日本のヒップホップ界において、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドを繋ぐ稀有な存在である、ラッパー・呂布カルマ。名古屋芸術大学出身で漫画家を目指していた過去もある彼は、実は大の昆虫好きとしても知られる。そんな彼の思考を紐解くと「昆虫にはロマンがある」、そう思えてきた。前編では、彼が虫嫌いを克服した理由、虫の何に魅力を感じているのかを訊いた。

 

虫は「デザインとして完成されていて、曖昧な部分が一つもない」

僕が虫を好きになったのは、20代半ば頃のこと。富士山の付近で行われたレイブに行ったのがきっかけです。そこには街で見ないサイズ感の虫がいっぱいいて、トイレに行ったらでっかい蛾が目の前に止まっていたんですよ。でも用を足していて動けないから、ぎゃあぎゃあ言っていてもしょうがないと思って、まじまじ見てみたんです。それはヤママユガだったんですが、じっと見ていたら「あれ、かっこいいかも」と、ふと思って。虫に対する気持ちが変わっていったのはそこからです。元々僕は、多くの人がそうであるように、「子どもの頃は平気で虫が触れたのに、大人になって気がついたら触れなくなっていた」というタイプでした。

その気持ちの変化をきっかけに、その日は出会う虫、出会う虫をよく観察するようになって。「あ、かっこいいな」「かっこいいじゃん」って、その日のうちに虫に対する気持ちがどんどん変化していきました。そこで冷静に考えてみたら、これまで蛾に何か危害を加えられたことってないんですよね。ただ多くの人が、「なんとなく気持ち悪いから嫌い」と思っている。でも実際には、こちらから何かしない限り、蛾は特に何もしてこないですよね。だからその日も、蛾をよく観察できました。そしたら「デザインとして完成されていて、曖昧な部分が一つもない」ってことに気づいて、興味が湧いてきたんですよね。

一つの種類を好きになるとほかの虫もだんだん好きになっていって、虫を撮影している人とかをSNSでフォローし始めました。そうすると、見たこともない海外の虫とかをその人たちが投稿しているんですよ。それで、「こんなパターンもあんのか?」って、新たな虫をどんどん知るようになって。それが面白くて、ハマっていきました。ヤママユガの次に好きになったのは、ハエトリグモ。蜘蛛に興味を持って色々な画像を見ていたら「めちゃくちゃかわいい蜘蛛いる」と思って。ハエトリグモが頭に水滴を乗せている写真とか、めっちゃかわいいですよ。体がちっちゃいから、水滴が王冠みたいにポコって乗るんですけど、それがもうめちゃくちゃかわいくて。ハエトリグモは日常でも結構出会う虫で、以前だったら「うわ」ってなっていたけど、かわいさに気づいてからはよく観察するようになりましたね。

 

“よくわからない”が怖さにつながっている

僕は虫が得意じゃなかった時期も、実は虫に対して「怖い」と思ったことはなくて。だって、絶対に負けないじゃないですか。虫を好きになる前、一時期ゴキブリ駆除の仕事をしていたこともあったくらい、虫に対して「怖い」って感情を持ったことはないです。

じゃあなぜ、過去の自分を含めみんなが「なんとなく気持ち悪い」と思うかというと、「よくわからない」部分があるからじゃないかと思います。例えば、ゾウとかカバに対して「なんとなく気持ち悪いから嫌い」って思う人って、いないと思うんですよね。虫がなんとなく嫌いという人は、虫をよく観察すると良いと思います。そうすると、「よくわからない」と思っていた部分がわかるようになって、「あ、全然気持ち悪くないな」ってなるんじゃないかと思います。

それに、虫って嫌でも日常で出会ってしまうものだから、好きでいた方が得だと思うんですよね。僕は昆虫採集には出かけずに、日常で出会う虫を愛でるタイプなので、虫を好きになったことで日常に“ラッキー”が増えました。虫嫌いな人の場合、虫が飛んできたら「ぎゃー」ってなるところを、僕の場合は「来てくれた」って感謝できる。ハエが僕の腕とかに止まったら「人懐っこいな、コイツ。俺が怖くないのか?」って思います(笑)。「ラッキー」って思ってしばらく観察していると勝手にどっかに行くので、“流れ星的なうれしさ”が日常に増えますね。

あと、僕個人の「虫を好きでいてよかったこと」といえば、「グラビアアイドルに昆虫嫌いを克服してもらう」という雑誌の企画に呼んでもらえたこと。水着姿のグラビアアイドルの方との写真撮影で、はがいじめにされたりして、「これは虫を好きでいたことで巡ってきた幸運だ」と思いました。これが僕の「虫生活」の中での一番の収穫です。それ以降、どんな虫を見つけてもそのときの感動は越えてきませんね(笑)。

 

虫が好きだと“街の解像度”も上がる

「日常にラッキーが増える」という話だと、前に皇居の周りで見つけた芋虫を、名古屋の自宅まで持って帰ったこともあります(笑)。ペットボトルを切って、その中に入れて。それはホシホウジャクの幼虫だったので、羽化するところまで育てて逃しました。羽化すると幼虫のときと食べるものが変わるし、カゴの中で飼っていると羽が傷ついてしまうので、必ず逃すようにしています。ホシホウジャクは身の部分が太くて、よく観るとうさぎとかに似ていて哺乳類みたいなかわいさがあるんですよね。

今はまだ寒くてオフシーズンなので虫は飼っていませんが、暖かくなったら芋虫と、今年はカマキリも飼いたいと思っています。虫を飼い始めてから訪れた変化でいうと、芋虫って街路樹とかについているので、「この木があるってことは、この虫がいるかもしれない」とかって、これまで何気なく見ていた植物にまで興味を持つようになったこと。これまでただの「緑」に見えていたものの違いもわかるようになってきて、街の解像度が上がった感じがしてめっちゃ良いですね。

ただ、今ひとつ問題があって。コロナ禍は自宅にいることが多かったので僕が虫の世話をできたんですが、最近出張が増えて家を空ける日が増えてきて。その間、嫁さんに世話を頼んでいるのですが、嫁さんは虫がめっちゃ嫌いなんですよ。僕が熱心にやっているぶんには「勝手にやんなさい」って黙認してくれていたんですが、そういうわけにはいかなくなってきて。今は嫁さんに「ごめん、あの公園のこの辺にこういう木があるから、その葉っぱをちぎってカゴに入れておいてもらえないだろうか」とお願いして、渋々やってもらっています。でも、今年は虫を捕まえたら嫁さんに世話してもらう前提になってしまうので、どうしようかと考えています。これだけ熱っぽく虫への愛を語っても、一番近くにいる嫁さんのことも納得させられないっていうのは、本当に無力感がありますよね。

 

左右対称、機能美、擬態。虫を通して、“神の存在”を意識する

僕は、左右対称の美しさを感じる虫や、機能美を追求しているような虫に惹かれます。飼育していても、虫に感情移入することはなく、ある種の「鑑賞物」として捉えていて、デザイン性やその見た目に惹かれているんだと思います。特に美しいなと思うのは、オオミズアオという蛾。オオミズアオは街中では出会えないので、まだ一度も生で観られたことがなくて、憧れ的な存在でもあります。色も美しいし、後翅が長くてほかの蛾と形も違って。サイズも大きくて、それも良いですね。

あと、葉っぱや木の枝などの植物に擬態する虫もいて、本当にすごいんですよね。例えばキョウチクトウスズメっていう葉っぱに擬態する蛾はアーミーな感じでめっちゃかっこいいし、ツマキシャチホコという木の枝に擬態する蛾は正面から観ると蛾だってわかるけど、横から観たら完全に枝の一部に見えて「どういうこと?」みたいな。「こんなの、誰かがデザインした以外ないじゃん」って思うので、神の意思を感じざるを得ないというか。自分(虫)だけでは、こうはなれないだろうと思うんですよね。あと、僕は生き物全般が好きなので魚とかも好きなのですが、「この虫とこの魚、明らかに同じデザイナーじゃん」みたいなこともあるんですよ。「同じ手癖が出てるじゃん」みたいな(笑)。そういうのも面白いですね。

ただ、ゴキブリとミミズとムカデは、見た目が気持ち悪くて嫌いです。あいつらって露悪じゃないですか。「わざと?」ってくらい気持ち悪くて、愛すポイントが分からないですよね。スズメバチとかは刺すから怖いですけど、デザインとしてかっこいいので好きです。「ほかの虫よりも明らかに高級感があるぞ、こいつは」というのをやっぱり感じるんですよね。僕はデザインとしてかっこいい、且つ愛すポイントがある虫が好きなんだと思います。

Text by 那須凪瑳