私たちにとって身近な存在であり、毎日の食卓に欠かせない食材のひとつ卵。文筆家・料理研究家のツレヅレハナコにとって、それは身近を通り越した特別な存在なのである。これまでの自著の表紙には必ず卵が写っており、『ツレヅレハナコの愛してやまない卵料理』を出すほどに卵への愛が溢れている彼女が、卵の魅力を語る。

 

冷蔵庫には約30個の卵を常備

一人暮らしである私の冷蔵庫には、常に卵が入っている。「まあ、大概の家はそうかもね」と思われるかもしれないが、控えめに言っても数が少々多い。いや、かなり多い。

まず、生卵は常に10個オーバーが基本。9個、8個になると「あ、買いに行かなきゃ」とソワソワし始める。万が一、7個以下などになろうものならもう大変。私の中の「卵アラーム」がピー!ピー!と鳴り出すのだ。そして、冷蔵庫内には別枠の卵コーナーもしっかりと確保されている。ゆで玉子8個、温泉玉子5個、味つけ玉子5個が基本。ちなみに、ゆで玉子と温泉玉子は見分けがつかなくなるので、それぞれマジックで殻に「ゆ」と「お」と書く。

 

「ゆ」と「お」と「無印」の備蓄ラインナップ。

 

つまり、約30個の卵が、日常的に私の冷蔵庫でスタンバイしていることになる。それでも、これまで卵をダメにしたことは誓って一度もない。朝昼晩に最低でも1個ずつは食べるし、なんならおやつも夜食もすべて卵だからだ。へたすると、1日5玉。
ちなみに、「卵はコレステロール値を上げるので1日1個まで」は昔の話。現在、この説は医学的に当てはまらないとされていて、個人的に心底ホッとしている。

 

卵好きなら読んで損はない名著『タマゴの歴史』。

 

「卵ソムリエ的な感じ?」と聞かれることも多いけれど、正直言って高級卵も近所のスーパーの安売り卵も同じくらい好きだ。言うなれば「卵に貴賎なし」。どんな卵も、だいたいとてもおいしいのだから困る。

 

目玉焼きこそ卵料理の真骨頂

もっとも思い入れがある調理法は、ぶっちぎりで目玉焼き。

これこそ卵料理の真骨頂。適当に作れば適当な目玉焼きになり、こだわればベストオブベストの目玉焼きになる。そして、その目指す仕上がりは、人によってさまざま。
私の場合だと、まず卵は2個。小さめのフライパンに多め(大さじ1)の油を入れて中火で熱し、そろそろ煙が上がりそうに温まったらそっと卵を割り入れる。しゅわしゅわしゅわ~という音とともに白身の周囲が泡立てば、即弱火に。ここからは、「卵を育てる」気持ちで目玉焼きと向き合いたい。

 

4種のブランド卵を同時に焼いてみた。感想は、それぞれみんなおいしい。

 

ふたも差し水も不要。じわじわと周りから火が入り、透明だった白身が白くなってきたら、黄身の状態に注意を向けていく。平べったいようでいて、実はちゃんと高さがある黄身。私のイメージでは、この黄身の下1/3には火を通し、上2/3は半熟に仕上げたいのだ。多めの油のおかげで白身のふちは揚げ焼きになり、徐々にこんがりと色づいてくる。その様子を確認しながら、黄身がベストの火入れ状態になった時こそ完成! さあ、いただこう。

 

ソーセージも焼いてみたけれど、もちろん主役は卵。

 

食べてみるとわかるのだけれど、この目玉焼きはすべてのパーツにおいて味も食感も異なる。白身のふちのカリカリ、中間地点のぷりぷり、黄身の下1/3部分のねっとり、上2/3のとろとろ……。この立体感こそ、私が求めるベストオブベストな目玉焼き。最後の晩餐は、これを白米にのせて、しょうゆをチラリとかけた目玉焼きごはんと決めている。

 

黄身の下1/3の、火が入ったねっとり部分。

 

トッピングに目玉焼きをのせてくれるだけで「好きな店」になる。

 

ゆで卵と生卵は、おやつ枠

そもそも、小学生のころから卵は私にとって特別な存在だった。

甘いものをまったく食べない子供だったので、おやつは作り置きのゆで卵。親に「火を使ってはダメ」と言われ、発明したのが「卵をマグカップに溶いて塩を入れ、ラップをして電子レンジでチンする」という自作おやつなのだ。名付けて「玉子ぷー」。

 

おやつはゆで卵or生卵の二択だったので、卵かけご飯もおやつ枠。

 

最初はいきなり3分加熱してカチカチにしたりしていたが、数十回作るうちに「1分加熱し、混ぜてから再度30秒ずつかけるとふんわり仕上がる」、「水を少し混ぜるとしっとりする」など、改善を重ねるようになる。もはや小さな卵研究者。

 

韓国版の「玉子ぷー」こと「ケランチム」。

 

もちろん、ただ卵に塩を入れただけのものなので、そうおいしくもないのだが、当時の私には大変お気に入りのおやつであった。大人になり、韓国で「ケランチム」というふくらんだ茶わん蒸しのような料理を知ったときは、「おまえ……、〈玉子ぷー〉じゃないか!」とひとりこっそり感動したものだ。

 

味だけではない!? 私が卵に惹かれる理由

あまりにも目玉焼きが好きだと言い続けていたら、我が家には数え切れないほどの目玉焼きグッズが集まった。数種の箸置きや器、ハンカチ、日傘、ポーチ、バッグ、エプロン……中でも多かったのがマグネット。紙製もあったが、いわゆる食品サンプルに磁石がついたものを買ったりいただくことが多い。その数、すでに20個以上。

 

生卵、ゆで卵、目玉焼きの箸置き。まだまだある。

 

一時期は、すべての目玉焼きマグネットを冷蔵庫に貼り付けていた。私は毎日うっとり眺めて喜んでいたけれど、来客には「ちょっとこわい」と不評だった気がする。とはいえ申し訳ないながら、それだけあってもいまだ私にとってベストオブベストの商品がないのも長年の課題だ。形、全体のテクスチャー、黄身の大きさや高さ、白身の端のカリカリ具合や色づき……。いつか完璧なオリジナル商品を手掛けるのが夢。

 

どれも惜しい目玉焼きマグネットたちのほんの一部。

 

それにしても、なぜ目玉焼きにそこまで惹かれるのだろうと思うと、どうも味だけではないらしい。「丸い白の中に丸い黄色」という組み合わせに異常なまでに執着心があるのだ。その証拠に、この組み合わせのものが目端に入ると、それだけで「おっ」と反応してしまう。

 

友人が手に取ったレモンケーキもゆで卵に見える。

 

パン屋に並ぶ、粉糖がかかった白くて丸いパン生地の中央に黄桃がのったペストリー。前を走るジープの背に取り付けられたサブタイヤカバー(白地+中央に黄色い丸のデザイン)……。しまいには、スーパーの袋詰めカウンターにあるアルコール容器まで目玉焼きに見えてくるのがおそろしい。本当に、前世あたりで鶏と何かあったとしか思えない。

 

スーパーで袋詰めするたびに毎回「ハッ」となる。

 

いつでも、どこでも卵を探し求める

とはいえ、これだけ卵を食べ続けているというのに、今でもまったく飽きる気配はない。普段の生活ではもちろん、海外など旅先でもいつもどこかで卵を探しているのだ。

日本にはないさまざまな調理法で現地の人々を喜ばせる卵の姿を見るたび、勝手に卵の身内マインドに。その国への親近感もぐぐっと増し、「これほど卵が好きだなんて、ここは良い国だなあ……」としみじみするのだ。

 

インドの卵屋。親子ともどもで売られている。

 

世界中で愛され、いつも気づけばそこにいてくれる卵。

卵かけご飯や目玉焼きなどシンプルな料理が定番である一方で、見たこともないような凝りに凝った一皿にも姿を変えることができる。その奥深さへの興味が尽きることはないだろうし、私にとっての生きがいとなるはずだ。

この先、果たしていくつの卵を食べることができるだろう。そして、「卵ばっかり食べてたよねえ」とゆで卵とビールを仏壇に供えられるおばあちゃんになりたいと目論んでいる。

 

卵を好きな国は良い国だ。