俳優・東出昌大氏は、今、北関東の山奥で狩猟をおこないながら、いわば “半自給自足生活”を送っているのだという。そんな彼に、少々唐突ながらも、聞いてみた。「愛って、何なんでしょうね」と。本稿は、3時間ほどにも及ぶその取材記録であり、同時にこれは、彼が想う「愛」についての、独白的モノローグである。彼の暮らしについて、また、彼が抱く “狩猟生活への愛情” について、彼が抱く等身大な “偏愛” の姿を覗いてみよう。

第2弾となる今回フィーチャーするのは、“狩猟×食”。暮らしを続けていくにあたって、切っても切り離せない “食” について、彼の矜持をうかがった。

 

「命を食べて、山で生きる。俳優・東出昌大が抱く、山暮らしへの愛 vo.1」はこちら

“罪” とは何か、“正しさ” とは、一体何なのか

2021年11月から、山奥での狩猟生活をスタートした東出氏。暮らしを構成する3つのファクター、「衣・食・住」のうち、ここでは「食」について、話を訊く。俳優・東出昌大は、何を食べて、そこで何を考え、生きているのか。そんなことが気になったのだ。

 

東出昌大(以下、敬称略):前回に引き続き、立派なことを話すつもりは一切なく、話を進めていきますね。今回のテーマは “食” とのことですが、まず、僕が思う “動物たちとの向き合い方” から話すのがベターかもしれません。

そもそも、僕は “害獣” という言葉が、嫌いなんです。

だって、それは単純に、人間にとっての “害” というだけですよね? 鹿たちが山から降りてきて、人里で食べ物を探して、たとえば畑を見つけたとする。そこで育った(農家さんたちが育てた)果物や農作物を、彼らが食べるとするじゃないですか。

農家さんからすれば「この野郎……」と思ってしまうだろうし、僕自身も自分の畑を鹿に食い荒らされた時には、記事に書けないぐらいの憎しみみたいな感情を抱きましたけど(笑)、そこでふと思うんですよ。「あぁ、あいつらだって生きていくのに精一杯なんだもんな……」って。

 

 

鹿や熊を指して “害獣” と呼ぶのに、僕たち人間は、生きていく上で何かしらの命をいただいている。そもそも “害” って、何だろう。ひいては “罪” って、何なんだろう。すべて、実に人間本位な考え方だと思います。特に “罪” なんていうのは。

「熊が畑を荒らす行為、そのすべてが害であり罪である!」という一元的な見方をするのではなく、それらを一言でまとめてしまうような思考停止状態になってしまうのでなく、心のどこかで「あいつらも生きてくことに必死なんだよな……」と考えられた方が、きっと豊かになるはず。おそらくその方が、前向きになれるはず。そして、きっと人生が明るくなるはずなんですよね。

そもそもの話をすれば、人間は “害” じゃないのかと考えた際、その答えはわかり切っているじゃないですか。“害” ですよ。そんな僕たち人間が “幸せな暮らし” だとか言いながら、生きていくために、あらゆる自然環境を迫害するわけですよね。極論を言うと。それって本当に正しいのか? と思うんですよ。

僕は、意思をもって、この暮らしを選んだ。狩猟をして、動物たちの命をありがたくいただいて、それを食べて、生きることにした。薪をくべて暖を取り、湯を沸かし、洗剤も使わず皿を洗い、動物たちの肉を食べて、生きることにしたんです。

それはひとつの “意思” なんだから、誰に何を言われようと、別にどうでもいいんですよね。精一杯楽しく生きてるんだから。自分の “正しさ” をもとに。というか、“正しさ” なんて正直全然わからない。それを暮らしのなかで探している、という方が合っているかもしれませんね。

 

 

本当に “汚い” のは、はたして、どちらなんだろう

東出:ちょっと話は逸れますが、山で暮らすようになって、東京での生活の方が実は結構汚いなぁと思ったんです。「匂いが悪いな」とか「水がすごく澱んでるな」とか、そういうことを以前よりも強く感じるようになったんですよね。

こういった取材の際、たまに「山の生活って衛生的に大丈夫なんですか?」と聞かれることもあります。まぁ、納得できる。たしかに先ほど言ったように、洗剤類は一切使わないですし。そりゃそうだよな、そう感じるよな、と。

ただ、汚いとは全然思いません。納得はできるけれども、共感はできない。

 

 

僕自身、鹿の生肉だって食べるけど、それを汚いとは思わない。カルパッチョにして食べるのが、すごく好きなんです。その衛生的なリスクはもちろん否定できないし、たぶんメディアに掲載すると「そんなもの食べちゃダメだろ!」みたいなコメントも出てくるでしょうけど、実際関係ないじゃないですか。

さまざまな抑制の声に、なんとなく付き合って、誰もがそれを当たり前だと感じている。楽しいのか幸せなのか、わからなくなっている。「いや、鹿の生肉うまいよ……?」って、本当、それだけなんですよね。抑制される義理もない。

動物というものは、同じ種族の排泄物に対してネガティブな感情をおぼえるのだそうです。たしかに僕たち人間は、人糞を見ると、ある種の忌避感のようなものをおぼえますよね。「汚い」と思うはず。

ただ、鹿の糞を見た時には、そう感じないんじゃないかな、って。山の中を歩いていると、たくさん見かけますよ。これは例えですが、鹿の糞って全然汚いものじゃないんですよ。 そもそも彼らは草食動物だからニオイもあまり無いし。山の中だから、糞なんかあって当たり前だし。

 

 

“汚い” って何なんだろうと考えれば、きっとそれは、“見方の違い” なんだと思うんですよね。僕は、山暮らしを続けているうちに、都会をすごく汚い場所だと思うようになった。さまざまなものに蓋をした状態、不自然な状態の中にあるなぁ、って。

都会の高級な料理屋さんでおいしいご飯を食べて、その店を後にした時、街の空気が汚いなぁと感じたり。みんな揃って見ないようにしよう、感じないようにしよう、嗅がないようにしよう、と思っているのかなぁと考えたりもします。それってものすごく不自然なことですよね。都会暮らしと山暮らし、本当に汚いのってどっちなんだろうな、といつも不思議に思っている今日この頃です。

 

 

さ、お昼にしましょう。鹿の生肉にパルミジャーノチーズをかけて、ニンニクを細かく刻んだのをふりかけつつ、上からオリーブオイルと少しの塩。『鹿(シカ)ルパッチョ』の出来上がりです。白ワインがよく合う、僕の大好きなメニュー。取材陣のみなさんも、もちろん自己責任で召し上がってくださいね(笑)。

これは言わずもがなですが、「ぜひともご自宅で作ってみてください!」なんて、もちろん勧めません。僕、人にオススメするほど他人に優しくないですから。僕自身が楽しんでやってるだけですから、ね。

 

Text by Nozomu Miura
Photo by Kyohei Yamamoto