道路を利用したことがない人など、この世にいないだろう。通勤や通学はもちろん、家から一歩でも出ようものなら、確実に道路を利用している。人は日々、道路を歩いたり、車や自転車で走ったり、バスでに乗ったりしている。そんな誰もが毎日利用している道路だが、きちんと見たことはあるだろうか。

大多数の人が毎日利用し、目に入っているにも関わらず、誰も見ていない道路。道路に対してそんなにも無関心で大丈夫なのかと、私は問いたい。なぜなら、道路はきちんと見るだけで、とても面白いからだ。道路を見ないなんて、もったいない。

道路に無関心はもったいない


いつも見ているはずの道路を、頭の中に思い浮かべていただきたい。車道にはセンターラインが引かれ、歩道との間にはガードレールがある。道路脇には標識やポールが立ち、ポールの上には反射板が取り付けられている。道路の真上には地名が書かれた案内標識、街路樹が植えられ、街灯も設置されているかもしれない。車道と歩道の段差や側溝まで、道路をよく観察すると、実に多くの物であふれていることに気づくだろう。
そして道路上には、意味の無い物は存在しない。お金と時間をかけて造る以上、道路にある全ての物には意味がある。

例えば、交差点。一般的な十字路の交差点に横断歩道があって、信号機が設置されている。交差点の角に注目すると、大きな交差点では必ず直角にはなっていない。絶対に角を落としている。
交差点の角を直角にしてしまうと車が曲がりにくいし、角のギリギリまで建物があると見通しが悪くなる。そのため、法律で交差点の角を落とすことが義務付けられている。不動産用語で言う“隅切り”だ。

 

 

交差点の隅切りを観察すると、様々な工夫が見て取れる。隅切り部分を売店にしているタバコ屋や、隅切りを前提に設計されたビル、三角形の花壇にしている会社など、観察していて飽きない。
「角のタバコ屋」とよく言うが、これは隅切りの面が各方向から見えやすく商店に適しているものの、面積が狭いためタバコ屋ぐらいがちょうどよかったのではないか、などと勝手に推測してみる。このように、道路を見てあれこれ勝手に想像している時間が、たまらなく楽しい。

 

国道ではなく酷道

見れば見るほど面白い道路だが、私が特に好きなのが“酷道”だ。“こくどう”と聞けば、多くの人は“国道”を想像するだろう。そして、国道といえば、日本で最上位に君臨する道路だ。国道のほかにも県道や市道、林道、遊歩道など多種多様な道路が存在するが、「国」の文字が入る国道は、日本における最上位の道路といえる。

 

 

そのため国道は、きちんと整備され、道幅が広くて快適な道路を思い浮かべる方が多いだろう。多くの国道はその通りなのだが、稀に整備が進まず、快適とは言い難い国道も存在する。

対向車とすれ違うことができないほど狭く、路上には落石が転がり、舗装も剝がれてしまっている国道。崖下に落ちたら間違いなく命はない高さに、ガードレールすらない国道。そんな状態が酷い国道のことを、私は親しみを込めて“酷道”と呼んでいる。
よく勘違いされるが、酷い道なら何でも酷道というわけではない。林道やあぜ道などで酷い道はたくさんある。国道なのに酷いから珍しいのであって、国道であることが必須条件だ。

酷道の魅力はたくさんある。まずは、そのイメージとのギャップだろう。「え?国道なのにこんなに酷いの?」というギャップである。酷道趣味は、一種のギャップ萌えだ。
また、実際に車で走りに行くと、スリルも楽しめる。遊園地の絶叫マシンに比べるとあまりにも地味だが、安全が保障されていないので、絶叫マシンよりも酷道のほうがリアルに危ない。安全運転を徹底していれば大丈夫なのだが、自分自身の運転に命が委ねられる。
わざわざ危険を体験しに行くなんて頭がおかしいんじゃないかと言われることもあるが、わざわざお金を払ってジェットコースターに乗りに行くのといい勝負だろう。

 

 

これだけでは、本当に頭がおかしいと思われるので、一応ほかの魅力にも触れておこう。酷道は幹線道路とは異なり、スピードが出せない。ゆっくりとしか走れないため見過ごさず、見える景色がある。また、民家のすぐ近くを走るため、暮らしとの距離感が非常に近い。バイパスや高速道路からは見えない、人々の暮らしぶりが見えてくる。

そして、気になるものを見かけたら、車を止めやすい。見たことがない構造物、変な看板、気になる店、通行人など、見かけたらすぐに立ち寄ることができる。私が以前、四国の酷道439号を訪れた時、もちろん酷道として道路の酷さに心惹かれたが、沿道の魅力があまりにも大きく、寄り道しすぎたため全然先に進めなかった。

 

 

酷道439号を走り始めた序盤に“コリトリ”という変な地名を見つけて気になったため、近くのお寺に聞き込みに行った。この付近が剣山の修行場入り口にあたり、世俗の垢を落とす水場があったため“垢離取り(こりとり)”という地名になったとご住職が教えてくれた。
その先では、道路沿いに大量のリアルなかかしがあったのでギョッとして思わず車を停めた。かかしを観察していると作者の方が通りがかり、お宅にお邪魔して、関西から移住してきてかかしを作るようになった経緯などを聞かせてもらった。

 

 

また、山の上にポツンと一軒だけある家を発見したため、1時間ほど歩いて山に登り、一人で暮らしているお婆さんに話を聞いた。子供たちが街で暮らしているが、年寄りが一緒にいると若い人が遠慮するからと、山の上で暮らしているのだという。
その後、酷道沿いの集落に住むお爺さんに話を聞いていると、お婆さんが茹でたてのトウモロコシをご馳走してくれた。集落はこの一軒だけになってしまったというお爺さん、昔は40キロほど離れた鉱山で働いていたという。鉱山の話が気になった私は、鉱山跡を見に行った。

 

こんな具合でドライブしていると、いつまで経っても目的地に到達しない。結局、延長240キロの国道439号を走破するのに、丸4日間もかかってしまった。

一例として酷道439号を紹介したが、道それぞれに目的があり、造った人がいて、利用する人がいる。道の数だけ、ドラマがある。
国道は全部で459路線、都道府県道は約15,000路線がある。その他にも市町村道、林道、農道、私道、路地、遊歩道、地下道、里道など、実に多くの道が日本中にあふれている。
無限の可能性を秘めている道の世界へ、あなたも一歩を踏み出してみてはいかがだろうか。