スナックのカラオケ録音や合唱コンクール、おじいちゃんへのメッセージを吹き込んだカセットなど、一般人が記録のために残した音源を「身内音楽」と呼ぶらしい。その名付け親であり収集家でもある数の子ミュージックメイトが、未知なる音楽の魅力や面白さについて全4回にわたり語ります。初回以降はメディア別に身内音楽を探究します。第3回はレコード編。
 

一般人の演奏や歌、声が収録された録音メディア「身内音楽」。
3回目となる今回は、身内音楽の中でも一番発見率の高いレコードのお話です。

 

レコードは過去のメディア?

前回のCD編で書いた通り、CDがレコードの生産枚数を抜いたのが1988年。その後レコードは衰退の一途を辿るのに、なぜかリヴァイバルを繰り返すしぶといメディアです。まず1回目が1999年~2000年で、クラブカルチャー文脈でのリヴァイバルがありました。この時にノリでDJを目指した人たちが光の速さで挫折したことで売り飛ばされたHIPHOPやHOUSEの12インチレコードは、リサイクルショップで誰も買わない不良在庫として未だ大量にくすぶっています。

その後、2017年あたりからレコードの生産量は右肩上がりで増加。なんと2022年には33年ぶり(!!)に生産金額が40億円を超えました。このリヴァイバルの理由には色々な要因があり、それだけで連載ができてしまうので今回は省略します。今では洋邦問わずアーティストの新譜がレコードでも販売されるのは珍しくありません。
しかし、こと身内音楽に関しては、レコードは昭和の遺物です。2020年代がレコード再・全盛期とはいえ、これは局地的な話で、レコードプレイヤーがある家庭はかなり低い割合だと思います。多くの一般人からすれば過去のメディアであることに変わりありません。

今、「レコード」と言えば塩化ビニール製のレコードを指します。戦前はSP盤と言うレコードが主流で、1950年代に今の塩化ビニールのレコードにとって代わりました。このSP盤時代から身内音楽は存在しています。

 

画像提供:保利透

 

戦前・戦中から、学校の器楽部の演奏などがSPレコードで作られていたのです。
また、当時は専門の録音機を備えた電器店や百貨店が、個人の吹き込みサービスを行っており、日本橋三越で陸軍大学校の同期生たちが陸軍士官学校の校歌や卒業にあたっての意気込みを録音したレコード(アルマイト盤という種類のもの)が残っていたりします。

 

昭和の学校モノ

レコードの身内音楽でも圧倒的に数が多いのが学校モノです。
私が把握している限りで言えば一番多いのが中学校と高校の卒業記念や合唱コンクールで作られたレコードです。

 

 

中学・高校でこうしたレコードの制作が盛んなのは、生徒による卒業記念品の制作実行委員会が作られるようになるからだと思います。一方で小学校や幼稚園、保育所は地域合同の音楽発表会のレコードが多く見つかります。

 

 

大学は学年の人数も多いため、全体での卒業記念ではなく、音楽サークルの記念レコードが増えます。中学校や高校でも吹奏楽部単体のレコードが、特にコンクールで入賞を果たすような学校では数多く作られていました。

 

 

学校モノのレコードは海外にも沢山あります。特に北米ではプライベートなレコードを作る専門業者も多く、かなりの数が制作されていたようです。

 

 

学校モノのレコード、特に生徒の声が収録されたものを聴いて感じるのは、喋り方の変化です。これはあくまで個人的な私見ですが、1980年代中盤に入ると、喋り方が早口でくだけてきます。“よそ行き”の話し方が減るのです。テレビやラジオの影響もあるのでしょうか。合唱コンクールでもポップスを歌う学校が増えるのは80年代に入ってからで、ジャケットデザインもポップなものが増えます。

 


 

社会学、文化史的にも貴重な資料と言える身内音楽には、リアルな日本の生活記録が刻まれています。

 

熱量の高いレコードたち

学校モノ以外の身内音楽レコードをいくつかご紹介しましょう。
まずは、結婚記念か何かの節目に作られたと思われるピアノ教室の先生のレコード。夫婦の手形が直にジャケットに押されています。

 

 

私が持っているのは水色と緑色の手形ですが、金色と銀色の手形のバージョンもあるようです。持っている人、連絡ください!

 

「THE WORLD OF SHINICHIRO」と題されたレコード。こちらは変声期に自分の歌声をレコードに残したい!と考えた少年が、おじさんにおねだりして作ってもらったレコードです。本格的なスタジオで、プロのミュージシャンをバックに進一郎くんが一生懸命歌っています。

 

 

『進撃の巨人』ばりにインパクト大なこちらのレコードは、静岡県浜松市のあるホテル経営者の方が亡くなった際、息子さんが記念に作ったレコードです。父親が好きだった歌を息子さんが歌ったり、「オヤジの思い出座談会」を収録していたり、涙なしには聴けない逸品です。

 

 

ラジオでも取り上げられて話題になった『貴様と俺』は、一流企業の社長がホテルのラウンジに集まってカラオケ大会をした模様が収められています。中古市場ではよく出てくるレコードで、社長に無理やり買わされた部下が聴かずに売ったんでしょうか。比較的入手しやすい身内音楽ビギナー向けの1枚です。

 

 

CDの時代に比べて、レコードは個人で作るには制作コストも高く、そのハードルが逆にこのような思い入れの異様に強力な身内音楽を生み出しました。

 

あなただけの1枚 ラッカー盤

ここまで紹介したレコードは、工場プレスでロッドもそれなりに必要なため、庶民が気軽に作れるものではありませんでした。自分だけのオリジナルのレコードとして昭和の時代にはラッカー盤というものがありました。
アルミ板にラッカー塗料を塗った盤面に直接溝を刻む「ダイレクトカッティング」という手法で作られるラッカー盤は、収録された音をリアルタイムでミキシングして溝に刻んでいくアナログ極まりない作り方なので、通常のレコードより生々しい音が特徴です。その代わり、塗料の表面に溝が削り出されているので耐久性に難があり、何回か聴くと磨耗して音が悪くなってしまったり、塗料が経年劣化ではがれてしまったりと、センシティブな部分もあります。
このラッカー盤は、持ち運び可能なポータブルのカッティングマシンによってどこでも作ることができたのでカラオケスナックやピアノの発表会など、1枚限りの記念のお土産として1970~80年代には無数に作られました。

 

 

子供の拙いピアノの演奏にハラハラしたり、完全に酔っ払ったおじさんのエコーが効きまくったカラオケが聴けたりと、身内音楽の楽しさが詰まっています。

 

ラッカー盤には「産声レコード」と呼ばれるものもありました。これは出産の様子をそのまま収録したもので産婦人科が手がける記念のサービスだったようです。今では考えられない…と思われるかもですが、赤ちゃんの産声を思い出に残すアイテムはメディアを変えながら今でも販売されています。

 

 

話がそれました。ラッカー盤を作る業者は全国いたるところにあり、各社それぞれの個性あふれるデザインも面白みの一つです。

 

 

ラッカー塗料は、おばあちゃんの化粧箱のような独特の匂いがするのでリサイクルショップで探すときはレコードが入っている箱を嗅いで探すとすぐに見つかります。またアルミ板を使っているため普通のレコードより冷たいので、指の感触でも判別することができます。

 

レコードは終わってて、終わってない

レコードで身内音楽が作られなくなって40年近くが経つものの、まだまだ見たことない盤が沢山出てくるのでいつも驚きます。その度に、レコード文化の底の深さを感じるばかりです。レコード屋の壁にかかっている高額な名盤だけではなく、その下にはるか広がる裾野に目を向けてみると、誰かの日常の中で聴かれてきたレコードこそが生活の音楽史を日々作ってきたことに気づかされます。【了】