらなく好きだという。知れば知るほど富士フイルムの沼にハマっていく。彼女がそこまで魅了される、そのワケとは?

 

死んでもないのに富士フイルムのカメラに出会って異世界転生したみたいなセカンドライフが訪れた

富士フイルムって、今や自分にとって大好きでたまらない恋人のような存在だ。

「富士フイルムが言うなら」と全肯定してしまうほど、富士フイルムという概念が大好きである。

もうなんだったら好きすぎてつらいし、富士フイルムになりたい。

学生時代の幼馴染が十数年振りに再会したらパワーアップして帰ってきたような感じだ。昔と変わらず私のことを認めてくれて、物事をいろんな角度から見れるような大人になった私に、無理に大人にならなくても良いと思えるようなきっかけをくれた。


たったひとつのカメラが私をそうさせた訳ではない。

だけれども、たったひとつのカメラを手に入れたことから私は大冒険に赴くこととなる。

 

2019年、改めて自分に合うデジカメはどれか?と思って出会った富士フイルムのXシリーズ。ちょうどそのタイミングで発売目前となっていたミドルモデルのX-T30を予約購入した。私の最初の愛機。

 

漫画やアニメ、小説やドラマの主人公が、なんてことない毎日の中でなんてことのない出会いをきっかけにそのストーリーの主役に躍り出るように、富士フイルムという社歴90年の企業のたったひとつの製品を手に入れてしまったがためにその歴史や関わる人たちに触れ、大河のような人間ドラマに思いを馳せてしまい、死んでもいないのに異世界転生したような自分でも想像だにしなかったセカンドライフ(だとすれば早すぎるのだけど)が始まった。

富士フイルムのカメラを手に入れた当初、使い方が分からないと家電量販店の富士フイルム担当の方に質問をした。するとクエストが発生するように「この人に聞くと良いよ」「ここに行ってみれば」と教えてくれ、上手く使いたい一心でいろんな人と出会う日々を送った。
 

興味を持って動く私に、優しく応え、一緒に考えてくれる人に出会い、「富士フイルムが好きな人に悪い人はいない…!」という気持ちになった。「優しくしてくれた人たちともっと話がしたい!!その人たちに失礼な態度をとりたくない!!」と富士フイルムのカメラを調べ、使ううちに、2024年時点で社歴90年という歴史が紡ぐ富士フイルムの深淵を垣間見た。

 

富士フイルムには、学生時代からお世話になっていた。でも“カメラのフィルムを作っている会社”とか、“写真現像に行くともらえるフジカラーと書かれたグッズって富士フイルムの?”くらいにしか認識していなかった。でもそんなのは富士フイルムのほんの一側面でしかなく、フィルム開発から派生したさまざまな事業があることを知った。

 

富士フイルムを知れば知るほど、心底頭を垂れたくなった。

「なんとなく優しくしてくれるから好きかも…」って思ってた人の生い立ちを知るにつれて「ちゃんと向き合わなきゃ!!」と思うのと同じように、「個々に話した訳ではないけどここに行き着くまでにどれだけの人が試行錯誤しながら関わってきたんだろうか…」みたいなことを想像してしまったせいで、単純に富士フイルムという会社(概念)をリスペクトするようになった。

富士フイルムには「50年のあゆみ」というWeb版社史がある。

 

我が家には25年目と40年目の社史があるがこのあとはWeb版になったと思うと感慨深い。

 

一時期公式サイトのリニューアルに伴いWeb上から姿を消すも各所からの要望により復活を遂げた。(この時点で「どれだけ富士フイルムの歴史に興味がある人がいるんだ」と驚く)その社史は、第一次世界大戦後、富士フイルムの前進となる大日本セルロイドの発足、その後コダック社との業務提携決裂から、国産フィルムの開発を国家大義と掲げて戦中戦後を駆け抜ける物語で、私にとって一大スペクタクルだった。

 

判官贔屓というか、目標に向かって突き進む姿はその時代的な独特の文章も合間ってさながら歴史小説を読んでいるようだったし、とにもかくにも『フィルムシェア世界ナンバーワン』を目指してなりふり構わない破茶滅茶さが垣間見れるのもかなり面白い。

 

戦前戦後の時代からグローバルな視点を持っていて、着実に歩みを進めてきたところには富士フイルムの並々ならぬ決意を感じた。

 

2024年現在の富士フイルムは「ヘルスケア」「マテリアルズ」「ビジネスイノベーション」「イメージング」の4つの事業領域を展開していて、電子映像や写真関連の製品、サービスは富士フイルム イメージングシステムズ株式会社が担っている。イメージング部門の売上はホールディングス全体から見れば一部という位置付けにはなっている。

一般コンシューマーから見ると、「“フィルム(写真)の会社”がなぜ化粧品や医療品を作っているの?」とか、なんなら私が写真家を名乗って「富士フイルムのカメラを愛用している」と話すと「富士フイルムってカメラ作ってるの⁉︎」と言う人もいるくらい本当の富士フイルムの実態は知られていない。

 

2020年には『Forbes JAPAN』「AIが選んだ未来の成長企業」特集の巻頭を飾る富士フイルム。その事業領域も多岐にわたる。

 

逆を返せば「フィルムシェア世界ナンバーワン」を目指し続けた結果、写真やカメラに携わらない人たちにも「フィルムメーカー」として認識されるところまでちゃんと成長し続けた証だと思うし、日本国民に写真フィルムを「日常にあって当たり前のプロダクト」に押し上げた第一人者(社)といっても過言ではない。

 

過言ではないからこそ「最近富士フイルムのフィルムが買えない」と嘆く人も写真界隈には散見されるが、富士フイルムの全貌を紐解こうとした私からすると些細な問題だ。そもそも売上を伸ばすために一般コンシューマー向け写真フィルムの製造販売に注力してきたが、その実、フィルムを起点に様々な分野の製品開発を行ってきてフィルム以外の分野もしっかりと軸として確立するほどの企業へと進化を遂げている。

 

その進化も単純に儲かりそうだから他業種分野へ、というものではない。フィルムの商品化にあたっては映画・写真意外にレントゲンフィルムがあり、そこから医療分野へ。写真印刷用のインクジェットペーパーの酸化防止材の抗酸化研究が肌の老化研究に応用できるとなって化粧品開発へ。プロクリエイターの作品作りを支えるカメラ開発が時代とともにデジタルカメラの開発へと移行して、そこで培った画像処理のデジタル技術がAIを活用した画像解析ソフトの開発へと「どうして現在の富士フイルムはこんな事業をしているのか?」を調べると最終的にはフィルム開発へと立ち戻る。

 

例えて言うなら「別れても好きな人」というか、富士フイルムを知れば知るほど「我々は!!!フィルムメーカーだから!!!」と言う、一般的には理解し難いかもしれない不動のマインドというかブレなさがある。それゆえに「とにかくフィルムを売るぞー!!」のために行われてきたであろう数々の施策の訳のわからなさも私には「うんうん、フィルム買ってもらうために迷走したんだね」とお茶目に見えてしまっている。

 

富士フイルムが好きすぎていつか株主になりたいと思っているが、業績が右肩上がりでなかなか買えない。

カメラの新製品発表などもオンライン配信を行っていて、社員の方が拙いながら英語でプレゼンテーションしたりすることもあって、それを「英語できないなら日本語でやれよ」と揶揄する投稿をSNSで見たこともあるが、日本企業だからと胡座をかく訳ではなく、世界標準で当たり前と認識されるような取組みにも果敢に実践している姿は日本人として誇らしい。

 

調べても調べても進化を続ける富士フイルム。追いかけても追いかけても追いつくことができないその企業は常に私にワクワクをくれる。情報量が多すぎてパンクしそうになる。

 

学生時代に日常的に目にしていた「写ルンですをつくっている企業」がこんなにも奥深くて面白いとは思いもよらなかった。

 

そんな会社が作ったカメラを手にいれたことで、関連企業で働く人たちや富士フイルムのカメラが好きな仲間たちが私を応援してくれるようになり、応援されるがままに活動を続けていたらそれまで「私ちょっと変かも?」と思って押さえていたような感情を出し切ることができるようになった。

 

そういう全てのことが嬉しくて楽しくて、こんなに毎日楽しくて良いのだろうかとときおり良い意味で辛くなる。