日本人なら1度は見かけたことがあるであろう「街角狸(まちかどたぬき)」。

どこかで見たけど、どこにあったかな。そんな人も多いはず。
注目を浴びることないけれど、平和の象徴…?
街の片隅にひっそり佇むその姿には、たぬきと日本人との特別な関係性が影響している…?

あなたの街にはどんな狸がいるだろう?平和を見つけに、街散歩に出かけよう。
 

街角狸は平和の象徴

笠をかぶって徳利と通帳を持ち、少し首を傾げて微笑む狸の置物。
皆さんも一度は見かけたことがあると思います。

私はそんな狸の置物を「街角狸(まちかどたぬき)」と呼んで撮り集めています。
日本の風景にあまりにも馴染みすぎているその姿に、ほとんどの人は注目せずに通り過ぎているものと思いますが、私はある時近所の駐車場でプランターに半分植わった状態の狸を見つけ、縁起物なのにそんなに雑に扱われてしまう不思議な存在感がどうしても気になってしまいました。その後、SNSを通じて分析や情報発信をしているうちに日本たぬき学会の会長という大任を任されるまでになりました。2016年に「#街角狸」とつけて全国の街角狸写真の投稿を呼びかけたところ、4年間で5006狸の生息を確認することができました。

 

 

この街角狸データを分析することで狸の生息分布が見えてくるのですが、まさに全国津々浦々に街角狸が存在していることが分かりました。これほどまでに全国に流通していて、かつこれほどまでに注目されていない存在も珍しいのではないかと思いますが、実はその空気感こそが日本人と狸との関係そのものであり、面白さであると感じています。

というのも、タヌキは日本を中心とした東南アジアとヨーロッパの一部のみに生息する世界的に見ると希少な動物ですが、日本人には昔から馴染みが深く、様々な道具や防寒具として利用されてきました。かといって狩猟で取り尽くしてしまうわけでもなく、家畜やペットとして身近に飼われるということもなく、付かず離れずの関係から様々な変身譚が生まれ、落語や昔話でも頻繁に登場する身近なキャラクターとなっていったのです。

 

 

私は日本全国の民家の軒下や店舗のショーウィンドウに無造作に狸が置かれていることを見て、「街角狸は平和の象徴」であるという実感を得ました。もともと動物のタヌキ自体が争いを好まない平和的な動物であるということに加え、縁起物という効果の保証できない商品を購入する日本人の気質や金銭的余裕、さらに街角に置かれた置物を盗んだり壊したりしない治安の良さ、これらが奇跡的に組み合わさったのが現在の街角狸の状況なのです。

 

意外に浅い街角狸の歴史

この狸の置物が動物のタヌキとは異なり、二本足で立ち上がった不思議な風貌をしているのは、おつかいで酒を買いに来る子供、つまり「酒買い小僧」に化けた狸をモチーフにしたためとされます。

この「酒買い小僧」狸をはじめて作ったのは藤原銕造(ふじわらてつぞう)という人で、明治九年に生まれ、九歳から伯父の清水焼の窯元で働きました。狸の置物はそこではじめて作られたので、意外なことに「酒買い小僧」狸は、まだ誕生から130年程しか経っていないことになります。

藤原銕造の狸が京都で人気となった後、昭和六年に信楽に狸専門の窯「狸庵」を開くこととなり、以来信楽が狸作りの中心地となりました。その信楽の狸は、昭和二十六年の昭和天皇信楽行幸をきっかけに全国に知られることになります。日の丸の旗を持たせた信楽狸を沿道に並べ、一行を歓迎した光景が新聞に掲載されたことで、一気に信楽狸が脚光を浴びることになったのでした。

誇張されたお腹や金袋などのパーツには「八相縁起」と呼ばれる縁起が込められていて、「狸」=「他抜き」という言葉遊びで、商売繁盛の縁起物として広く全国に流通することになりました。

 


 

あなたも街角狸に化かされよう

現在そのほとんどは滋賀県の信楽町で作られており、小さいものは親指サイズ、大きいものは人の背丈を超えるものまで、年間なんと10万体も作られているそうです。オス、メスはもちろん、狸が化けるという共通認識を活かして、カラオケのマイクを握っていたり、サッカーボールを持っていたりと豊富なバリエーションを誇ります。

 

まるで人間のようなサイズ感と立ち姿

 

一方こんなに小さなこどもタヌキも

 

マイクを握っています

 

最近では両手にフクロウやカエルなどの他の縁起物を乗せて『縁起力』をアップさせるトレンドがあり、カタログ商品だけで約三百種類もあるのです。

 

 

また、狸自体のバリエーションの豊富さに加えて、狸が置かれている場所によってさらに奥行きが増します。最初は軽い気持ちで狸ってよく見ると似たようでいてそれぞれちょっと違うよなと写真を撮り始めましたが、よくよく考えると日本の街角にこれほど沢山の狸がいるというのは少し異常なことのように思います。それほど狸という存在が日本人の潜在意識レベルで関わりを持っているということなのですが、この不思議な存在についてあまり研究がなされていないように思います。その理由のひとつが狸という存在はどれだけ真面目に取り組んでもいつも化かされたようにうやむやになってしまうということがあります。前述の藤原銕造氏がなぜ狸像を作り始めたのか、はっきりと語られていてもおかしくないのですが、月夜の晩に踊る狸を見たとか、狸に関してはいつも少し遊びを持たせた逸話が残りがちです。そこが難しさでもあり、このせちがらい時代にあえて白黒はっきりつけないところが魅力でもあります。

どうか次に街角で狸を見つけたら足を止めて観察してみてください。都会の片隅にひっそりと佇む街角狸を見ると自分が狸に化かされているのではないかと思えてくることでしょう。