もはや私のライフワークとなっている道路趣味だが、その中でも特に大好きな酷道。初回の記事でも触れたが、日本で最上位に君臨する道路といえる“国道”だが、時として走行するだけで恐怖を感じるような国道も存在する。そんな状態が酷い国道のことを、我々は親しみを込めて“酷道”と呼んでいる。

 

運転免許取り立てのドキドキドライブ

私がなぜ酷道にハマったのかといえば、人生で初めてドライブした時にまで遡る。今から25年ほど前、まだ二十歳そこそこだった時に運転免許を取得した。せっかく免許を取ったし、レンタカーでどこかへドライブしようと考えた私は、名古屋駅前で車を借りた。

金曜日の夜、名古屋の繁華街は車であふれていた。路上駐車や右折待ちの車を回避するためには、頻繁に車線変更しなければならない。やんちゃな運転をする車も多く、初心者ドライバーには非常に厳しい環境だった。名古屋市内を30分ほど運転しただけで気力を削られ、疲れ果てていた。私はもう繁華街は走りたくないという思いから、行き先をどこにするか作戦を練ることにした。SNSはおろかネットも十分に普及していなかった時代、紙の道路地図だけが頼りだった。

もう車が多い道はこりごりだ。かといって、細い道も困る。
「国道だったら大丈夫だろう。」
そう安易に考え、なるべく交通量が少なそうな国道を選んだ。

国道157号で福井県まで行くこと決め、夜な夜な再び出発した。この選択が、私の人生を大きく変えたといっても過言ではないだろう。

 

福井県の県境を越えても緊張する酷道が続く。(昔の写真をスキャン)

 

岐阜駅前を通過し、郊外になると交通量は激減。初心者でも走りやすい2車線道路となった。
「このまま夜通し福井まで走ってやるぞ。」
そう意気込んで臨んだものの、根尾市街を過ぎたあたりで状況が一変する。山間部の集落に差しかかるとセンターラインが消え、車幅ギリギリしか道幅がなくなってしまったのだ。

心細いが民家があるので、最悪の場合、助けを求めることはできそうだ。それを心の頼りにして進んでいたが、さらに進むとついに民家が見えなくなってきた。そして、とんでもない看板が目に飛び込んできた。
“危険 落ちたら死ぬ!”
黄色地に赤色で書かれた衝撃的な文字が、ヘッドライトで闇夜に照らし出されている。ここまで進んできて、何という仕打ちだ。

 

“落ちたら死ぬ”という恐ろしい文字

進むべきか戻るべきか、“落ちたら死ぬ”の文字を前にしばし考え込んでいた。人生初ドライブにして、とんでもない判断を求められている。もう既に何時間も走ってきたことや、既に戻りたくない道のりだったことを考慮して、進むという決断を下した。覚悟を決めて、車を進める。

 

          夜間に見た落ちたら死ぬ看板。初心者ドライバーからすれば、落ちなくても死にそうな気持になる。

 

長男が生まれた時、生後100日目の記念写真をこの前で撮った。

 

左手には山の斜面が迫り、右手は崖っぷちだ。暗闇なので崖下は見えないが、耳を澄ますとはるか下のほうから水の音が聞こえてくる。道路にガードレールはなく、崖下へ遮るものは何もない。運転操作を誤れば、崖下に転落して命はないだろう。まさに、落ちたら死ぬ状況だ。

対向車が来ないことを祈りつつ、慎重に、とにかく慎重に車を進める。キリキリと胃が痛むような緊張感。手のひらからは、汗がにじみ出る。“手に汗握る”というが、人が本当に緊張すると手のひらから汗が出るのだと実感した。落ちなくても死にそうな思いでハンドルを握っていた。

岐阜県から福井県に入っても、油断ならない道が続いた。暗闇で街灯もガードレールも無いため、どこまでが路面でどこからが空なのか、見極めるのが難しい。緊張感漂うドライブは、数時間に及んだ。

真名川ダムが近づいてくると、久々にセンターラインが復活した。待望の2車線道路だ。こんなにもセンターラインが恋しくなるとは思ってもいなかった。幸いなことに、落ちたら死ぬ以降、対向車は1台も来なかった。

心身ともに疲れ果てていたため、すぐにでも車を停めて仮眠したいところだが、灯かりが全くないので安心できない。寝ていたら地面が崩れるんじゃないかとか、落石に潰されるのではないかといった妄想が、頭の中を駆け巡る。結局、大野市の市街地まで出たところでコンビニの灯りを見てやっと安心し、長めの仮眠をとった。これが、人生初ドライブにして、酷道との馴れ初めだ。
初めての酷道は、もはやトラウマとなり、二度と走るもんかと心に誓った。別ルートで帰ったのは、言うまでもない。

 

本当に落ちたら死ぬ高さを走る。

 

この道幅でガードレールが無い。後に天下の酷道として名だたる酷道であったことを知る。

 

これでも川との距離は低くなったほうだ。

 

再び国道157号へと

数ヶ月後、あの国道157号はいったい何だったのかと、冷静に考えられるようになってきた。国道なのにあんな道も存在するのかと、少し気になってきた。さらに時間が経ち運転に慣れてくると、トラウマを解消するべく、再び国道157号を訪ねていた。今度は夜ではなく明るい昼間だ。

明るくて色々よく見えてしまうためスリリングではあるが、見えない恐怖に比べたらよほどマシだ。景色を眺める余裕も生まれてくると、なんだか徐々に楽しくなってきた。当時は下道だけで東北や九州を頻繁に訪れていたが、その行程に酷道を含めるようになった。このようにして、徐々に酷道にハマっていった。

当初は、国道のイメージとのギャップや、高所を走るスリルを中心に楽しんでいたが、多くの酷道を訪ねるうちに楽しみ方も増えていった。酷道は、道の状態が酷いためゆっくりとしか走ることができない。急ぐ移動には向かないが、酷道を走ること自体を目的とし、移動も旅の一部だと考えれば、なかなか楽しい。ゆっくりとしか走れないため、高速で移動していたら見えなかった風景も色々と見えてくるようになった。車で走るだけで人々の生活感をリアルに感じ取れるのも、酷道の醍醐味といえるだろう。

また、ひとくちに酷道といっても、色々なパターンの酷道があることに気づいた。落ちたら死ぬような、いわば王道系の酷道は山間部に存在する。しかし、都市部にも酷道はある。住宅地で家屋が道の左右にあるが故に拡幅できず、狭い生活道路のようになっている国道166号や、アーケード商店街が国道に指定されており、一日のうち夜間の限られた時間しか自動車で通行することができない国道324号などだ。
また、青森県には階段が国道に指定されている区間があり、階段国道と呼ばれている。現在は階段を国道に指定しなくても、並行して立派な車道があるのだが、階段国道が観光地になってしまったので、国道指定を外さない配慮がなされている。こうした国道たちも、酷道に違いはない。

 

長崎県にあるアーケード商店街になっている国道。午前5時から10時までの5時間しか自動車は通行できない。

 

青森県にある階段国道。

 

都市型酷道の例、国道166号。大阪府羽曳野市の上ノ太子駅前付近はとにかく狭い。

 

国道標識がなければ国道には見えないだろう。

 

酷道は私の生活を豊かにしてくれる大切な趣味だが、どうしても避けられない運命がある。それは、年々減りつつあり、いずれは消滅してしまうということだ。酷道を2車線に拡幅することはあっても、広い道路をわざわざ狭くすることはないだろう。また、バイパスが建設されれば、旧道は国道指定を外されることが多い。そのため、酷道は時代とともに減少の一途を辿っている。あくまでも私の主観になるが、20年前には全国に120路線ほどあった酷道が、現在では約60路線と半減している。

当初は消滅してゆく酷道が悲しくて切なくて仕方なかったが、近年、新たな門出をお祝いしようと思えるようになってきた。例えば、昨年11月にバイパスが開通して酷道区間が消滅した国道417号は、バイパスが開通する前日と当日、2日間にわたって現地を訪ねた。前日は長年にわたる思い出を噛みしめ、最後を見届けるため。当日は、新たな門出をお祝いするためだ。多くの思い出が詰まった酷道だけに切なさはあったが、お祝いしてあげなきゃという謎の義務感も発生し、さながら娘が嫁ぐ日の父親のような複雑な心境だった。

 

国道417号が酷道ではなくなる前日、現地を訪ねて別れを惜しんだ。

 

国道417号が酷道ではなくなった瞬間、現地でお祝いをした。

 

国道417号が酷道ではなくなった瞬間を複雑な心境で迎えた。

 

社会の移ろいとともに道路は進化する。時代に取り残された酷道もまた、遅れながらも進化し、消えてゆく。道路を楽しむ趣味者も同じで、道路とともに変わってゆく。私も随分と変わったと思うが、変わっていないものもある。それは、趣味である以上楽しくなくては意味がない、という思いだ。

こうして記事を書いたり、時にはテレビに出たり、街に出てツアーのガイドを行うこともあるが、それらは全て道路の楽しさを伝えるためであって、趣味の範囲だと考えている。平日は工業薬品を研究開発する仕事に就いており、道路のことは基本的に自分自身が楽しいと思うことしかやってこなかった。もしも楽しくなくなってしまったら、この趣味をスパッと辞めようと思っている。

今のところ、道路の趣味はずっと楽しい。酷道は減っているが、仲間は年々増えている。見る人の目が多くなれば、新たな発見が生まれる。長年ずっと見てきた酷道なのに、初めて来た人に教えてもらうことは実に多い。そして、行き慣れた酷道が、初めて来た時のようにまた楽しくなる。

今後、酷道がどのように変化していくのか、変化する酷道をどのように楽しむのか、自分でも全く分からない。ただ、酷道は減っても酷道の楽しさは今後も尽きることがないと信じている。