あんきょ【暗渠】道路などの地下に埋設した水路を指す。

暗渠に関するさまざまな情報を発信し続ける、髙山英男・吉村生によるユニット「暗渠マニアックス」。連載企画第三回は髙山英男が語る「路上観察と暗渠、そして心と暗渠」について。

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暗渠にハマるプロローグ

「ここ、暗渠なんですよ」
前の結婚生活で家を探している時、不動産屋が申し訳なさそうにぼそっと言ったそのひとことが、「暗渠」という言葉との最初の出会いだった。「川を地下に埋めた所です」というその説明に、なんだか禍々しい過去の事件をひもとくような恐ろしさと、地球や宇宙の成り立ちを垣間見るようなスリルを感じたのを憶えている。
数年後の離婚で、私だけがその暗渠沿いの住まいから僅かな荷物を抱え離れることになる。それまでのしかかっていたずっしりと重い何かから逃れ、身も心も軽くなった私はよく都内、特に世田谷区、目黒区あたりを古いママチャリで気ままにうろうろしたものだ。その頃、暗渠との二度目の出会いがやってきた。
単身で引っ越したオンボロアパートのまわりには、環七とか玉川通りとか淡島通りといったクルマがばんばん通るメジャーな道ではない、細いけどとても自転車で走りやすい抜け道のような道がたくさんあった。そしてそれは、桜新町から都立大学・緑が丘とか【図1】、中目黒から三軒茶屋とか思わぬ場所と場所を結びつける、幹線道路や鉄道網など見慣れたグリッドではない何か別のネットワークを作っているのであった。
調べてみればそれらは川跡を利用した道、暗渠だったのだ。なるほど、川が流れていた谷底を進むだけだから余計なアップダウンもない。細くてクルマもあまり通らない。

 

谷底に長く伸びる緑道。真ん中の植栽を挟んで片側ずつに車道が配されている(東京都目黒区)

 

それは電車やクルマでばかり移動していた時には気づきもしない第三の道であり、時には行きたい所までを最短距離で結ぶひみつの近道にもなった。しかしこの二度目の暗渠との出会いも、まだまだプロローグに過ぎないのである。

 

暗渠、それは私に似ていた

それらの暗渠道や、そこから伸びるいくつもの支流の暗渠では、しばしば独特の景観が見られる。それらの多くは薄暗く湿り気が漂い、苔やどくだみが萌えている。

 

薄暗く、踏み入れるだけで湿気を感じる暗渠道(東京都豊島区)

 

道端の家々はかつての川に背を向けて建っており、今だにそっぽを向いたまま。

 

この、家々が暗渠にそっぽ向いてみんなから無視されてる感。こんな景色にぐっとくる(さいたま市)

 

人通りもそう多くはないのだろう、雑草が生え放題のところもあれば、粗大ごみが放置されているところさえある。

 

暗渠でよく出会う、粗大ごみが打ち捨てられ、多くの人から忘れ去られたような空間(東京都世田谷区)

 

それらから私が感じたのは、孤独感や疎外感のようなものだった。ひっそりとして、周りの誰からも有難がられることなく、川だった履歴もなかったことにされている。場所によってはごみやガラクタが淀み連なるプチ廃墟。かつては周りを潤し、暮らしを支え、穢れを清め、人々の畏敬さえ集めたであろう川が、人の都合で埋められて、すっかり「裏側」へと押しやられているようだ。
それはなんだか自分に似ているような気がした。
前の結婚生活で、いつしか疎まれ蔑まれるうちに心に固く蓋をした、あるいは蓋された自分。そのときからの孤独感と疎外感は、離婚という区切りをもってしてもなお私の中に滲みついたままだった。
しかし一方で、暗渠にはちゃんと川の痕跡も残っている。橋跡や車止めなどの暗渠サインを見つけることもあるし、周囲との高低差や道の蛇行も立派な川の痕跡だ。

 

暗渠となった水路上に橋だけが残る。街角に残る橋跡は「ほぼ確実」な暗渠サインだ(金沢市)

 

周りより低いところを蛇行する道。私は川よ、と水がないのに囁く声が聞こえてくる

 

姿はなくとも、○○川通りや○○橋交差点などしっかりとその地に名前が残ることもある。

 

かつては橋があり、水面もあったことを今に伝える交差点。こんな場所は全国あちこちにあるはずだ(東京都中央区)

 

丁寧に探せば必ず見つけることができるそんな川の名残のひとつひとつは、川がいまだ持っているプライド、または川自身の尊厳そのものなのだ。
そう気がついた時、お前の尊厳はまだきっとどこかに残っているぞ、お前のプライドを思い出せ、と眼の前の暗渠が自分に語りかけてきたような気がした。そうだ、私には私自身の尊厳があり、それを誇りに思って生きてよいのだ。前の結婚生活でぺしゃんこに押しつぶされていた「自分らしさ」を取り戻す時が来たのだ。
そうか、私の心は暗渠だったのだ。私は心の中に暗渠を抱えて生きていたのだ。きっと私だけでなく、誰もが皆大なり小なり心の中に暗渠があり、それを抱えて生きているのではないか。それが生きるということなのではないだろうか。瞬間的にそう理解すると、何かが胸にこみ上げてきて、涙が溢れそうになった。
この時を境に、私は暗渠が好きで好きでたまらなくなったのだ。うーん、「好き」というのはちょっと違うのかもしれない。暗渠のことしか考えられない、暗渠を追い求めずにはいられない、暗渠を通してしか世界と関われない、こんな気持をなんというのか誰か教えてほしい。

 

暗渠って、フラジャイル

暗渠には、いろいろな景観がある。そしてその景観は例えばその「加工度」で分類することができる。加工度の低い順から大別すると、以下の3つだ。


①川や水路に蓋をしただけの暗渠

加工度の最も低い、フラジャイルな「蓋掛け」タイプ。蓋の素材はコンクリートや鉄板、廃材などさまざま(東京都江東区)

 

②流れを土管に移して舗装した暗渠

舗装された、一見普通の道路。しかしテクスチャの違いが川であったことを物語る(下関市)

 

③さらにその上に公園や親水施設を造った暗渠

水路を地下に移し、地上を遊歩道として整備、そこになおせせらぎを作るというねじれた構造は加工度MAX(横浜市)

 

あなたはどの暗渠がお好きだろうか。もちろんこれらに優劣はないし、人によって好みも分かれて当然である。
私は全部大好きなのだが、どうしても一つを選べと言われたら①を挙げたい。やはり私は暗渠に自分を、特に前述のような辛かった時期の自分を投影してしまいがちだからだと思う。①のような、何か重い物でも乗っかったら壊れてしまいそうなフラジャイルな感じ。それに強く惹かれてしまうのだ。昔の自分をいたわるように、ねぎらうように、強く感情移入してしまうのだ。
こんな暗渠にさらに、寂寥感を漂わせるように雑草が生い茂っていたり、排除の証としてのゴミが散らばっていたり、無常を語るように周囲の家や擁壁が朽ちていたりしたら、もうその極まる「壊れもの」感(フラジリティ)に矢も楯もたまらず抱きしめてしまいたくなる。実際には抱けないけど。
そもそも①でなくても②も③も、川である自我を崩壊させられている時点でフラジャイル、「こわされもの」なのであり、私が惹かれる理由もそこなのだと思う。
著述家であり編集工学の創始者である松岡正剛は、その名も『フラジャイル 弱さからの出発』(筑摩書房 1995年)という本で、フラジャイルという言葉について「たんに脆いとか壊れやすいとかだけではすまないただならぬ何者かがひそんでいる」「『弱さ』は『強さ』の欠如ではない」と述べている。また、エヴァンゲリヲンでおなじみの映画監督庵野秀明は出演したテレビ番組(『プロフェッショナル 仕事の流儀』NHK 2021年放送)の中で「本来完璧な作品なのにどこかが壊れているのが面白い。面白さってそういうもの」「ロボットなんかもどっか壊れて欠けてるほうがいい。全部がそろってない方がいい」との言葉を残している。

戦後から高度経済成長期、そしてバブル。そしてもしかしたらさらにそれ以前から、我々は強さ、大きさ、完璧さを追い求めてきた。バブル崩壊を経て21世紀に入り令和の時代となった今、その「不動の価値観」は揺らぎを見せている。暗渠に限ることなく、フラジャイルなものが持つ独特の魅力がじわじわと世界に広がっているのではないだろうか。
私が愛おしさを感じる暗渠が持つフラジリティは、「私による私自身への救い」にとどまらず、私でさえも気づいていないもっと大きな価値をはらんでいるのかもしれない。