美術の教員免許を持ち、アートに関連する連載も手掛けているお笑い芸人・リリー。そんな芸人界きってのアート偏愛者である彼が、ニッチな画家に注目し、熱量とユーモアを交えながらその魅力を語り尽くす連載企画。3回目は、色鮮やかでリアルな花や鳥などを描いた「花鳥画」で知られる日本人画家・伊藤若冲。リリーにとって憧れの存在であり、生まれ変わったらなりたいと思うくらいの彼の魅力を、熱量マシマシで語り尽くす。

 

自由で唯一無二の日本画家

岡本太郎展を訪れた際の一枚

 

はじめまして、吉本で漫才をさせていただいてる見取り図リリーという者です。
僕は一応美術の教員免許を持ってまして、アートという存在が大好きなんです。
なので僕の独断と偏見、いや偏愛と言った方がいいのでしょうか、語らせてください。

日本画に興味がある人はいますでしょうか?
西洋画に比べて少ないと思います。
日本画は、古くさいとか地味とか形式ばってるとか、興味のない人にはそう感じる人が多いようです。

印象派やゴッホ、ピカソなど自由で枠のない作風に対して日本画は全部同じに見えるという意見も聞いたことがあります。
ただ、それに引けを取らない自由で唯一無二の日本画家がいます。それが「伊藤若冲」です。作品も好きなんですが、僕はこの人自体が好きなんです。なんか気になる存在というか、もし現代にいたなら勇気をもって「飲みに連れてってください!」とお願いするでしょう。

 

自宅に飾ってあるピカソの作品

 

江戸時代の京都に生まれるんですが、まず親ガチャ大成功! 家が超金持ち。
野菜などを扱う商社の家系に生まれたので、相当裕福だったそうです。これがまず自由の理由の1つ。生活の為に絵を描かなくて良かったんです。当時の権力者からの依頼で生計を立てていない分自分の好きな絵を描けるんです!

そして 、この若冲の中身と言いますか、性格に憧れるんです。かっこいいんですよ。
もし生まれ変われるとしたら、何か1つの物に夢中になれる人って良くないですか?なんかの専門家とか研究者とか何かに夢中の人生ってしんどい時もあると思うけど、絶対幸せだと思うんですよね!その性質を持ってるのがまさに若冲!金持ちで生まれたにも関わらず、お金に興味もなく、音楽や遊び、女性にも興味がなかったらしいんです。

そんな彼が、唯一興味があったのが絵!
ガリレオの湯川先生みたいでかっこいい。
若い時は最強のアマチュアだったんでしょうね。ただただ好きで絵を描いてプロより上手くなるガチ勢。
マジで今世の俺と真逆です。
金もほしいし、遊びたいし…。生まれ変わったら若冲に転生したい!
前回まではルソーについて書いたんですが、ルソーは憧れの存在で、少しでも近付きたいという存在であるのに対して、若冲はもう自分とは別物過ぎて次生まれ変わりたいと思う人です。

はじめは実家の仕事をしながら絵を描いていたんですが、弟に仕事を任せ、絵に集中するようになります。ここからがまた意識高いんです。
この頃、狩野派という絵を勉強していたんですが、普通に狩野派の作風で絵を描いていれば仕事はあったらしいのですが、それを真似したところで同じになるだけで越えられないということで、それを捨ててオリジナルを目指すんです。

和紙の表面からでなく、裏に色をのせてかすかに表から観える技法を使ったり、絵の具の顔料や染料のバランスに緻密なこだわりがあったり。こだわりすぎて若冲の専門家でもなぜこうしているのか、狙いが分からないことだらけだそうです。
めちゃくちゃ色んな試みをしてる!
そんな人生うらやましいて!!
本当にずっと絵のこと考えていたんでしょう!

《双鶏図》1796年/出典:『伊藤若冲大全 京都国立博物館編』(小学館)

 

若冲は、ニワトリの絵が有名で観たことある人も多いと思います。このモチーフになったのも、人物画を描くにしても描きたいと思うような人がいない、風景画にしても描きたい景色がない、虎などの動物も日本にいない。
てことで、「ニワトリだ!」となったそうです。
もう凡人の僕にはわからないロジックなんですが、これこそがジーニアス。
たださすがガチ勢、若冲。描くならニワトリを飼ってずっとずっと何ヶ月もながめて、ニワトリの見た目だけじゃなく、ニワトリの内面が分かるようになった時に描きはじめたそうです。
更にわけ分からんのです!ニワトリの内面てなんなんですか!
飲みに行ったら絶対聞くもん。
「若冲さん、あのー、前に仰っていたニワトリの中身というのは、えー、ど、どゆことですか!?」
きっと理解できない返答がくるでしょう。
それが若冲なんです。
人生でも理解の追いつかない先輩とかいましたよね。なんか分からんけど憧れるみたいな。なんか一緒にいたいみたいな。
それに近いんですよね、若冲。

若冲の作品の中で最も力を入れていたと言われている<動植綵絵>という作品があるんですが、さすがボンボン。画材道具だけで現在の1000万円以上するらしいんです!これ家が金持ちじゃなかったら、NHKとかでポケモンカードに課金しすぎるニートとかのドキュメンタリーに出れるやつよ!

“実録!!1000万以上使い果たしたニワトリおじさん!!”

ラテ欄がこれだったら絶対録画するけど!めちゃくちゃ高価なドイツのプルシアンブルーという顔料を日本で初めて使ったらしいんですよ!なにプルシアンブルーて!現代でも聞いたことない!
「ポケットモンスター プルシアンブルー」ってありそう…。いやポケモンの話はいいんですよ!この頃に海外の物を輸入できるてボンボンすぎる!

 

《仙人拳群鶏図障壁画》1789年/出典:『伊藤若冲大全 京都国立博物館編』(小学館)

 

若冲が障壁画を依頼された時、普通なら権力者の権威を高めるために強そうな虎を描いたり、かっこいい松を描いたりするんですが、若冲は好きな物しか描きませんから、ブドウのつるを描いたり、ニワトリを描いたりしてるんです。もうスポンサーを無視ですよね。「自由か!!」

あと、好きな話があって、版画って普通はたくさん同じ絵を作れるから版画にするんですけど、若冲は好きなものしか作りませんから、こだわってめちゃくちゃややこしいやり方の版画になって結局絵を描くより時間がかかってしまったんです。可愛げもあるんかい!

 

《花鳥版画》1771年/出典:『伊藤若冲大全 京都国立博物館編』(小学館)

 

前回書いたルソーの時もそうなんですが、若冲もルソーも“純潔”なんですよね。純潔さゆえの自由。ただただピュアに自分の求める作品を作りたいというのは大人になったら難しいと思うんですよね。打算的になってしまう。
だからこそ純潔さに憧れてしまうんですかね。

現代で言うと、「何を」言うかより「誰が」言うかみたいな。説得力が違うんですよ。その人の画力や構成力ではなく、その人の中身も含めて作品だと思うんです。
なので、僕は気になる画家がいるとその人の生い立ちや情報を調べてしまう。アートを通していつも自分の汚い心を少しだけきれいにしてもらってる気がするんです。濁った血液を、美術館でアートに触れると少しだけ綺麗に循環してくれる感じ。脳みその中に唯一これでしか刺激できないって物があると思うんです。人によって音楽だったり、本だったり、沈む夕日だったり。それがたまたま僕はアートだったんだと思います。

今現在、少なからず打算や商業的な考えをしないと生きていけません。いつか何かしらの形で自分の中から出てくる純潔な部分だけを抽出した何かを世に残したい。それが少しでもみんなの脳みそを刺激できたら嬉しい。
何百年も前の人にこんなにも影響を受けるなんて。