サウナブームの火付け役『サ道』の著者でもあり、日本サウナ・スパ協会公認のサウナ大使としても知られるマンガ家タナカカツキさんが、10年以上極め続けているサウナの道(=サ道)を振り返り、サウナの魅力を改めて今の視点で紐解く。長年、サウナを愛し続け、サ道を模索し続けたタナカカツキさんが“その果て”で見つけたものとは?

 

現実から逃れる究極の気晴らし

サウナに出会う前。
その頃の私は四六時中デスクの前にいた。マンガ家として原稿を描き、無事締め切りに間に合えば、半ば趣味で始めた3DCG動画の制作に取りかかっていた。疲れ果てれば、ソファに身を投げ出し、束の間の眠りに落ちる。外の世界との接点はコンビニまでの短い散歩程度だった。そんな繰り返しの毎日は、他人から見れば代わり映えのない単調な日々に映ることだろう。だが、私の頭の中は最新技術への興奮で沸き立ち、新しい映像表現への挑戦に心躍らせていた。カフェインの大量摂取もあり、脳内では絶えずアドレナリンが分泌され続けているような状態だったと思う。

この一見充実した日々は、やがて私の体に容赦ない代償を要求し始めた。血行不良による皮膚疾患、特に背中に広がる赤い斑点のような吹出物は酷かった。夜中に無意識のうちに掻きむしり、朝には血の滲んだ寝具を目にすることもあった。長時間パソコンに向かう姿勢は、首や肩を岩のように固くし、筋力の衰えを招いた。さらには慢性的な鼻炎に悩まされ、風邪への抵抗力も著しく低下していった。

そんなときに出会ってしまったのがサウナであった。「汗をかく」という、人間本来の生理的行為に、私はすっかり忘れていた爽快感を覚えた。サウナ施設に足を運べば、そこには美味しい食事と、館内着でダラダラと過ごす贅沢な時間があった。リクライニングシートには、あられもない無防備な姿で熟睡するおっさんたち。テレビはつけっぱなしで、しょうもない内容が垂れ流し。そこには何の緊張感もなく、背徳的で非生産的なダメ~な時空間が広がっていた。そして、その場所は私をどこまでも安心させた。

 

 

気晴らしの場は、いつしか“希望と創造”の場へ

不健全な心身にとって、サウナは新たな希望の光明となった。施設ごとに異なるコンセプトやサービス。各国内外問わず、私はさまざまなサウナを巡るサ旅に出た。近場のジムサウナから銭湯のサウナ、少し足を伸ばして地⽅のスーパー銭湯や温泉宿のサウナ。国境を越えて、韓国、ロシア、ドイツ、スウェーデン、オランダ、ノルウェー、サウナは世界中にある。その中でも特に、フィンランドやバルト三国のサウナ⽂化には⼼を奪われた。日本のサウナが娯楽の一環であるのに対し、彼の地のサウナは静寂と安らぎの聖域だった。薄暗いサウナ室では、温度ではなく湿度で体を温める。自然豊かな湖畔に佇むサウナ室で、裸身を晒して森と一体化し、心身を癒すのだ。

これは単なる気晴らしを超えた、持続的な心の安らぎや充実感を与えてくれる体験だった。気晴らしならば娯楽のサウナで事足りるが、そこで出会ったサウナは脳をリフレッシュさせ、私にとって明日への希望と新たな創造の泉を湧き上がらせる場所となったのだ。そして、また日常に戻りたい! という力が湧いてくる。いずれは日常へと立ち返り、再び現実と向き合わねばならなかったこれまでのサウナへのイメージは、日本独自のものであったのだ。

 

明日をプラスにする“良い”サウナ

とはいえ、日本にもこうした本格的なサウナ施設が点在することを知った。具体的な名称は控えるが、そうした施設は一様に美しく、まるで神社仏閣や美術館を訪れたかのような荘厳な雰囲気を醸し出している。そこでは、だらだらと時を過ごすのではなく、適度な緊張感を保ちつつ、五感を通して心地よい刺激を感じ取ることができるのだ。カラダが気持ち良いと感じる時、心もまた静かに広がり、その穏やかさの中で、自らの生活を省み、改善点を見出し、明日のより良き生活への道筋を描く余裕が生まれる。これこそが、サウナがもたらす真の恵みではないだろうか。

 

これまでサウナ施設の良し悪しを細かく述べることは避けてきたが、良いサウナ施設とは何か、あえて強い口調で述べてみよう。サウナ室は必ずしも高温である必要はなく、むしろ足元が冷える程度でよい。しかし、サウナストーブに水をかけると暖かい蒸気が降り注ぐ。温度ではなく蒸気で体を温めることで、皮膚の表面のみならず、身体の芯までじっくりと温まるのだ。照明が明るすぎるのもよくない。暗がりの中で人は気持ちを落ち着けることができる。水風呂は極端に冷たすぎてもいけない。16°Cから17°Cであれば十分クールダウンはできる。館内は清潔でなければならない。マナー啓発や広告のチラシが壁にべたべた貼られているのも好ましくない。機能的で美しくデザインされていなければならない。美しい空間では人もまた美しく振る舞う。まさに行動心理学の理論通り、美しい場所においては、人は自ずと良きマナーを守るものなのだ。

 

サウナ好きすぎ、なれの果て

十数年にわたり、ほぼ毎日サウナに通い続けた結果、私の肌を苛んでいた赤い斑点はすっかり消えてなくなり、風邪もひかなくなった。それが真にサウナの効能によるものかどうかは定かではない。しかし、今日もまた私は実生活のさらなる改善を進めながら、仕事を終わらせたあとは、心地よい気分でサウナへの道を辿るのだ。

 

蒸気と薫りに包まれながら、私は思う。温かいとはなんて原初的な幸福感なのだろう。いっときの気休めや、ダラダラするためだけにサウナ施設に行くなんてもったいない。サウナの中で、私は新たな創造への力を得る。そして、再び現実世界へと戻っていく。蒸気の向こうに広がる世界は、きっと昨日よりも輝いているはずだ!と、いったんそう信じて、私は今日も、かつてないほどに心躍らせてサウナの扉を開く。