普段は営業マンとして活動しながら、自身の拠点である愛知県の定食屋を中心に、定食屋愛を綴っている「定食屋.com」の運営者・晋之介。本人曰く「定食屋は空腹を満たすだけの場所ではない」というメニューだけではない定食屋の魅力を、自身のエピソードを交えながら紹介していく。大衆店にも、穴場のお店にも定食屋には、それぞれ素敵な物語が存在しているのだ。

「出所後初めての食事」

小学5年生の頃だったと思う。
夕飯を終え、家族でブラウン管テレビを囲んでいた。
上映して間もない映画がテレビ放送されるらしく、両親は夜9時になるのを楽しみにしている様子だった。
子供向けではないであろう映画の冒頭、当時少年だった僕は、ひとつのシーンに釘付けになる。
刑務所から出所したばかりのおじさんが食堂に入り、何だか申し訳なさそうに「ビールください」と言った。
女性店員さんにビールを注いでもらうと、おじさんは小さなグラスを両手で持ち、勢いよく流し込む。
ゴクリッと喉がなる。
当に、五臓六腑に染み渡るという表情。
次に壁に貼られた短冊メニューを一通り見て「しょうゆラーメンとカツ丼」を頼むおじさん。
(そんなに食べるの?)と子供心に思った。
グラスのビールを飲み干した後、今度はカツ丼を遮二無二かき込んだ。
僕は夕食を終えたばかりだったが、無性にカツ丼を食べたい衝動に駆られたのを覚えている。
後に、この映画は名作「幸福の黄色いハンカチ」で、カツ丼のおじさんは高倉 健さんだと知った。
健さんはこのシーンの為に何日も絶食したという。
長い刑期を終え出所後最初の食事…。
凄みさえ感じたそのシーンは少年の心にも強烈に刺さった。
だからという訳ではないが、何十年経った今でも、定食屋さんに入るとカツ丼と瓶ビールは、僕の中でマストなメニューなのだ。

「いつもの定食屋」

社会人になり早朝から夜中までガムシャラに働いた。
薄給で一人暮らしの若い男には栄養が必要だ。
食事はもっぱら近所にある街の小さな定食屋さんだった。
眼光鋭く職人気質、強面の親父さんとマザーテレサのように優しいお母さん。
親父さんは、古い(歴史のある)食堂に似つかないキレイな折り目のついた白衣とコック帽を被る誇り高き料理人だ。
「ちゃんと食ってるか?」といつも気にかけてくれた。
中華そばからオムライス、毎日行っても飽きさせない日替わりのメニューも最高だった。

栄養いっぱいの種類豊富なお惣菜

ダンプで乗り付け、大きな丼飯をかき込み、食べたらサッと出て行く土木関係のお兄さん。
会社帰り、お惣菜をつまみに瓶ビールを手酌するサラリーマン。
常連さんは、お母さんが作る栄養いっぱいのお惣菜が目当てだ。

定食屋で“定番の丼飯”といえば、かつ丼はまず外せない

夜の営業時間帯、親父さんは、一人でキッチンと“お運びさん”を兼務する。
お客さんが少なくなると「男は黙ってサッポロビール」と言って、サッポロ赤星の大瓶と冷えたグラスを二つ持って、親父さんは、僕の席にやって来る。
キリン・アサヒ・サントリー・サッポロ、全ブランド置いてある食堂もあるが、親父さんのお店はサッポロ一択だ。
「ビール通はサッポロを選ぶ」という。
親父さんが、店前で泥酔客を追い返しているところを見かけたことがある。
「酒はキレイに呑め!」
体の真ん中に一本芯が通っている親父さんらしい。
「親父さんは若い頃かなりヤンチャだった」と常連さんに聞いたことがある。
しかし、ご本人はその頃のことを武勇伝のように語りたがらない。
そういうところも好きなところだ。
ところで、随分大人になってから、あの映画を見返したのだが、高倉 健さんのあのシーンもサッポロ赤星だった。

子供から大人まで幅広い世代に愛されているオレンジ色の炒飯

「オレンジ色の炒飯」

他の地域に引越してからは、毎日のように通ったその食堂へ行く機会も随分減ったが、それでも、家族を連れてお邪魔したことが何度かあった。
これも親父さんとお母さんの思いやりなのだが、幼児にも食べやすいようにと、細かく刻まれたにんじんがたくさん入ったオレンジ色の炒飯を出してくれた。子供もその炒飯がお気に入りで、口を尖らせ「ふーっ」「ふーっ」と美味しそうに頬張る姿に、あの強面だった親父さんもマザーテレサのようなお母さんも目を細め、嬉しそうに見つめていた。
(二人とも歳とったなぁ…)と思い、涙が溢れそうになった。

「定食屋は空腹を満たすだけの場所ではない」

数年後、お店のシャッターに休業の張り紙がしてあったのを見かけ心配して電話をしてみるが繋がらない。しばらくして、そこにあった筈の「いつもの定食屋」は更地になってしまった。
僕は膝から崩れ落ちた。
「いつでも行ける」「いつでも会える」はない。
会いたい時には先延ばしにせず、直ぐに会いに行くべきだった…。と今でも後悔している。

食堂の店主と客…。年齢も親子ほど離れていたのに何故か気が合って、僕が仕事でミスをした時、失恋をした時、言葉に出さなくても何かを察し、そっと肩を叩いてくれる家族のような存在だった。そんな温かい人柄のお二人だからファンが多く、昼の部と夜の部、毎日二回来店する熱狂的なファンの方も居た程だ。
「長いこと店やってると色んなお客さんが来るけど、定休日の夜に裏口から入って来て夕飯と風呂まで入って行く客はお前くらいだ」と、親父さんに爆笑されたこと、昨日のことのように思い出される。忙しく働き「一日の終わりに温かいご飯とお惣菜とサッポロ赤星」という日々だったと思う。過ぎてしまえば一瞬だった青年期に親父さんとお母さんに出会えたことは、人生の宝物だ。
僕にとってあの定食屋は、ただただ食事をして、ただただ空腹を満たすだけの場所ではなかったんだ。

「定食屋フリークス」

外回りを生業とする者にとって昼食は大事なイベントだ!…と思う。
地元の老舗食堂は勿論大切な存在だが、出張先で教えて貰った常連さんしか知らない路地裏の名店…。そんなお店にふらっと入るのも定食屋フリークスの楽しみの一つだ。

僕が思う“通”な定食屋

・昭和テイスト
・古くてもピカピカに掃除され、壁も柱も黒光りしている
・手書きの短冊メニュー
・手づくり惣菜が多数
・置いてあるビールはサッポロ赤星
・惣菜をつまみに呑むのもOK
・一台のテレビをみんなで観る(チャンネル権は店主にある)
・基本、他のお客さんに干渉しない

新鮮な海鮮をお得に味わえるのは市場内食堂ならでは

全国各地にある鮮魚や青果を扱う卸売市場。
この市場の中にも食堂があり、一般人も入店できるお店もある。
早朝(というか深夜)に開店、お昼過ぎには閉店する業態の市場内食堂。
主に市場関係者のため、麺類からガッツリ系まで何でも揃っている。
何より、鮮魚は直ぐに手に入ることから、豪快な刺身定食や海鮮丼が安価で提供して貰える。朝方行くと、ランチ時のように並ばなくて良いし、何といっても新鮮で安価。
「市場内食堂」は、お得感満載だ。

ずらっと並ぶ黄色い短冊メニュー

大学の近くには「大盛り系食堂(学割可)」が多い。
親元を離れ、初めて一人暮らしをする学生さんにとっても、親御さんにとっても食事面は一番心配されるところだろう。
大学の近くには、学生さんの栄養を考えたメニューや体育会系の学生のためドカ盛りメニューを学割で提供されるお店もある。
たくさん惣菜が並び、好きなおかずを選び、「定食」をカスタマイズしていくのも楽しい。

食べ応え十分の野菜ゴロゴロカレー

また、この食堂は野菜がゴロゴロ入ったカレーが有名で、こちらは学生じゃなくても食べることができる至極の一品だ。

年季の入ったメニュー表も、定食屋の魅力の一つである

全国には沢山の魅力的な「定食屋」がある。

島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の「一ぜんめし」という章では「揚羽屋(あげはや)」という食堂での出来事が描かれている。

 

“揚羽屋に寄って、大鍋のかけてある炉端に腰掛けて、煙の目にしみるような盛んな焚火にあたっていると、私はよく人々が土足のままでそこに集いながら好物のうでだしうどんに温熱を取るのを見かける。「お豆腐のたきたては奈何(いかが)でごわす」などと言って、内儀さんが大丼に熱い豆腐の露を盛って出す。亭主も手拭を腰にぶらさげて出て来て、子供の子息が子ども相撲に弓を取った自慢話なぞを始める。”

「千曲川のスケッチ」は、100年以上も前の明治時代、藤村が英語教師として長野県小諸市に赴任した時のことを描かれた作品だが「大衆食堂」という形態は既に人々の生活に定着していて、そこで繰り広げられる人々のやり取りが面白い。
そして、驚くことに、この「揚羽屋」さん、明治18年から6人もの経営者がお店を引き継ぎ(2021年改修)、令和の現在も小諸市で営業されている。
しかし、「揚羽屋」さんのような例は稀有なケースで、全国にある所謂「街の大衆食堂」は、物価の高騰、後継者不足などの問題に加え、ウィルス騒動が拍車をかけ廃業するお店も多い。コロナ禍には「何十年もの営業に幕」という場面にも多く立ち会った。

昭和、平成、令和と時代は流れ、あの頃の僕がお世話になっていた親代わりをしてくれるような個人経営の「街の定食屋さん」も随分減ったように思う。
それでも「常連さんが来てくれるから」などの理由から、儲け度外視でお店を開けているお年を召した食堂経営者の方も少なからず存じ上げる。
「旨い安い早い」で売っている食堂経営者の中には値上げを躊躇っている経営者の方もみえる。こんな時代だから多少の値上げも致し方ない。常連さんも文句を言わないのでは?

長時間の立ち仕事、定休日も仕込みに出かける。
経営者だって生身の人間だから、病気や怪我もする。
体がしんどい日も「急に休むと信用をなくす」などと言って満身創痍でお店を開けられる。
そんな日は「無理せずシャッターを閉め張り紙をして休んで下さい。」と言いたくなる。
どうか、ご無理なさらず末永くお店を続けていただきたい…。
そう願ってやまない。