過去にテレビ番組で自身のスイーツコーナーを持つほど大の甘党である、新日本プロレス所属のプロレスラー・真壁刀義。食生活にストイックなイメージのあるアスリートと高カロリーなスイーツは、一見するとミスマッチに思えるが、今も第一線で活躍し続けている彼にとって、「スイーツ」は切ってもきれない存在なのだ。そんな彼とスイーツの特別な関係に迫る。

俺とスイーツとの関係は、幼少期から始まっていた。

幼少時代の父親との2ショット

 

 最初のきっかけは“兄貴たちが持ってきてくれるスイーツ”だった。


 近所に囲まれながら育ったわんぱく坊主であった幼稚園生の頃の俺。国鉄の社宅に引っ越すと、段々と他人との付き合いがはじまり、友達の家に遊びに行ったりするようになる。さらに、親父の友人達が休日の草野球帰りに、狭い我が家に10人程が集まりどんちゃん騒ぎをするようになる。子供心にお兄ちゃんが沢山できた感覚が嬉しかったし、お土産やお年玉、お小遣いをくれたのも嬉しかった。
 そしてその中でも嬉しかったこと…。それは、歳の離れた兄貴達が持って来てくれるデザート。今みたいに「スイーツ」なんて洒落た言葉なんてなかった時代。普段俺の家ででるおやつと言えば、スーパーで売っているまんじゅうとか、かりんとうとか、大袋に入った和菓子ばかり。
 兄貴たちが持ってきてくれるのは、小洒落たショートケーキや横浜銘菓「ありあけのハーバー」。普段食べられないようなスイーツというのも勿論だが、一人でひとつのケーキを独り占めして食べられるのが当時の俺にはとても嬉しかった。「ありあけのハーバー」は栗の餡とスポンジの相性が抜群で、まるでモンブランを食べているかのような味わい。ガキの俺には、一個食べるだけで十分な食べ応えだった。
 さらに誕生日の時は、ホールのケーキを買って来てもらい、ロウソクを立てて、ハッピーバースデーの歌を唄った後に、一気にフーっと火を消して、ソレを4等分していただくのである。

 

 「美味い、美味すぎる」。


 真っ白な生クリームに包まれたボディ。おめでとうと書いてある食えるプレートと、スポンジ生地の間に見える赤く果汁滴るいちご達。そしてソレを喰らうと、生クリームとスポンジ生地の甘みと深み、そして咀嚼すると口に広がるいちごの果汁が広がり鼻から抜ける…。

 

 「満足だ。超満足である!!」


 コノ瞬間の為に、日頃色々なコトを我慢してるんだ、と人生経験もないクソガキがほざいていた。その頃、ホールケーキを食えるチャンスは、家族と自分の誕生日だけ。だから意地汚く計算すると、年間で食べられるのは4人家族だと4回…いや、クリスマスもあるから年間で5回。当時の我が家では高価なケーキを買ったり、レストランに行ったり、出前をとるコトもほとんどない。だから意地汚ぇ坊主は、いつもソノ時を考え、物思いに耽っていたのだ。当時、俺の親父は国鉄職員で駅沿いの借家に住んでいた。親父やお袋は団塊世代で、当時は、皆が裕福というわけではなく我慢をしていたり、色んな問題に対して運動を起こして世の中を賑わかしていたりという時代で、貧しいながらも一生懸命生きている世の風潮であった。今でさえ駅前の地価は億ションが建つ程の場所であるが、幼い頃はご近所とお裾分けしあったり、近所の親が他人の子供を見てあげるなど、今思い返せば人と人の繋がりが温かく密接な時代だった。

“人生ナンバーワンのスイーツ”との出会い

 「でも…もっと美味いスイーツ食べてみたいなぁ~」なんて思いを募らせながら小学生まで育った俺は、ある日、“人生ナンバーワンのスイーツ”に出会うのである。ある日、悪ガキの嗜みである買い食いをしていた俺。行きは集団登校で、下校は1人であったから、たまたま何かの衝動に駆られたんだよな。「何か甘いものを食べたい、いや…食べたい。いや、ダメだ。学校帰りに買い食いをしちゃダメだって言われてるじゃないか…」なんて頭の中で自問自答しながらも、気付けば店の自動ドアが開いていた。迷わず菓子パンコーナーへ行く。

 

 「ナゼお菓子のコーナーじゃないのかって!?」


 育ち盛りの小学生がお菓子で満足いくかってんだ!! 腹持ちが良くて、甘くて満足するのは菓子パンだ!! たった1人で楽しむなら満足いく菓子パンでいいじゃない。コノ頃は、今のような消費税がない時代だから、豪華な菓子パンが100円で買えて、金のない小学生にはもってこいだった。今も忘れない、コノ時の菓子パンが、こし餡のあんぱんの中にホイップクリームが入っている、当時にすれば斬新なスイーツパンだった。俺はそれまでオーソドックスなあんぱんしか食べたことがなかった。あんこ×ホイップクリーム、いわばこれが俺にとって初めての「和洋折衷」の体験! 小学生にして、高尚な味を覚えてしまうのである。しかも安くて美味いときた、俺はまた別の日も何度も買いに行った。
 

 そしてソイツとコノ数十年後に再会するのだが…。

青春時代の相棒

柔道漬けの毎日を送っていた高校時代

 

 そんな初めての買い食いから、またいつも通り変わらずに過ごしていた。青春時代をともに過ごしたのは「ガリガリ君」。俺は中学生になり柔道を始めた。柔道部は、市内107校の中で3位のトップ常連校。個人戦も3位が数回。高校でも柔道を続けていた。帰り道には夏だろうが、真冬であろうが「ガリガリ君」を食らっていた。なんせ50円だからありがてぇんだわ。当時はコーラ味、サイダー味、グレープフルーツ味を日替わりで楽しんでいた。厳しい練習の栄養補給で食わねぇと、10km程の帰り道を自転車で帰れねぇからさ。俺にとっての青春の味だね。てな感じで厳しい練習や、恋もしながら高校生活は過ぎていった。

様々な逆境から救ってくれたのもスイーツ


デビューに向けて厳しい日々を過ごしていた入門時代(写真提供:新日本プロレス)

 

 高校卒業後の俺は大学進学を目指したが浪人が決定。勉強のやり方が分からねぇから、仲間に支えられてその後無事合格した。就職活動の時期を迎えたとき、夢を持った。それは、新日本プロレスのプロレスラーになるということ。決めたからには、一浪して人よりも一年遅れた人生ではあるけれど、さらに自身の高みを目指そうと。スクワット1000回とその他諸々をこなして新日本プロレスに入門が叶った。デビューするまでは、毎日ボロ雑巾のようにメタメタにされ、挫けそうになる日々だった。そんな人生のつらい時期、逆境から救ってくれたのもまたスイーツであった。それは先輩レスラーが分けてくれる“ファンからの差し入れスイーツ”。先輩方が試合会場でファンの方々から差し入れを貰ってくる。「食いきれないから、お前たち食え」と道場に置いていく。ソノ時の感動たるや…。今まで食ったコトのない全国津々浦々の銘菓たちがココぞとばかりに現れるのだ!


 練習生時代は先輩方の洗濯、掃除や雑用全て、外出禁止でちゃんこ当番をこなすストレスフルな毎日。イライラで爆発しそうになるのである。そんなとき、この“差し入れスイーツ”たちが、ストレス、やるせなさ、不甲斐なさ…全ての逆境から救ってくれたんだ。新日本プロレスが逆境に陥った時、コノ俺様がのしあがりG1クライマックスというリーグ戦を制した時、IWGPヘビー級のベルトを獲った時。いい時も悪い時も、俺の傍にはスイーツがいた。こうして若手の頃に全国の美味いスイーツの味を覚えた俺は、今でも当時の気持ちに思いを馳せながら、巡業のときは各地の銘菓を買いあさっているというわけだ!

“人生ナンバーワンのスイーツ”と偶然の再会


NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』では、盗賊団の一員である「力也」を演じた。

 

 そんなある日、大河ドラマの撮影中に食堂でご飯を食べた帰りにふと自動販売機を見ると…思わず二度見しちまった。小学生の時に近所の店で買い食いした、あのホイップクリームのあんぱんが鎮座していたんだ。俺は慌ててコインを入れて購入して食った。…ヤッパリ美味かった。再会するまではその存在も思い出もすっかり忘れていた。でも口に入れた瞬間、走馬灯のように当時の思い出がよみがえってきた。「そうそう、コレが食べたかったんだよ!」と。アレから何年も経ち、スイーツの仕事も何年もさせてもらって、普通じゃ食えないセレブリティなスイーツもいくつも食って来たが、コイツに勝るスイーツはないように思えた。まるで恋焦がれた初恋の相手に再会したような気分だった。

 

 「そんな思い出深いモノを超えられるスイーツがあるかって?」ソレをこれからも探し歩いていくんだよ。

 

 ガキの頃、食いたくても食えなかったスイーツは、「スイーツ真壁」と呼ばれるようになった今でも変わらず憧れの存在。結局、コノ俺にとってのスイーツは、プライベートにも仕事にも欠かせない存在でありパートナーなのだ!



思い出のスイーツであり、人生に欠かせない存在である「つぶあん&ホイップパン」