鬱々としていた日々の中、人生を思わず投げ出しそうになってしまったその時に、アイドルプロジェクト「ハロープロジェクト」に偶然出会い、救われ、虜になった、ある男が綴るハロプロ偏愛ストーリー。

 

うだつの上がらない日々に『桃色片想い』

ハロプロを通じて出会った頃の杉作J太郎さんと私。

 

2003年、大阪。内部進学でほぼ合格が約束されたはずの大学院入試に、あろうことか不合格となった私は、アルバイトをしながらバンド活動に励んでいた。

大学の音楽サークルで結成されたそのバンドは、ノイズ・ジャンク・アバンギャルドロックなどと形容されるアンダーグラウンドな類のものであり、大衆性を容赦なく排除し奇抜さだけを追い求めた代物であったが、無謀にも私たちはそれで食べてゆくことを夢みていた。

しかし、リーダーであるサークルの先輩からの理不尽なモラハラと、極貧生活からくる将来への不安とで、私は次第に気力を失っていった。古いアパートの部屋の中では、極力電気を付けず、浅川マキや森田童子といった、比較的あの世がよく思えてくるタイプの世界観が魅力的な音楽を好んで聴いて過ごした。

ある晩、とある友人が私のアパートを訪れ、勝手に上がり込もうとしたところ、真っ暗な部屋の中、ゴミと服に埋もれて丸くなっている私を見てしまった。
ステレオからは早川義夫『サルビアの花』が流れていたという。
これはまずいと思ったその友人は、私を元気付けようと、様々な女性アーティストのミュージックビデオをコピーしたC D―Rを用意し、「これでも見て元気出せ」とポストに入れてくれた。

後日、そのC D―Rを再生した私は、一本のM Vに目が釘付けになった。

それは松浦亜弥『桃色片想い』。
当時大ブレイクしていたあややの存在はもちろん知っていた。好きだと曰う友人も身近にいた。テレビでその映像を見たこともあった。しかし、その時は何かが違っていた。

太陽のように眩しい少女の姿に、涙が溢れた。音楽はずっと好きだったのに、そんな体験は初めてのことだった。こんなに輝いている人がいるのに、暗い部屋で自分は一体何をしているんだと恥ずかしい気持ちになった。

これが、松浦亜弥、そしてハロー!プロジェクトとの出会いだ。この人のことをもっと知りたい。私には生きがいが生まれ、前を向いていくことを決めた。

景気が悪いとアイドルが流行するという説もある。
毎日が暗黒の木曜日状態だった私の心にスッと入りこみ救ってくれたのは、ハロプロのアイドルであった。松浦亜弥をきっかけに、モーニング娘。や他のユニットもあっという間に好きになった。

 

「ハロプロあべの支部」との出会い

ファンになってからしばらくは、とにかくインターネットで情報を収集したり、出演するTV番組をチェックしたりといった孤独な応援活動だったが、その後同じハロプロを好きな友人たちとの出会いが、さらに私のQOLを向上させた。
彼らは「ハロプロあべの支部」と名乗り、ハロプロに関するトークライブを主催していた。何となくそこに訪れた私は、その面白さに衝撃を受け、この人たちと友達になりたいと思い、普段ならあり得ない行動力で声をかけた。みんなだいたい30歳前後で、アンダーグラウンドなバンドで活動しているような属性の近い人たちだったのも良かった。

出会った当初、彼らとカラオケに行ったら、それは「モー。カラ」と呼ばれるモーニング娘。とハロー!プロジェクトしか歌わないカラオケだった。髭面の男たちが汗だくで振り付けを踊るのも衝撃の光景であり、これがマンガ「デビルマン」で見たサバト(悪魔を呼び起こすためのパーティ)というものではないかと呆気に取られたが、「恋愛レボリューション21」が流れたとき、1人が着ていたタンクトップの片方の肩部分を引きちぎり、同曲のワンショルダーの衣装を再現する行為に及んだ時、もうこの人たちとハロプロとずっと一緒に生きて行きたいと思った。

 

いつかハロプロに恩返しを

石川梨華さんの卒業コンサートに大阪から日本武道館に駆けつけた時の私。
 

こんなにも何かに熱狂するという経験がほとんどなかった自分にとっては、同じ好きなものを語り合える友人に出会えたことは重要だった。私はさらにハロプロにのめり込み、多くのハロプロファンと出会うことになった。

その時に出会ったハロプロファンの1人に、漫画家でタレントの杉作J太郎さんがいた。
彼は加護亜依さんを命懸けで応援していたが、「彼女の前に水たまりがあったら、自分はそこに敷かれる上着になる」という考え方の人で、「加護ちゃんが週刊誌に狙われて元気がない」という理由で自分はそれに関与したくないと週刊誌関連の仕事を全て辞め、自分がメディアに出る際は、何にも関係ないのに「あいぼん可愛い」とアピールする活動に励んでいた。その見返りを求めない愛情に私は感銘を受けた。それ以降、「私もこうありたい」と思うようになった。

「なぜ、ハロプロを好きになったのか?」と聞かれると、惑星直列ではないが、その時たまたますべての条件が運命的に揃ったからとしか説明できない。
ただ、そこで出会う、ハロプロに熱狂する人たちが画期的に面白く、それが私のハロプロへの気持ちに拍車をかけたことは否めない。いい歳の大人たちが、一方的に知っているだけの他人のために熱くなる姿を見たことが、私のハロプロを応援する原体験として存在している。彼らは、ハロプロメンバーたちを「カッコいいもの」として見ていた。それは、幼い頃に胸を熱くしたヒーローもののTV番組やアニメ、特撮映画に対する気持ちに近かったと思う。熱いシスターフッドがあり、苦難を乗り越える感動の成長物語があり、予定調和でない人間ドラマがある。そこに物凄くいい曲があり、人間的魅力に溢れたキュートなキャラクターたちが歌い踊るステージがあるのだから、もうそれは私にとって、他に類を見ない特別なエンターテインメントだったのである。

そして事実として私は、絶望の中を彷徨っていた時に松浦亜弥さんとハロー!プロジェクトに救われた。それは、何らかの形でいつか恩返しをしなければいけないという気持ちがあった。