絵本を中心に、子どもから大人まで楽しめるなかなか出逢えない本をセレクトし、販売している「よもぎBOOKS」の店主・辰巳末由。絵本に魅了され、自身でお店を構えるようになった彼女が、「絵本=子どものための本」という風潮に風穴を開けるべく、さまざまな視点で絵本の魅力を語り尽くす。年齢・性別問わず、あなたにぴったりの絵本が見つかるかも。

 

お店では本の販売だけではなく、原画展やイベントも開催されている

「絵本=子どもが読むもの」という風潮をどうにかしたい

「ああ、なんだ、ここは絵本の店か」
そう言って踏み入れた足の踵をすぐに返してしまうお客さん。

「もうそろそろ絵本じゃなくて、字の本を読みなさい」
そう言って子どもに別の本棚を促すお父さん。

ときどきそんなお客さんたちの声が聞こえてくる。小さな売り場面積だし、帳場は入り口付近にあるのでどうしても耳に入ってしまう。帳場でそれらの言葉を耳にして、ほんの少し寂しい気持ちになる。ちょっと悔しくもある。悔しいというより「待って、ちょっと話を聞いて」と思う。でも実際に声をかけることはない。

そうした残響が耳の奥でこだまして、「絵本って子どもが読むものでしょ?」という風潮にどうしたら風穴が開くのか毎日考えている。

 

個性的なキャラクターが登場する『バーバパパ』(講談社)

東京の三鷹という街で絵本を中心にした小さな本屋をやっているが、実は私自身、子どもの頃に絵本にあまり親しんでいなかった。子どもの頃に読んだ絵本の記憶といえば、保育園で帰りの遅い母親を待つ間に職員室で繰り返し読んだピンクのひょうたんみたいな体型のキャラクターがインパクトの『バーバパパ』(講談社)シリーズと、本当にねずみ目線で見たのかと思うくらい森や生き物の姿がリアルで美しい『14ひき』(童心社)シリーズの絵本。それから祖母の家にあった、怖いのに繰り返し読みたくなる謎の絵本『ねないこだれだ』(福音館書店)。小児科の病院にあった『ノンタン』(偕成社)シリーズ。ピアノ教室に置かれていた『ぼくのパン わたしのパン』(福音館書店)。そのくらいしか覚えがない。

家には絵本はほぼなくて、本棚には海外のミステリー小説や麻雀ハウツー本、ブラックホールに関する本など、大人が読むものばかり。それらの本から挿絵をさらって見て、その本がどんな内容の本なのかを想像するのが楽しみだった。保育園では絵本や紙芝居の読み聞かせの時間もあったけれど、私は不良園児だったので、当時のことは先生に怒られていた記憶しかない。

さて、なぜそんな人間が絵本を中心にした本屋を始めたのか。
もともと堅い人文書ばかり読んでいた私が「絵本ってすごいなあ。かっこいいなあ。」と思ったのは大型書店に在籍していた20代後半頃のこと。

原爆が落とされたイギリスの老夫婦を描いた『風が吹くとき』。子どもの頃、この映像作品を見て大きな衝撃を受けたが当時は視聴する方法が見つからなかった。きっと二度と見ることができないと思っていた映像作品の原作絵本(あすなろ書房)を池袋リブロの店先で見つけたときは、20年越しにもう一度会えた喜びでひとり爆発しそうなほど嬉しかったのを今でも覚えている。(※『風が吹くとき』の映像作品は2023年にBlu-rayで復刻されている)

その後、美術作品に惹かれるような感覚で絵本にのめりこみ、次第に本屋で出会った絵本を買い集めてはほくほくする日々を送るようになった。数年後、子どもが生まれたことで初めて赤ちゃん向けの絵本も手に取るようになり、『きんぎょがにげた』『おつきさまこんばんは』(ともに福音館書店)など赤ちゃん向けの本にもいい本があるんだなあ、ということを知る。

20代半ばから「いつか本屋をやりたい」と思っていたのだが、子育てでまだまだ手間暇がかかる5歳児と3歳児を抱えていた頃、偶然にも自宅からも近い今の店の空き物件が出ていて、知り合いがすんなりと大家さんを紹介してくれた。そして恐ろしいくらい順調にスピーディーに開店の話が進んでいく。「本当に店をやれるのか?」という一抹の不安も抱えながら「今ここで本屋をやらなかったら、一生(なにかと言い訳をして)やらない気がする」という強い直感のもと、絵本業界のことを十分に知っているわけではなかったが、絵本を中心としたラインナップで本屋を始めることにしたのである。

 

リズミカルな文章と心躍るイラストの『ぼくのぱん わたしのぱん』(福音館書店)

絵本と哲学は深くつながっている

お店を始めたころは、絵本のことも、経営のことも、本当にど素人だったと思う。今でも素人だし、月の売上に一喜一憂する悪い癖も抜けないけれども、あの頃より少しは落ち着いて先を見渡せるようになったかと思う。

勢いでお店をオープンしたこともあって当時はまだ「絵本を売る」たるや海の物とも山の物ともつかぬ状況だった。開店当初は絵本に詳しいお客さんがなぜか多く(店主の知識量を測ってたのかもしれない)、私のほうがお客さんの絵本愛に圧倒されてしまうこともままあった。絵本を売るなけなしの自負なんてすぐに風に飛ばされてどこかに飛んでいった。

でも当時から「絵本=子どものための本」という意識に違和感を持っていたのは確かで、自分の店を絵本専門店にしなかったのも、絵本を「こどもの本」と標榜しなかったのも理由はここにある。違和感は次第に確固たる思いになり、現在お店の半分は絵本ではない本でいっぱいになっている。

テーブルの上に置かれたりんごを巡る壮大な想像を描いた『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)など絵本と哲学は深くつながっているし、あらゆる存在にとって大切なことをシンプルに示してくれる『たいせつなこと』(フレーベル館)は詩集そのものだ。

もちろん言葉に頼らず絵で語る芸術性の高い絵本作品を手に取ると、ページをめくるたびに世界が遠くまで広がっていく感覚になる。それは人間にとって原初的な動物的感覚に近いのだろうと思う。絵本は身近な美術書でもあるのだ。

子どもでも大人でもこういった素晴らしい絵本を前にしたときは本を持つ手も心も震え、本当に圧倒的な気持ちになるはずだと信じている。

 

独特なはり絵と惹きつけられるストーリーの『ねないこだれだ』(福音館書店)

その方向性が多岐にわたる絵本たちの居場所が「子どもの本コーナー」にのみ鎮座しているのは、どうしても落ち着かない。叶うならばさまざまなジャンルの棚に、当然のように絵本が刺さっていてほしい。(すでに刺さっているお店もあると思うが。)そして「絵本=大人も子供も分け隔てなく自分のための本」になることを願っている。

私は毎日絵本を触りながら、今日もすごくいい本あるじゃん!って思う。そして小さな声だけど、SNSやWEBSHOP上で「この本、本当にいいよ!」って心の底から叫んでいる(ように書いている)。気づかれないことも多々あるけれども、それでも「この本、いいよ!」の叫びだけは本屋をやっていてもやっていなくても、たぶんずっとやめられない。

絵本は子どものためだけにあるわけじゃない。私の携わるこのお店の絵本は大人の人にこそ手にとってほしい作品も充実させている。さきほど紹介した絵本のほかにも『最初の質問』(講談社)は忙しく働く世代に贈りたい。「今日、あなたは空を見上げましたか。空は遠かったですか、近かったですか。」から始まるこの絵本は、多忙な現代人が忘れてしまいがちなもっとも大切なことを思い出させてくれる。

また、どんな街にもどんな状況でも必ず朝が来ることを強く教えてくれている『あさになったのでまどをあけますよ』(偕成社)は2012年の東日本大震災の年に出版された絵本。困難な状況にあっても自分の置かれた場所を肯定し、「だから わたしは ここがすき」を繰り返すことでいつしか自分の心の内側にも朝がやってくるような気持ちになる。がんばれ!って応援したい人に贈りたい絵本だ。

世界中のまばゆい朝を題材にした『あさになったのでまどをあけますよ』(偕成社)
 

さて、あなたが最後に絵本を手にとったのはいつでしたか。
そしてそれはどんな絵本でしたか。
どんなところに惹かれて、どんなところに目が止まりましたか。
その感じ方はできるだけ自由に。

あなたのための絵本は必ずあります。
年齢・性別問わず、絵本があらゆる人々の傍にありますように。