ちょっとしたウケ狙いで始めたお冷研究家
2015年5月9日。当時付き合っていた彼(現・旦那)とスープカレー屋さんに入った際、「あ、このお冷ってレモン入っているんだね! 珍しい~」なんて話をした。何気なく撮影した写真を、ちょっとだけ色味を加工してInstagramにアップ。これが「#お冷研究家」の始まりだった。
この頃の日本は、ちょうど東京オリンピック招致が決まり、日本は空前の「お・も・て・な・し」ブーム。そして若い女子たちがInstagramに映え写真を投稿している頃だった。
“クールジャパン”とかいうけど、日本にはもっと身近なものにクールがつまっているやろがい! 作られた映えスポットなんて映えじゃねー! そんな反骨精神があった私は、日頃から「東京オリンピックで外国人が観光にきたら、真のクールジャパンをお伝えしたい」「ボランティアスタッフになって大好きな東京をご案内するんだ!」と高い志を持っていた(結局、何もしなかったけれど……)。
当時のInstagramには、#お冷 なんて投稿はされていないし、関心もない。
お冷って「映え」の逆張りみたいだし、かっこいいかも?
そういえば、お冷って日本だけじゃない?
おかわりだってできるし、無料って実はすごいことなのでは……。
めちゃくちゃクールジャパンなアイテムじゃないか!
ちょっと面白いからやってみよう。
そしてスープカレー屋さんの後に立ち寄った喫茶店で、驚きのお冷と出逢う。
「カ~~~ッ!! キンキンに冷えてやがるっ」
心の中がざわざわした。さっきのレモン入りのお冷とは明らかに違う、冷蔵庫でキンキンに冷やされたグラスと丁寧に浄水されたまろやかなお水、氷がないのに冷たいお冷が出てきたのだ。
無料のお冷にこれだけの労力をかけているとは……。
店内には、お店の苦労も知らずにしれっとお冷を飲んでいる人ばかり。
いやいや、これって当たり前じゃないからね!
そんな思いが勝手な研究家精神に火をつけてしまった。
気づいたらお冷研究家は10年近く続き、1000枚ほどのお冷写真を集めていくことになる。当たり前だが、研究は宣言したら始まってしまう。こんなウケ狙いで始めるものではないのだ。
「お冷がうまけりゃ飯もうまい!」論へ
いろんなお冷と向き合うようになって気づいたことがある。それは「お冷にこだわるお店は、食事もおいしい」ということ。
もうなくなってしまったが、浅草の住宅地にあった個人経営のカフェでは、わざわざ備長炭を入れたタンクでお冷を提供していた。オーナーさんと仲良くなって「なぜこんなにお冷にこだわるの?」と聞くと、「え? こだわりはないよ。お客さんにもおいしいものを飲んでもらいたいから~。こんなこと聞くのつるちゃんくらいだよ!」と笑った。
こんなナチュラルに最高なおもてなしができるなんて!
狙っているのではなく、お店にとって当たり前のおもてなしがお冷に反映されていたのか……。たかがお冷、されどお冷なのだ。毎日こだわって飲食業と向き合っていることがお冷を通じて伝わってくる出来事だった。
そこからいろんなお店をお冷視点で見つめてみると、お冷がおいしいお店は飯もうまい。そんな共通点が浮かび上がってきた。
他にも、個人店なのにロゴ入りグラスを制作している喫茶店、蕎麦を作る時に使う地下水を提供する蕎麦屋、店外で「誰でもどうぞ」と麦茶を振る舞う和食店、数種類のデトックスウォーターが選べるレストラン、ワイングラスで提供されるなど個性的なお冷の魅力にはまっていく。
逆に「え、こんなほこりまみれなウォーターサーバーから水を注げと?」とか「ぬ、ぬるい……」とか「飲み口が汚れてる」など残念なお冷もあった。こういうお店が一様に悪いと言いたいのではない。人材不足でワンオペも叫ばれている昨今、お冷なんかにかまってられないのも当然だ。
お冷評論家であれば「お冷はこうあるべき!」と声高らかにいう権利があるが、私は研究家。時代と共に変化するお冷を研究していく必要があるのだ。だからInstagramにもうまい、まずいのことはあまり書かずありのままのお冷を掲載している。「こんなお冷があるんだよ」と、後世にもお冷文化を受け継ぎたい。
だから「お冷がうまけりゃ飯もうまい!」と唱えたからといって、お冷ばかりに力を入れる飲食店が出てきてしまっては困る。私にとっては、お冷ブームがくるのが本当に怖い。ありのまま、その時代にあったお冷を研究していきたいので、もしこれを読まれている飲食店さんがいらっしゃったとしても、明日から「備長炭のお冷にします!」とはしないでいただきたい。
今のままでいいんです。
無料のお冷を出してくれているだけで本当に素晴らしいんですから!
もっとあなたのお冷を誇ってください!
お冷研究は、ネバーエンディングストーリー
Instagramでお冷を投稿していると友人に伝えると「え、温かいお茶もお冷なの?」と言われる。私の中では「もちろんお冷です」という考えだ。ここで私のお冷の定義をお伝えしておきたいと思う。
お冷とは、
① 飲食代に含まれている「サービス品」であること
② 自由に「おかわり」ができること
③ お店なりの「おもてなし」が見えるもの
④ お店に入って「最初」に口にするもの
だと考えている。
これは私の定義なので、飲食店やどこかの協会が定義したものではない。研究をしていく中で、提供される温度や種類によって「これはお冷じゃない」と排除したくない思いが強くなったことや、お冷を説明する際に必要だと思い作ったものだ。
しかしこの定義に当てはめると、ビジネスホテル・ドーミーインの「夜鳴きそば」もお冷になってしまう。突然なにをいうか? と思ってももう少し聞いて欲しい。夜鳴きそばとは、ドーミーインの宿泊者に無料で振る舞われる「サービス品」だ。朝食代のように別途料金をとっているものでもない。さらにおかわりも自由で、大盛りにもできる。宿について一番最初に口にするものであれば、これは立派なお冷になるのではないだろうか?
自分で定義したはずのお冷の概念がどんどん広がってしまう……。これは完全に自分で自分の首を締めてしまっている。誰に言われたわけでもなく、誰かに頼まれたわけでもないのに、最近は「どこまでお冷と呼ぶか?」「日本には至る所にお冷があるのでは?」と気が抜けない生活を送ってしまっている。そう、勝手に。
さらにいうと、お冷の収集は私が生きている中で完結できるものではない。毎日のように新しい飲食店ができては消えている。胃袋には限界があるし、日本全国の飲食店を制覇することは不可能だ。
つまりお冷研究は、ネバーエンディングストーリーなのである。
まさか幼稚園の頃から大好きでビデオが擦り切れるほど見ていた映画『ネバーエンディング・ストーリー』を自分がすることになるとは思ってもいなかった。人生の壮大な伏線回収をしているような気分になる。
映画『ネバーエンディング・ストーリー』には、虚無という恐ろしい怪物が出てくる。目標に向かっていくなかで、とんでもない世界に入ってしまったと自覚し、絶望する。もうだめだと諦めて、前に進む力を奪ってしまうのだ。お冷研究にも絶望のタイミングはきっとやってくる。もうそろそろやってくるのでは? と思うほどだ。
終わりがないお冷研究という物語を続けていくためにも、私は虚無を乗り越えなければいけない。
「お冷は一生かけても全制覇できない」
この虚無にも似た絶望とどう向き合い、研究していくのか? お冷研究は終わることなく続いていくだろう。