戦前の建物、暮らし、装い……当時のすべてのモノコトに惹かれ、“その時代に生きた人”により近づけるよう毎日を過ごす穂高さん。戦前のモノの蒐集だけにとどまらず、暮らしや装い、文字の書き方まで変えるほど、魅了された戦前の文化とはどんな文化なのか。虜になったきっかけから、当時の暮らしへの想いまで。彼が夢中になった戦前のモノコトのすべてを、編集部に届いた手書きの原稿とともにお届けします。


*穂高さんからいただいた原稿(一部正字変換不可で原稿と異なる箇所がございます)は編み掛けで転記、本文は現代訳として掲載しております。

 

祖父母との時間から得た、古い時代に対する憧れ

私が明治、大正、昭和の前半の時代が好きになったきっかけは古い時代を生きてきた父母と多くの時間を過ごしていること、そして古くからの文化や建物が多く残って居る田舎で育ってきたことが主な要因である。

私の住んでいる地域には戦前から使われ続けている日本家屋が多くあるほか、江戸時代の旅籠も残っており幼少期から現代と全く違う古い建物の格好の良さに憧れを抱いていた。

 その様な古い建物が好きな私を良く理解してくれて居た父母は、よく重要文化財に指定されて居る豪農の住宅等の一般公開に私を連れて行ってくれた。当時のまま残された土間の竈や土間に近い部屋に設けられた囲炉裏や其の上の屋根に突き出た煙出しなど、今日の生活からは全く想像も出来ないような空間が広がっていた。映画でしか観たことがない物たちを興味津々に観ていた私に昭和十九年に生まれ、戦後間もなく戦前の生活様式とよほど変わらない田舎の生活を送ってきた祖父が竈や囲炉裏の他、掘りごたつや火鉢や薪風呂、汲取便所などに着いて詳しく説明をしてくれ、より一層当時の生活や古い建物に対する憧れが強くなった。

 

ある日祖父は、改築する前の我が宅の納戸に仕舞われていたという長火鉢を物置小屋から引っ張り出してきて、玄関に据え置いてそれに炭俵から出した堅炭を起こして入れ、火鉢の使い方を実演してくれた。また、戦前に先祖が使っていた炭火アイロンの実演もしてくれ、ますます興味が深まって行った。大工である祖父から木工を教えて貰い、箱を作成したり、午後三時には祖父母とお茶をしたり、冬の間は朝に炭を起こし玄関の火鉢の番をするという少し変わった幼小期を過ごした。

 

私が明󠄁治、大正、昭和の前󠄁半󠄁󠄁の時代が好きに成󠄁つた切掛は古い時代を生きて來た父󠄁󠄁母と多くの時閒を過󠄁ごして居る事、古くからの文󠄁化󠄁や建󠄁物が多く殘つて居る田舍で育つて來た事が主󠄁な要󠄁因である。私の住󠄁んで居る地域には戰前󠄁から使󠄁はれ續けて居る日本家屋が多く在る他、江戶時代の旅籠も殘つて居り幼少期󠄁から古い建󠄁物の現代と全󠄁く違󠄂ふ格好の良さに憧れを抱󠄁いて居た。其の樣な古い建󠄁物が好きな私を良く理解して吳れて居た父󠄁母は私を良く重要󠄁文󠄁化󠄁財に指定されて居る豪農の住󠄁宅等の一般公󠄁開に私を聯れて行つて吳れた。當時の儘殘された土閒の竈や土閒に近󠄁い部屋に設けられた圍爐裏や其の上の屋根に突き出た煙出し等々、今日の生活からは全󠄁く想像も出來ない樣な空閒が廣がつて居た。其の樣な映畫でしか觀た事が無い物逹を興味津々に觀て居た私に昭和十九年に生まれ、戰後閒も無くに戰前󠄁の生活樣式と殆ど變はら無い田舍の生活を送󠄁つて來た父󠄁が竈や圍爐裏の他、掘炬燵や火鉢や薪風呂や汲取便󠄁所󠄁等に著いて詳しく說明󠄁をして吳れ、より一當時の生活と其れに依る建󠄁物に對する憧れが强くなつた。或る日父󠄁は、改築󠄁する前󠄁の我が宅の納󠄁戶に仕舞はれて居たと云ふ長火鉢を物置小屋から引張出して來て、玄關に据ゑ置き其れに炭俵から出した堅炭を熾して入れ火鉢の使󠄁ひ方を實演して吳れた。又、戰前󠄁に先が使󠄁つて居た炭火アイロンの實演もして吳れ、益々興味が深まつて行つた。大工で在る父󠄁から木工を敎へて貰ひ箱を作成󠄁したり、午後三時には父󠄁母と御茶をしたり、冬󠄀の閒は朝󠄁に炭を熾し玄關の火鉢の番をすると云ふ少し變はつた幼小期󠄁を過󠄁ごした。

物置小屋から引っ張り出してきた火鉢

戦前の暮らし、装いにより近く

小学校を卒業し中学校に入学し、しばらくして昭和後半の物が好きな父が列車で数駅行った所にある古道󠄁具店に連れて行ってくれた。その店には明治以前の物から昭和後期の物まで、数多くの古物があり、その店に出会って以後小遣いを貯めては戦前の鞄などの生活で使える物を少しずつ集めて行った。

 

小學校󠄁を卒業し中學校󠄁に入學し、暫くして昭和の後半󠄁󠄁の物が好きな父󠄁が列車で數驛行つた所󠄁に在る古道󠄁󠄁具󠄁店に聯れて行つて吳れた。其の店には明󠄁治以前󠄁の物から昭和後期󠄁の物迄、數多くの古物が在り、其の店に出會つて以後小遣󠄁󠄁ひを貯めては戰前󠄁の鞄等の生活で使󠄁へる物を少しづゝ集めて行つた。

通学に使用している鞄

旅行鞄

そして古物を集めて行くうちに、蓄音機や真空管ラジオ、剃刀など生活用品のほとんどが古い物になっていった。ある日、いつもの小道具店に行き店内を見ていると、耳に掛かる部分が不思議な形をした“丸眼鏡”を発見した。それは会計をする台の下の硝子張りの陳列棚に入れられており、私が興味深そうに凝視していると、店主が陳列棚から出し、「大正期から昭和初期の頃の眼鏡だよ」と言い、掛けさせてくれた。古写真でしか見たことがない丸眼鏡の実物を掛けた時の感動は凄まじく、全身に鳥肌が立った。

決して安価ではなかったが、その美しさに圧倒せられ、なけなしの小遣いをはたき丸眼鏡を購入した。小学校の頃から眼鏡を常用していた私は、早速眼鏡店に持って行き自分の度と合うレンズを眼鏡に入れてもらい使うことにした。

 

其の樣な古物を集めて行く內、蓄音󠄁機や眞空管ラヂオ、剃刀等生活用品の殆どが古い物に成󠄁つて行つた。或る日、何時もの古道󠄁󠄁具󠄁店に行き店內を見て居ると、耳に掛かる部分󠄁が不思議な形をした丸眼鏡を發見した。其れは會計をする臺の下の硝󠄁子張りの陳列棚󠄁に入れられて居り私が興味深さうに凝して居ると、店主󠄁が陳列棚󠄁から出し、「大正期󠄁から昭和初期󠄁の頃の眼鏡だよ」と云ひ掛けさせて吳れた。古寫眞でしか見た事が無い丸眼鏡の實物を掛けた時の感動は凄まじく、全󠄁身に鳥肌が立つた。決して安價では無かつたが、其の美しさに壓倒せられ有乎無乎の小遣󠄁󠄁ひをはたき其の眼鏡を購󠄂入した。小學校󠄁の時分󠄁から眼鏡を常用して居た私は早速󠄁眼鏡店に持つて行き自分󠄁の度と合ふレンズを其の眼鏡に入れて貰ひ使󠄁ふ事にした。

大正期から昭和初期頃につくられた丸眼鏡

レンズが入りその眼鏡を常用し始めた時、私がそれを掛けて居る姿を見た祖父母は、私の曽祖父の弟に良く似ていると言い、戦前から戦後に掛けての曽租父のアルバムを見せてくれた。そこには逞しい顔の曽祖父と、セルロイド縁の丸眼鏡を掛けた曽祖父の弟の写真や家族の写真等が収められており、彼等の勇ましさに圧倒せられると共に、数々の写真から見て取れる生活の和と洋の文化の交わりと、それらが調和する美しさに改めて気付かされた。

 

レンズが入り其の眼鏡を常用し始めた時、私が其れを掛けて居る姿󠄁を見た父󠄁母は、私の曾父󠄁の弟に良く以て居ると云ひ、戰前󠄁から戰後に掛けての曾父󠄁のアルバムを見せて吳れた。其處には逞しい顏の曾父󠄁と、セルロイド緣の丸眼鏡を掛けた曾父󠄁の弟の寫眞や家族の寫眞等が收められて居り、彼等の勇ましさに壓倒せられると共に、數々の寫眞から見て取れる生活の和と洋の文󠄁化󠄁の交󠄁はりと其等が調󠄁和する美しさに改めて氣附かされた。

曽祖父とその弟の入営時の写真

それ以後、当時の文化などにより詳しく学びたくなった私は、本を読んで学んだり、租父から曽祖父母の生活の話を聴き知識を深めて行った。また、当時使われていた正字体や正仮名遣などは、中学の級友に趣味で使っている人がおり、その友人から学び、正字体や正仮名遣を用いて板書を写すなどし、戦後間もなくまで使用されていた正しい日本語についても知識を深めて行った。

中学校を卒業し高校に入学すると、制服がなくなったことやアルバイトをして小遣いを稼げるようになったことなどから当時の衣類を集め、それらを常用するようになった。

 

其れ以後、當時の文󠄁化󠄁等につきより詳しく學びたく成󠄁つた私は、本を讀み學んだり、父󠄁から曾父󠄁母の生活の話を聽き智識を深めて行つた。又、當時使󠄁はれて居た正字體や正假名遣󠄁󠄁等は、中學の級󠄁友に趣味で其等を使󠄁つて居る人が居り、其の友人から學び、正字體や正假名遣󠄁󠄁を用ひ板書を寫す等し、戰後閒も無く迄使󠄁用されて居た正しい日本語着いても智識を深めて行つた。中學校󠄁を卒業し髙校󠄁に入學し、制服󠄁が無く成󠄁つた事やアルバイトをし小遣󠄁󠄁ひを稼げる樣に成󠄁つた事等から當時の衣を集め、其等を常用する樣に成󠄁つた。
 

 

実際に編集部に届いた原稿。すべて正字体や正仮名遣を用いて書かれている

和と洋の調和が織りなす「美しさ」と「面白さ」

当時の物を用いて当時に近い生活をしてみて美しいと感じる点は、やはり和と洋の調和である。例えば、明治期よりも背広が普及してきていた大正期や昭和初期の生活では、出掛ける際に洋服を着用し、自宅でくつろぐ際には和服を着用していたという点などである。また、和服で外出する際には洋服に帽子を合わせるのと同様に帽子を被っていた点も和と洋の調和と言える。

その他、物に関することでは、蓄音機の針の箱など西洋的な物でも説明書きは縦書き、もしくは右から左に読む文になっている、かつ正字体と正仮名遣で書かれている点が面白い。

 

當時の物を用ひ當時に近󠄁い生活をして見て美しいと感じる點は、矢張り和と洋の調󠄁和で在る。例へば、明󠄁治期󠄁よりも背廣が普及󠄁して來て居た大正期󠄁や昭和初期󠄁の生活では、出掛ける際には洋服󠄁を用し、宅で寛󠄁ぐ際には和服󠄁を用して居たと云ふ點等で在る。又、和服󠄁で外出する際には洋服󠄁に帽子を合はせるのと同樣に帽子を冠つて居た點で在る。其の他、物に關する事では例へば、蓄音󠄁機の針の箱等西洋的󠄁な物でも說明󠄁書きは縱書き若しくは右から左に讀む文󠄁且つ正字體と正假名遣󠄁󠄁で書かれて居る點等が面白い。 

蓄音機の針入れ

しかし面白さや格好良さを感じることも多い反面、時代が古い為に不便だと感じることも多い。

例えば明治期から昭和初期のシャツの襟は衛生面や場面により使い分けることから着脱が可能であり、特に明治期から大正期に用ひられたハイカラーと呼ばれるハイカラの語源になった高い襟があるがこれらは高さがあるため、硬く糊を効かせる必要がある。当時は洗濯屋が行っていたが現代ではそれを行っている洗濯屋はないため、自分でデンプンを溶いた水で煮て、乾燥させて板のように硬くなった襟を炭火アイロンで皺を伸ばして形を整えるという大変な手間を掛けなければならない。

 

然し面白さや格好の良さを感じる事も多いが、時代が古い爲に不便󠄁だと感じる事も多い。例へば明󠄁治期󠄁から昭和初期󠄁のシャツの襟は衞生面や面により使󠄁ひ分󠄁ける事から着脫が可能で在り、特に明󠄁治期󠄁から大正期󠄁に用ひられたハイカラーと呼ばれるハイカラの語源に成󠄁つた髙い襟が在るが此等は髙さが有る爲、硬󠄁く糊を效かせる必要󠄁が有る。當時は洗濯󠄁屋が行つて居たが現代では其れを行つて居る洗濯󠄁屋は無い爲、自分󠄁で澱粉󠄁を溶いた水で煮て乾燥させ板の樣に硬󠄁く成󠄁つた襟を炭火アイロンで皺を伸ばし形を整へると云ふ大變な手閒を掛けなければ成󠄁らない。

大正期のつけ襟

それ以外にも時計や蓄音機など、ゼンマイを動力源としている機械が多くそれを巻く手間を要するが、結局はその不便さが堪らなく好きなのである。

 

此れ以外にも時計や蓄音󠄁機等、ゼンマイを動力源として居る機械が多く其れを卷く手閒を要󠄁するが、其の不便󠄁さが堪らなく好きなので在る。

卓上型蓄音機とポータブル型蓄音機

これらは今日のボタン一つで全てのことが瞬時に出来てしまうような便利過ぎて疲弊する生活を忘れさせてくれ、癒しをあたえてくれる。また、単純かつ丈夫に作られた時計や蓄音機などの機械が約百年経っていても現役で使えることや、衣類に穴を埋めた跡があったり浴衣の肩当てを手拭いで作ってある物を見ると一つの物を大切に使う現代人が最も学ぶべきことが学べる。

このように、可能な限り当時の物を使い当時に近い生活を送っているとやっぱり現代の生活をしている人々から見た私は変人そのものであるだろうし、自分が変人であることは重々承知している。実際列車に乗った時などに一部の人から心無い言葉で揶揄されることもあるが誰が何を言ったとしても当時に対する愛が止まることはないだろう。

そして「自分を貫き通せ」と応援してくれる身の周りの人々への感謝を忘れないようにしたい。

 

今は実家の古い和室で古い物を使い生活をしているが、いずれは築百年を越える台所や風呂などが当時のままの住宅に住み、当時の暮らしにより近づいていきたい。そして今だ知らないことは山の如くあり、それに対する探求は死ぬまで続ける予定である。

 

此等は今日のボタン一つで全󠄁ての事が瞬時に出來て仕舞ふ樣な便󠄁利が過󠄁ぎて疲弊󠄁する生活を忘󠄁れさせて吳れ、癒󠄁やしを與へて吳れる。又、單純且つ丈󠄁夫に作られた時計や蓄音󠄁機等の機械が約󠄁百年經つて居ても現役で使󠄁へる事や、衣類に穴󠄁を埋めたが有つたり浴衣の肩󠄁當てを手拭ひで作つて有る物を見ると一つの物を大切に使󠄁ふ現代人が最も學ぶべき事が學べる。此の樣に、可能な限り當時の物を使󠄁ひ當時に近󠄁い生活を送󠄁つて居ると矢張り現代の生活をして居る人々から見た私は變人其のもので在るだらうし、自分󠄁が變人で有る事は重々承智して居る。實際列車に乘つた時等に一部の人から心無い言葉で揶揄はれる事も有るが誰が何を云つたとしても當時に對する愛が止まる事は無いだらう。そして「自分󠄁を貫き道󠄁󠄁せ」と應援󠄁して吳れる身の周󠄀りの人々への感謝を忘󠄁れ無い樣にしたい。今は實家の古い和室で古い物を使󠄁ひ生活をして居るが何れは築󠄁百年を越える臺所󠄁や風呂等が當時の儘の住󠄁宅に住󠄁み、當時により近󠄁附いて行きたい。そして未だ知らない事は山の如く有り其れに對する探求は死ぬ迄續ける豫定である。