1,000年以上前から、武器として、美術品として、ときには信仰の対象として、全国津々浦々で作られてきた日本刀。変化に富む刃のきらめき、個性豊かな装飾、緻密で多彩なデザイン。そんな日本刀の世界に魅せられたのが、梨の妖精・ふなっしーだ。ふなっしーは数年前から日本刀を集めはじめて、いまやご当地キャラ界屈指の日本刀偏愛者として知られる存在になった。後編では、そのあふれんばかりの愛を “梨汁100%”で語るとともに、60振りを超える自身のコレクションについても詳しく教えてもらった。

前編はこちら

 

ヾ(。゜▽゜)ノみなさん、前編に続き見にきてくれてありがとなっしー!! 今回は、ふなっしーの日本刀コレクションについてお話しますなっしー。ふなっしーの家には日本刀専用の部屋があって、ガラスケースのなかにずらっと並べているんですけど、その一角はふなっしーにとって神社のような空間で。朝起きたらまずその部屋で、一礼してから刀に触れるのが日課ですなっし。眺めたりクロスで手入れしていると、背筋がシャキッとするなっしな! 

よく時代劇で、武士が背筋を伸ばして刀を眺めるシーンがあるじゃないですか? あのピッとした姿勢は、刀と向き合う作法であると同時に、自己防衛でもあるなっしよ。なぜなら、ちゃんと気を引き締めて持たないと危ないから(笑)。ふなっしーも刀をコレクションするようになって実感しているんですけど、ぼーっとして万が一手が滑ったら、最悪指がざくっといくなっしな(汗)。だからキリッと精神を統一して触れるようにしています。

でも不思議なもので、一日の終わりに眺めているときは、朝と違って疲れが取れる感覚もあるなっし。なんだか身体がふわ~っとするなっし。あと、刀に触れていると想像力が働くんですよ。刀には為銘(ためめい)という、注文主の名前が刻まれていることが多いんですけど、たまに当時のお侍さんの名前が記されていたりして。歴史に名前は残っていないけど、注文主であるその人は確かに実在していた。で!! その人が愛用していた刀が代々伝わって、ふなっしーのもとへ来たなっしよ。すごくないですかなっし!? そんなことを考えだしたら、どんどん想像が膨らんでいくなっしな。

 

武器として使われていた刀は、 やがて代々受け継ぐ家のお守りになった

そしてみなさん、現代の日本には何振りの日本刀が現存していると思いますか? ふなっしー、コレクションするようになってから調べてみたんですけど、なんと2、300万本もの刀が残っているんですよ!! なぜそんなに残っているかっていうと、日本刀は戦闘で使う武器から、各家庭で代々受け継がれていくものに変わっていったという歴史があるから。前編でも書きましたけど、お守りのような存在なっしよ。

刀屋さんで聞いた話だけど、刀って時代劇や漫画だとメインの武器として使われてたイメージが強いけれど、実際野戦で使われた武器は槍や弓が主力だったって言われてるなっしー。
刀は補助的な武器で、身を守る御守りの様な存在だったらしいなっしー。

ただそれ以前の鎌倉時代~南北朝時代は、弓も主力ですが、ガンガン刀を使って戦っていたなっし。鎌倉時代の武士は、いわゆる職業軍人で。生まれ持った宿命を背負い、戦うために生きて、主君や家名を守るために死んでいく! という価値観のもと、基本的に名乗りを上げてタイマンで勝負するスタイルなっしな。それが室町時代に近づくにつれて、戦法が騎馬戦から足軽を主体とした集団戦へと変わってきたなっし。正々堂々とタイマンでカタをつけるよりも、大勢で突っ込んだほうが勝てるんじゃ!? ということに気がついたなっし! 

それからは槍や鉄砲、弓がメインの武器になって、次第に刀はお守りという役目に変わっていったなっし。だからこそ戦が減った江戸時代以降でも、刀は武士の身分を表すものとして作られ続け、数が増えていったみたい。ふなっしーは日本史マニアでもあるんですけど、こうして刀をきっかけに新しい側面から歴史を学ぶことも多いなっし。こうして偏愛するものから知識が広がっていくのもすごく楽しいなっしー!

 

現代技術を駆使しても再現できない 鎌倉時代に作られた日本刀のすごさ!

 

刀は作られた時代によって特徴があって、ふなっしーは武器として使われていた鎌倉時代の刀が好きなっし。元となる玉鋼を折り返し鍛錬することで生まれる「地鉄(じがね)」が深~く澄んでいて、奥行きのある表情がたまらなく美しいなっし。もちろん、ほかの時代に作られた刀もすごく綺麗。でも、鎌倉時代の刀がまとう奥ゆかしさや素材が持つ鉄味(てつあじ)は、唯一無二だと思うなっしな。

そのすごさは、国宝や重要文化財に指定されている刀は、鎌倉時代~南北朝に作られたものが多いことでも証明されているなっし。なぜなっし? と思って刀匠の知り合いに聞いたら、その時代に作られた刀は現代の技術力を駆使しても再現できないから貴重らしいなっしな。原材料やその配合も不明なのと、人間の目には分からない微細な風化もあるんじゃないか、と。当時の刀匠がどんな技術を用いていたかも解明されていないから、現役の刀匠ですら同じようには作れないなっし。

そういうことを知れば知るほど、この時代の刀匠たちってすごいな!! って思うなっし。なかでも有名なのは、鎌倉時代末期に活躍した正宗という刀匠で、国宝9振り、重要文化財10振りは、この人が作っているなっし。正宗はもうすごいというレベルを超えて、この時代の刀の完成形を作っちゃったなっしなー!! そのあとの時代に活躍した刀匠たちは正宗をはじめとするこの鎌倉時代の素晴らしい刀匠達を目指して、作刀に励んでいった歴史が今に続いているなっしー。

 

時代ごとに異なる日本刀の個性。 ふなっしーが特に好きな、岡山と京都の日本刀の魅力

 

日本刀のコレクターは、好きな流派の刀匠が手がけた刀を集める人や、さらに深掘りして限定した時代の刀を集める人もいるなっし。ふなっしーにも好きな刀派があって集めているんですけど、特に岡山県発祥の備前長船(びぜんおさふね)派、京都府で知られる粟田口(あわたぐち)派が好きなっしな。

武士に愛されてきた備前長船派は、素材を焼く過程で生じる「刃文(はもん)」の上に見られる「映り(うつり)」という霧のような部分がとても深く表れているんですよ。映りだけで「これは備前長船派だ!」って分かるほどで、そんなところに惹かれるなっし。粟田口派はきらびやかで、地鉄がキラキラしていてすごく上品なっしよ。公家に愛された刀派としても知られており、天皇家の所蔵品にも粟田口派の刀がたくさんあるなっし。この二派は持ったときに、いいな~!! って感じるなっし。

つらつらと語っているけど、刀にハマりはじめたばかりのころは、模造刀と本物の見分けすらつかなかったなっしよ。博物館で見たり刀屋さんに教えてもらいながら、だんだんいい刀とはどんなものか分かるようになってきたなっし。

 

ただいま、マイ日本刀を制作中! 偏愛は文化継承の一端をも担うかもしれないなっしー

実はふなっしー、いま岡山・備前長船の安藤刀匠(コンクールでたびたび特賞を取っておられる実力派の方!!)にマイ日本刀を作っていただいているなっしよ! 刀自体はもう完成したけど、彫りを入れたり、身と鞘がぶつかるのを防ぐ鎺(はばき)を作ったり、研ぐ作業もあったりで、完成は来年なっしなー! 待ち遠しいなっしー!!

この刀は、重要文化財に指定されている福島兼光(ふくしまかねみつ)という刀を写す形でオーダーしたなっし。刀にはリスペクトを込めて、過去に作られた名刀を再現する「写し」という考えがあって。例えるならカバーソングのような感じなっし。東京国立博物館で福島兼光を見たときに「あぁこの刀ほしいな」と素直に思って、いつか自分の刀を注文するときは写しをお願いしたいと考えていたから、もう嬉しくてたまらないなっしー!!

福島兼光の何に惹かれたか? 姿がすごくシャープでかっこいい!! し、派手すぎず静かすぎない面持ちもたまらないなっし。あとふなっしーが大好きな龍の掘りものが入っていて、厨二心をくすぐられたなっし。

ちなみに福島兼光は、戦国武将・福島正則の愛刀だったことから名付けられたなっしな。刀の名前は持ち主の名前がそのまま付けられることもあれば、切れ味や姿から名付けられることもあるなっし。というわけで、ふなっしーの刀は「長船橋(おさふねばし)」と命名したなっしー!! 長船に、ふなっしーが住んでいる船橋をかけて!! これは頼む前から決めていました。

冒頭で話したように、ふなっしーがこの世から離れても、この刀は残るなっしな。だからやがては、ちゃんと刀を愛する人に受け継いでもらいたいなっしよ(ちょっと気が早いけど)。理想は“ふなっしーの刀”として、300年後の船橋の博物館に飾られることなっしなー。ほかの刀も含めて刀匠のお名前も残していきたいから、ベストな形で受け継がれていくことを願うなっし。

ふなっしーはこれまで何振りもの刀を買いましたけど、大事に手入れをして次の人に繋ごう……という気持ちのほうが大きいなっし。だから一つとして、自分のもの! っていう所有感がないなっしよ。日本刀を介して、時代のバトンリレーをしているような感覚というか。こうした日本刀の文化がずっとずっと残ってほしいし、長船橋が少しでも、その一端を担えたら嬉しいなっしなー♪

 

Text by 金城和子
Photo by 押尾健太郎