いまだ多くの人の業を背負い続けている作家、太宰治。「恥の多い人生を送って来ました」の書き出しで知られる『人間失格』をはじめ、2024年に生誕115年を迎えてもなおその作品は読み続けられており、全く色褪せることなく読者の心をわし掴みにしている。

三鷹の古本カフェ「フォスフォレッセンス」の店主・駄場みゆきは、そのルックスに魅了されて以来の太宰の追っかけだ。そんな駄場が語る文学散歩について。

 

船橋の旧宅跡近くに海老川の欄干に施されたレリーフ

これまで様々な太宰治ゆかりの地へ出かけた。机上だけでは知り得なかった人間太宰治の息遣い、五感で直に感じられた作品世界、予定外の寄り道の愉しさ。四季折々の景色とともに、思い出が浮かんでくる。

ネットで調べられる交通案内やグルメ情報などは役立ちサイトにお任せして、ここでは実践編、現地を巡ったからこその「太宰ファンが実際に出かけてみて感じたこと」を中心に、書いてみたいと思う。”書を持ち旅に出よ”の精神で、読んでおくと理解が深まる太宰作品(関連書含む)も案内する。

 

生身の太宰治を感じた体験

マイファースト太宰治文学散歩は、学生時代に遡る。桜桃忌に来たついでに三鷹を巡った。太宰旧宅に植えられていた百日紅が、近くの井心亭に移植され「太宰治ゆかりのさるすべり」とプレートがかけられていた。その樹に触れた瞬間の、なんともいえない不思議な心地が忘れられない。つるつるして冷たい感触と裏腹に、掌から心臓へと温かいものが流れていく。

「文学って、触れるんだ」そう思った。
あれから数えきれないほどこの樹に触れたが、最初に触れた時のあの気持ちは二度と味わえない。
太宰治に思いを馳せつつ、頭を空っぽにして、百日紅に触れてみてほしい。

<お勧め本>『おさん』この百日紅が作中に登場する太宰作品

 

太宰の精霊が道案内?不思議体験・鎌倉編

店の文学散歩で長谷通りを歩いていた時、ふと背中に気配を感じて振り返ったら、山崎富栄さんがかつて働いていた美容院の前だった。
予定外だけど皆さんに声をかけて立ち止まり、太宰と出会う前の富栄さんについて少しお話した。

<お勧め本>梶原 悌子『玉川上水情死考―太宰治の死につきそった女』鎌倉時代の富栄さんについて知りたければご一読を。

 

船橋編

船橋時代の太宰は最も辛かった時期だと思うのに、自身の回想記『十五年間』では、「私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。」とある。実際に街を歩いてみて、太宰と船橋は両想いだと感じた。これは作品を読むだけではわからなかった。

太宰が植えた夾竹桃が『十五年間』に出てくる。その旧宅の夾竹桃が移植され、文学碑、説明板と共に市の一等地に設置されている。市のHPにも文学散歩のコーナーがあり、所縁の作家が大切にされているのがわかる。船橋市図書館の関連蔵書も充実していたし、利用者で混雑していたのが印象的。
街を知るには、まずは図書館に足を運ぶと良いかもしれない。

「地元の人に太宰のエピソードが聞ける」これが文学散歩の醍醐味だと思うが、船橋では思いがけずこれが叶った。
当時、太宰が通ったという川奈部書店が健在だった。昭和の佇まいが残る店内で本を買い、太宰が来た事があるかどうか尋ねると、いつもツケだったと先代から聞いている、と答えて下さり、嬉しくて飛び上がりそうだった。

太宰ゆかりの場所は数あれど、自分にとって書店は特別だ。当時の多くの店は様変わりしてしまっているなか、同じ店で買い物が出来た喜びに浸った。

『晩年』口絵の背景と思われる神社訪問後、ほのかな潮の香りを感じながら街を歩いていると、背後からステッキの音が聞こえてくる気がした。
太宰の精霊?ということにしておこう。

 

旧宅の庭から移植された夾竹桃と文学碑

 

<お勧め本>『めくら草紙』隣家の庭から夾竹桃を譲ってもらう場面がある。

 

案内人に導かれる。グループに参加のメリット

初めての方や効率的に聖地巡礼したい方は、案内人にお任せコースがお勧め。
知識豊富な案内人から耳寄りな話を聞けた、レア体験が出来た等メリットが多く、店開催イベントでも参加者の満足度が高い。

 

「文豪集合写真」を真似るなら!

昨年5月に出かけた練馬・石神井文学散歩。昭和12年5月、太宰は檀一雄や友人らと今でいうところの”合コン”を思いつき「青春五月党」を結成。石神井公園で撮影した集合写真が遺されている。
この写真とそっくりな構図で、参加メンバーで記念撮影を行った。
こういうのは一生の思い出になる。

<お勧め本>檀一雄『小説太宰治』素晴らしい五月の太陽の下、はしゃいだ太宰。せっかくの合コンなのにモテなかったという落ちも良い。

御嶽文学散歩の時も、岩に腰かけた太宰とその作家仲間たちの写真に倣って記念撮影した。少しポウズを真似てみるのも面白い。

御嶽文学散歩では、大正4年創業の手打ち蕎麦の玉川屋で食事をとった。店内に当時訪れた作家が認めた色紙が貼られていた。太宰が訪れた店がまだ営業しているだけでも貴重なのに、本人直筆文字まで拝める。御岳渓谷は紅葉も素晴らしく、川のせせらぎに癒される。
お酒が好きな方は、清流ガーデン澤乃井園に寄り道するのもオススメ。

<お勧め本>青柳いづみこ・川本三郎 (監修)『「阿佐ヶ谷会」文学アルバム』御嶽遠足参加作家の写真や、玉川屋の窓際で笑みを浮かべる太宰の写真が掲載されている。

 

趣味別・寄り道の愉しみ

オーディオマニアなら絶対行くべし!
「オーディオの神様」と呼ばれた五味康祐の遺品を一括で所蔵している練馬区石神井公園ふるさと文化館分室。約2万点のオーディオ遺産。驚きのコレクションが市民に開かれている。

散歩が終わった寂しさを映画で埋める
『斜陽のおもかげ』(1967年)リアル檀一雄が劇中に本人役で登場し、太宰との思い出を語る。二人の共通の青春の日の舞台となった地の文学散歩解散後、その余韻のまま観たい映画。

新緑の石神井公園の池のほとりは天国かと思ったほど美しい場所だった。この檀さんの映像とともに美しい思い出として、ずっと心に残る事だろう。

 


映画『斜陽のおもかげ』原作本

 

寄り道捗る目を見張る建築
建物好きならこちらへ。林芙美子が自ら建築について勉強し、こだわりまくって建てた邸宅が「林芙美子記念館」として公開されている。貧乏だった芙美子が筆一本で建てた家と思うと感慨深い。庭園の草花を眺めるのも良い。


<お勧め本>堤重久『太宰治との七年間』太宰と一緒に芙美子邸を訪れた思い出が綴られている。

『佳日』の舞台となった目黒雅叙園の建築も見応えあり。トイレまで竜宮城のよう。
一階の吹き抜けのカフェはゆったりと広く落ち着ける。百段階段はイベント期間中なら見学可能。

「太宰さん、背中流します」銭湯巡りで妄想を。
三鷹の銭湯、大宮の松の湯跡、思いを馳せながら巡るのも良し。
甲府まで足を延ばせば、風呂好きな太宰が通っていた喜久之湯は現在も営業しているので入浴可能。
湯村温泉の「旅館明治(現在、改修のため休業中)」に宿泊して『美少女』の温泉に入るのも良し。


<お勧め本>『十二月八日』連雀湯で我が子を洗いながら愛おしさが溢れる場面あり

 

三鷹にはじまり、三鷹に終わる散歩案内。最後は一人編。

文学散歩は、野田宇太郎の創案から広まった。太宰が野田氏に自宅を案内するため地図を書き送った葉書がそのままポストカードとなり、太宰治文学サロンで販売されている。この葉書を手に、地図そのままに玉川上水沿いを歩けば、太宰治に道案内される疑似体験が出来る。スマホを忘れ昭和にタイムスリップ。耳をすませば、下駄の音が聞こえてくるかもしれない
こんな時の文学散歩は一人きりで、思い切り浸れるのがいい。

ゆかりの地で見たもの、聴いたもの。
読書は自分の意思で行うもの。深いところに刻みこむもの。
一方で、自分の意思と関係なくやってくる、
五感が引き起こすいたずらに、身を任せるのも面白い。

そしてふたたび作品世界のドアを開けば、ゆかりの地で見た、聴いた、
香ったものが文字からはみ出していき、立体的になる。
登場人物が躍動する。
作家の鼓動、筆を運ぶ音まで、聴こえてくる気がする。
言葉がサウンドになる。映像が浮かぶ。

唯一無二の、太宰治×自分だけのオリジナルコラボストーリーが、
脳内に爆誕する。
身近な人で思うように出かけられない人がいたら、臨場感そのままに、
物語を伝えてみるのは如何だろう。

予定外の寄り道を、ぜひお愉しみください。

どこか出かけたくなる場所はありましたか?これから文学散歩を計画されている方にとって、少しでもお役に立てたら。