僕は長年グラフィック全般のデザインを生業にしていますが、周りからは変な物を集めている人だと思われています。「変」ではない、でも「偏」かもしれない。いかに僕が真面目にコレクションと向き合っているかをこの場を借りて証明できればと思っています。初回は、そもそも C 級スニーカーとは何なのか?  僕が C 級スニーカーを集め始めたきっかけや、そこに至るまでのエピソードを語りたいと思います。

 

C級スニーカーってなんだ?

よく「C級スニーカーって何ですか?」と聞かれます。ネットオークションでも検索タグに使われることが多くなりました。これは自分が作った造語です。スニーカーについて取材をいただいたとき、自分の集めているカテゴリーを説明することが多く、なんとなくそう命名しました。

ナイキやアディダスといった人気メジャーブランドのヴィンテージ品を「A級」だとしたら、日本で気軽に買える現行品は「B級」、日本の正規ルートでは買えないスニーカー、消滅してしまったブランド、ブート品などをまとめて「C級」という具合に。いつも最初にお伝えするのは、ABCどれも何が上で何が下というわけではないということです。

 

ヴィンテージスニーカーと同じ時代の空気を吸ってきたスニーカーたち

 

若いころはヴィンテージスニーカーを買うお金がなかった

僕のスニーカーコレクションは30年前から始まった。実際に加速しはじめたのはずっと後のことになるが、当時もナイキやアディダスは人気で、今もヒットモデルの「エアハラチ」が登場したり、現行品にもカッコいいモデルはたくさんあったんです。

新しいモデルを履き、ブランドの歴史を知る。1足のスニーカーから学ぶことは多く、細かい魅力をかぎ分けられるようになると当然ヴィンテージにも興味が出てくるわけです。ヴィンテージはいつの時代も高額で、自分のお小遣いでは足りない。我慢して我慢してMADE IN  FRANCEの白いアディダスをギリギリの予算で買ったり、MADE IN USAのコンバースはかかとに印字された表記が消えないように足を浮かして歩いていたりなんかもしていました。

さらにもっと高額なヴィンテージスニーカーを買っても、勿体なくて足を通すのが怖かった。「今日は履くぞ!」という日に限って急な雨で、持っていたビニール袋に履いていたヴィンテージスニーカーを入れて靴下のまま走って帰ったこともあります。雨の中スニーカーを抱きしめて走る自分に「オレは何をしてるんだ!? もっとガシガシ履きたいんだ!」って叫びました。

 

古き良き靴屋の在庫をまとめて譲って頂く

その頃フランスのパトリックが兵庫県に工場をつくり流通ルートを拡大し、日本での販売に力をいれ始めた頃でした。現行品にもみんなが履いてないブランドがたくさんあるんだな……と思ったのもその頃でした。今では気軽に買えるスペルガも当時は売ってる店がなく、こだわりおじさんが開業したセレクトショップでMADE IN ITALYを買い、F1ブームも相まって「ソールはピレリのタイヤと同じ素材なんだぞ」と、そんなウンチクも織り交ぜてナイキ勢の友達を勢いで押さえ込んだりもしました。

 

366足目からが本当の戦い

上京しても贅沢できるほどのお金はなく、高いスニーカーは買えないけど、オシャレはしたいという気持ちは常にありました。全体の着こなしよりも、それぞれのパーツを尖らせたかった。古着屋でたくさん並んだヴィンテージスニーカーの端、本国オリジナルとは微妙に違うヴィンテージスニーカーが気まずそうに並んでいる。ヴィンテージと同じ時間を経ているわけだからコレでもいいか、そう自分を納得させ履いていた時期もありました。

それから数年がたち、偶然入ったスニーカーショップで、後に僕の心の師匠となる店主と出会うのです。その人が言った「1年365日、毎日違うスニーカーを履くのは当たり前、366足目からがスニーカーコレクションの1足目と言われてる世界なんだよ」という言葉がとても印象的でした。その人は800足以上集めたスニーカーを売り、スニーカーショップを開業した人で、スニーカーで身を滅ぼした先輩の“だから引き返せ”という意味の警告も“もっと気合い入れろ”と受け取ってしまったがために今に至ります。

 

廃業した靴屋の在庫、子供靴ばかりだったが少しだけ購入

 

加速してしまった暴走コレクション

誰も履いていないスニーカーを履くつもりが、見たことない、聞いたことないスニーカーなら何でも買い集める始末。
こういうことを書くと「履かないスニーカーを買うのはナンセンス」など言われることもありますが、A級やB級とは違い、値段はしないけど、ここで買わないと破棄されるというものがほとんどで、それなら誰かが履くまで自分が…なんて脳内でいつも理屈をこねくり回しています。

実際に自分が履けるサイズのスニーカーがなくて、サンダルを履いている時期もありました。これだけのスニーカーがあるのに左右の足に同じモノを履く意味なんてあるのだろうか、そう感じるようになり左右違うモデルのスニーカーを履いて腰を痛めたことも…。それも冗談ではなく全て本気だった。とうの昔に365足を超えていたけど、ただ凶暴な先輩たちの背中を見ていたので自分が集めているという意識もありませんでした。

500足を超え、1000足を超え、いつのまにか前を歩いていた先輩の背中がゆっくりと消え、両脇に大勢いると思っていた仲間はいなくなり、若い人が自分の背中を見てくれているだろうと振り返ったら誰もいませんでした。行くことも帰ることもできず、北か南か進んでいる方向もわからない、灼熱の太陽のもと砂漠の真ん中で途方に暮れているような気分でした。

 

基本は1足ずつラップに包み保管している

 

深くモノを愛せるというのは幸せなこと

あれだけあったスニーカーも手放したり、サイズの合う方に譲ったり、加水分解で崩壊したり、今では200~300足ぐらいに落ち着いています。昨今のナイキブームはもう何回目になるんだろうか、それも少しずつ影をひそめ、今では若いオシャレな人たちは自分の感覚でスニーカーを選んでいるように思います。

たくさんの選択肢を知れば、オシャレはもっと楽しくなり、人それぞれの価値観で選べるんだろう。C級スニーカーという存在を知ることで、ナイキやアディダスといったメジャーブランドのスニーカーを見る意識も変わってくると思います。なぜA級はA級と言われ、B級はB、そしてC級はCなのか。

次回は僕がC級スニーカーを集めて、履くことでたくさん学んだこと、出会った人たちのことを書いていきたいと思います。