クラブシーンでは異色の日本民謡をDJプレイするユニット・俚謡山脈。自分の知らない音楽を探求していった先に行き着いた、日本独自の民謡音楽の魅力について俚謡山脈のメンバー佐藤雄彦が語る。

我々俚謡山脈は、民謡のレコードをターンテーブルに乗せ、クラブの大音量で鳴らすことでDJをしています。HIPHOPやEDMといったクラブミュージックではなく、民謡で。なぜそんなことをするようになったのか?そもそも民謡って何?興味のある人もない人も、日本民謡のヤバさが少しでも伝わればいいなと思いこの原稿を書き進めていこうと思います。

 

民謡との出逢い

民謡に興味を持ったきっかけは、簡単に言うと「自分の知らないカッコいい音楽」を探していたからということになりますが、もう少し詳しく振り返ってみましょう。今から15年ほど前になるでしょうか、我々はタイの東北部イサーン地方の音楽であるモーラムにどハマりしていました。竹製のケーンという楽器が生み出す持続音のトランス感覚、ミニマルにループするビート、そしてその上で自在に流れていく声の魅力。一聴すると民謡のように聴こえますが、色々調べていくと、土着的と思えたそのサウンドの裏側には、ジャズやロックと同じようにアレンジャーやプロデューサーが存在し、ポップスとして市場を意識した上で制作されていることがわかりました。モーラムは(少なくともレコードとして残っているものは)決して「野良の歌」ではなかったのです。

モーラム参考動画 Angkhanang Khunchai / Toei Salab Phama

ここで一つの気づきがありました。モーラムを最初に聞いた時、なぜ自分の耳には「一聴すると民謡のように聴こえた」のでしょうか?考えた末に行きあたった要因の一つは歌そのものの「節回し」です。日本でも「コブシ」と呼ばれているビブラートの使い方が最もわかりやすい特徴といえるでしょう。そして音階。モーラムに多用される旋法はペンタトニックと呼ばれる5音階で、これがいわゆる日本民謡のヨナ(四七)抜きと呼ばれるものと共通する部分も多いため、「何か民謡っぽい」というイメージに繋がります。また、ビート感も西洋の4/4 拍子に当てはまらない癖があり、実際に踊ってみると分かるのですが、手を揺らすことでビートを捕まえるモーラムの踊りは、どこか盆踊りにも通じているように感じたのでした。

 

 

もう一つの気づきが、モーラムを実際にターンテーブルに乗せ、爆音でプレイするようになった時にありました。それは、今までクラブミュージックとしてプレイされてきたテクノやHIPHOP、遡ってソウルやファンクといった音楽は、西洋音楽のフォーマットに則ったものであり、モーラムはその範疇から外れたものだということです。エレキギターやベース、シンセサイザーを使用しているモーラムも多々あるのですが、それはあくまでもモーラムという土台の上に西洋楽器を取り入れたもので、ロックやジャズを演奏するバンドが、モーラムを東洋的な味付けとして取り入れたものではないのです。「土台が違う」この気づきは非常に大きなものでした。様々な国の音楽を聴く時、その「土台」がどこにあるのかということを意識するようになると、たとえそれがどこの国の音楽だったとしても、「西洋音楽の土台に現地の風味が乗ったもの」なのか、「現地の土台に西洋風味が乗ったもの」なのかで、印象は大きく異なって聴こえるようになります。そして、この「現地の土台」という部分が「自分の知らないカッコいい音楽」を探す上でキーポイントとなっていったのでした。

 

入手困難「現地の土台」を感じる音楽

モーラムと同様、インドネシアやマレーシア、パキスタンやインド、トルコやアルジェリアなど「現地の土台」の上に立っているヤバい音楽は多数あります。しかし、前提として日本に住んでいると、そういった国の音楽のレコードは、まず入手が難しいのです。日本のレコード屋が仕入れるのは、主に「西洋の土台」に立っている音楽が主であり、それ以外の国の音楽は「ワールドミュージック」の名の下に一括りにされ、メインの仕入れの対象にはなりません。自分もモーラムにどハマりする前は、タイにこれほど豊かなレコード文化があったことを知りませんでした。というわけで、アメリカとヨーロッパ以外の国のレコードを手に入れようとすると、ネットの海外通販を使うことになります。しかし、そういった海外通販サイトに出品されるレコードもまた、「西洋の土台」に立っている音楽が主なのです。ディスコやロックの上に現地の民族楽器が味付け程度に乗っているものが高額で取引される反面、「現地の土台」を感じる音楽は中々市場に出てきません。このことは、そもそもレコード売買が西洋の価値観に覆われていることを意味していました。

「自分の知らないカッコいい音楽」、言い換えると「現地の土台に立っている音楽」を安く、容易に、大量に聴くことはできないものか?その問いの答えは自分の住む日本を掘ることでした。我々はレコード店の100円コーナーやリサイクルショップのジャンク品コーナーに眠っていた、民謡や演歌や詩吟のレコードを大量に買い始めたのです。今振り返ってみるとそれは「自分のルーツである日本を掘り起こす」という気持ちよりも圧倒的に「既存のレコード屋の価値観」や「西洋の価値観」への反抗だったのかもしれません。オークションサイトにはその手のレコードが100枚100円とかで出品されており、誰とも入札を競ることなく落札できました。そうやって買ったレコードが全て「現地の土台に立っている音楽」だったかというと決してそうではありません。例えば演歌は「コブシ」を特徴としてはいますが、音楽的には西洋をベースとしています。また、多くの「音頭」と名がつくレコードも同様でした。ロック、ジャズ、ワルツといった軽音楽の土台に和太鼓やヨナ抜き音階、コブシを加えたものが、演歌、新民謡、新作音頭、舞踊歌謡といった名前で多数リリースされており、我々が買った大量のレコードには、それらと民謡とが入り混じっていたのです。

 

さて、ここでようやく「民謡」が出てきました。「現地の土台」があり、尚且つ(日本人である我々にとっては)安く、容易に、大量に買うことができる「自分の知らないカッコいい音楽」、それが民謡だったのです。モーラムを聴いた時に「民謡っぽい」と感じたということは、元々自分の中にも民謡のイメージがあったということになりますが、それは今にして思えば貧弱なものでした。ヨナ抜き音階とコブシの効いた歌唱、あとは和楽器のイメージ。民謡のレコードを大量に聴くと、確かにそういったイメージと重なるものもありますが、自分が勝手に思っていた「和風」や「伝統音楽」といったイメージから逸脱するヤバいものも含まれていることがわかってきたのです。
さて、後編ではそんな民謡の分類や楽しみ方についてご紹介します。