あんきょ【暗渠】道路などの地下に埋設した水路を指す。
暗渠に関するさまざまな情報を発信し続ける、髙山英男・吉村生によるユニット「暗渠マニアックス」による連載企画。第一回は髙山英男が語る「暗渠とは?」。
暗渠ってなんだ?
「一般的な趣味嗜好からちょっと外れたもの」を愛する人ならわかっていただけるだろう。自分の愛するものを人に伝える難しさを。そしてその愛を伝える機会の希少さを。
私は暗渠が好きだ。次稿で登場する予定の吉村生も、暗渠が好きだ。我々髙山と吉村は、「暗渠マニアックス」を名乗り暗渠をテーマに本や記事を書いたりトークや展示などを全国で行っている、暗渠マニアの二人組である。ここでは、そんな二人が交代で数回にわたってそれぞれの暗渠愛を綴っていく。その初回にあたってまずは読んでくださる皆様、こんな機会をくださった5PM Journalに感謝を申し上げたい。
では、暗渠の魅力伝道、はじめさせていただきます。
そもそも「暗渠」とは
「暗渠」とは、川や水路など元々あった水の流れを地下に移したものだ。移し方にはいろいろあって、単に水面を隠すように蓋をしたもの、流れを土管に移して埋めたものなどなど。
コンクリート蓋が掛けられた暗渠。アスファルトなどで舗装されてしまうと途端に見分けがつきづらくなるが、こんな暗渠は外観からもわかりやすい
要するに水面が見えなくなった川や水路のことで、すでに地下にさえ水のない単なる川跡・水路跡まで含めてここでは暗渠と呼ぶことにする。
流れを地下に移されることなく水面を無くした単なる川跡。水は残らずとも川の魂が残っていると考えて、ここではこれも暗渠と呼ぶことにする
あえて挙げる、「好きなところ」3つ
昭和で言えばアイドル、今で言えば推しを持つ人も多いだろう。だけど、「その推しのどこが好きか」と訊かれてここ!と一点だけをズバッと示せる人は少ないのではないか。「顔も好きなんだけどおぉ、声も好きだしぃ、SNSで見る普段着とか食べ物のセンスもサイコー!そんでそんで…」的な、終わりのない答えになるのではないか。私にとっての暗渠もそうだ。好きすぎて、微に入り細に入り答えはいくらでも並べることができる。
が、そんな気持ちをあえて抑えて、今回はまず「好き」の概観から示していこう。
私の「好き」は、大きく3つに分けられる。1つは「パズル」みたいに解き明かせるところ。2つめは「タイムトリップ」みたいに妄想できるところ。3つめは「路上観察」みたいに観賞できるところである。それぞれ「経路」の愉しみ、「経過」の愉しみ、「景観」の愉しみと言い換えてもいい。
「パズル」みたいな、経路の愉しみ
暗渠がその最上流から最下流まで、そして途中合流してくる支流含めてまるっと識別できるケースは稀だ。たいていどこかで、都市開発の波に飲まれその経路が見た目上わからなくなっている部分がある。まして大都市においては、暗渠はかろうじて切れ切れに残っているのみ、あちこちミッシングリンクに満ちていることが多い。
いっぽう、暗渠にはなにがしかの痕跡が残っているものだ。それは、水面を塞ぐ蓋など暗渠自身の姿であったり、道の蛇行や両側と比べた高低差といった地形的なことであったり、土地や交差点の名にだけ残っているなんてこともある。また、その他川だったことに由来する不動産物件(取り残された橋跡や護岸跡、銭湯や染工所、特定の寺社や行政境界など。我々はこれらを総称して「暗渠サイン」と呼んでいる)が見られることもあるのだ。
「暗渠サイン」の代表格、暗渠脇の銭湯。排水の便から街なかの川のそばに建て、その川が今は暗渠となっているケースはあちこちで見られる
これらはすべて、消えてしまった川の全体像を推理する手がかりであり、街を舞台にした壮大なジグソーパズルのピースなのである。
残されたピースを現場でコツコツと拾い集めながら川の経路を特定していく。「この場所があの場所と川で繋がっていたのか!」などといった思わぬ発見も経ながら、ついに元の流れが全て1つの経路に繋がった時、自分の脳内にこれまでと違った地図が出来上がっていることに気づく。その達成感たるや。そしてすぐまた次の暗渠の経路探しをしたくなる中毒性たるや。そんなことを繰り返しているうち、「おれは街なかの暗渠を狩る暗渠ハンターなのだ」と呟きたくなってくるはずだ。
「タイムトリップ」みたいな、経過の愉しみ
暗渠を目の前にする時はいつも、開渠(暗渠の反対語で、水面が見える川や水路のこと)だった頃はどんなだったのだろう、なぜ暗渠にされてしまったのだろうという疑問が浮かんでくる。
それらを調べることはそう難しいことではない。多くの開渠は都市の近代化とともに暗渠になった。東京で言えば、昭和の高度経済成長期以降に暗渠化された所がとても多い(もちろんそれ以前の時期での暗渠化例も多数ある)。すなわち、そんな昔々のことではなく、その気になれば開渠時代・暗渠化当時を生きてきた方々からの証言を聞くこともできるし、地元図書館を訪れればたくさんの関連地域資料に触れることもできる。
CBCテレビ『道との遭遇』、暗渠道の案内役として髙山が出演中。番組では暗渠沿いの古い家やお店に聞き込みするシーンが恒例に
それらを集めることで変わり続けた川の経過がわかるし、さらに人と川の関わりの履歴までがありありと見えてくるのだ。そんな情報を携え改めて暗渠を眺めれば、これまでとは違った街が見えてくる。それは、過去の川の姿や川と人との関わりが目の前(あるいは脳内)に広がる、小さなタイムトリップなのである。
「路上観察」みたいな、景観の愉しみ
かつて前衛芸術家・赤瀬川原平らが立ち上げた路上観察学会。路上という極めて日常的な風景から、超芸術トマソン(赤瀬川原平らが提唱した、芸術学上の概念。超芸術=存在が芸術的でありながら、その役に立たなさ、実用性のなさにおいて芸術よりも芸術らしいもの。その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。)など新たな「物件」を発見する試みだ。これを踏まえ我々暗渠マニアックスは「“水”路上観察」という行動を提唱している。単なる路上と思っている所でもそこが水路上(つまり暗渠)であるならば、独特の景観が愉しめるよ、というものだ。
水路上観察には大きく「だから視点」と「として視点」という2つの視点がある。
「だから視点」とは、「暗渠上の土地を利用した細長い公園や駐輪場、水面への低い段差を埋めるための住民自らが拵えた手作り階段、水路を埋めた痕跡と思われる道路テクスチャの違いなど、「川だからこうなった」「こうなった、なぜならば川だったから」という暗渠ならではの因果関係の上で発見できる景観のことだ。
川だったから、後から埋めたから路面の色や質感が違う。真ん中で蛇行する白い路面は川の記憶を今に伝える「水路メモリー」である
これは論理的・左脳的な見方であり、景観から「だから/なぜならば」の関係が理解できた時のガッテン感は快楽の極みともいえる。
対する「として視点」とはもっと自由で、暗渠脇に置かれた草花を「水の豊かな川辺に萌え咲く花」として見てみたら、暗渠上に放置されている大小各種のごみを「川の淀みに集まり浮かぶ芥」として見てみたら、といった、暗渠を今もある川として眺めた時に発見できる景観のことである。
暗渠は人通りが少ないためか、大小のごみがほったらかされていることも多い。川に見立てればこれは、流れが止まる「よどみ」である
この視点は自身のイマジネーションとともに無限に広がる、創造的・芸術的な見方だ。目の前の暗渠景観を、妄想のおもむくまま川として受け入れてみよう。
このように「水路上観察」というフレームで暗渠を見るとき、そこには世界を構成するロジックと、そしてロジックを超えて自らが創るマジックと、両方の景観がまばゆく広がるのである。
愛するものを伝えるのは難しい。けど、伝わったらとても嬉しい。次回からは、毎回的を絞って暗渠の魅力を深く掘り下げて行こう。