一日一麺を37年間続けてきた生粋のインスタントラーメン偏愛者・大和イチロウ。その偏愛ぶりはとどまるところを知らず、「やかん亭」という専門店まで出店してしまうほど。全国のインスタントラーメンを食べてきたからこそわかる、さまざまな魅力、商品の変遷を語ります。
激烈なバトルを繰り返すインスタントラーメン業界
みなさん「センミツ」という言葉をご存知でしょうか。1000個出しても3つしか残らない・・・という意味です。インスタントラーメン業界では日本国内だけで1年間に約1000種類の新商品が出るも、残れるのはたった3つ。業界では「大谷選手になるくらい難しい」と言われるゆえんです。おそらくみなさんがご覧になられるインスタントラーメンはスーパーやコンビニでしょうか。それはほんのごく一部でほとんどがみなさんの目の前に現れることなく消えていく運命にあるのです。
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ちなみに日本で作られているインスタントラーメンは年間いくつ作られているか知っていますか。答えはな んとカップ麺と袋麺合わせて約58億食なんです。これを人口で割ると日本人が年間ひとり当たり約48食を消 費しています。日本国民がほぼ週に1個は食べている計算になります。
私のインスタントラーメン偏愛、そのきっかけは記憶喪失
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なぜ私がインスタントラーメンにハマっていったのか、少しお話ししたいと思います。それは高校生のときに遭った交通事故がきっかけでした。名前も忘れるくらいの記憶喪失になったのです。周囲の心配を他所に食べ盛りの高校生、食欲はしっかりあったようで病院食では全く足りませんでした。院内の売店にいっては必ず手に取るのがカップ麺。当時それが何かは分からなかったようですが、毎回美味しそうに食べるのをみたドクターが「もしかしたら何かあるかも?」ということで毎日食べさせたのが、私のインスタントラーメン偏愛のきっかけでした。不思議なことに少しづつではありますが記憶が戻ってきました。それ以降、今もなお「一日一麺」を欠かすことなく37年間食べ続けてきたのはちょっと珍しい体験がきっかけでした。
決定的な出会いは国鉄労働組合のラーメン
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私はインスタントラーメン専門店やかん亭というお店を経営しております。日本でもレアなご当地インスタントラーメンだけを取り扱っているセレクトショップです。
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37年間食べ続けた中で本当においしいご当地インスタントラーメンだけを並べているのですが、これにハマった決定的なキッカケがありました。
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それはこの国鉄労働組合が販売していた「こくろうラーメン」でした。その昔、国鉄の分割民営化に反対していた国鉄労働組合が活動資金のために販売していた袋麺です。大学生の時に青春18きっぷを使って北海道旅行をしていたときに出会ったインスタントラーメンでした。正直いうとお世辞にもおいしいとはいえないラーメンだったことはよく覚えています。が、インスタントラーメンにこんな使い方があったのか!ということと一部の地域の方しか知らない「ご当地感」に異常な魅力を感じてしまいました。それからというものの、地方にいけば必ず地元のローカルスーパーやお土産物屋さんをのぞくようになり、どんどんのめり込んでいくようになりました。
インスタントラーメン沼は意外にも深かった
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当初は袋麺を中心に集めていたのですが元々収集癖があるようで、ある時期からカップ麺にも手を出すようになっていきました。そうなると年々リリースが増えていき、私の研究室は常にエラいことになっています。こうして食べた後のパッケージを収集していくと、ふとあることに気づくことになります。それはインスタントラーメンは「時代を移す鏡」だということに。そもそも庶民の食べ物であるインスタントラーメン。味やパッケージにその時代時代の流行やトレンドをとり入れなければ多くの人に買ってもらえません。
インスタントラーメンを見れば時代がわかる
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1958年(昭和33年)世界初のインスタントラーメン「日清チキンラーメン」が誕生して65年余り。パッケージだけ取ってみても常に時代を移す鏡だということがわかります。
これはチキンラーメンの初期のパッケージです。戦後の色もまだ残っており、数々の文言から実用であることがうかがえます。
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昭和40年前後にもなるとカラーテレビが発売されるとともに、パッケージもカラー化が始まります。
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1971年に世界初のカップ麺「カップヌードル」が発売となり、それとともにコンビニも出現。この後二人三脚で販売を伸ばし1989年には袋麺の販売数をカップ麺が抜いていくこととなります。
このようにインスタントラーメンはその時流に乗り売り上げを伸ばしていきました。
私にとってのパッケージは皆さんにとってのアルバムのようなものです。記憶喪失をきっかけに始めた「一日一麺」ですが昔のパッケージコレクションを見ていると「ああ、この時はこんなことがあったなぁ~」と過去の自分に戻れるタイムマシン的な存在です。
みなさんもいろいろなインスタントラーメンを食べてお気に入りの一杯を探してみてください。長くそのインスタントラーメンを楽しんでいると、不思議と当時のことが思い出されて、いままでにない新しい体験になるかもしれません。
これからも新しい技術と生活のすぐそばに寄り添って変化していく国民食。まだまだ私のインスタントラーメン偏愛は止まらないようです。