東北地方で発祥した500年以上の歴史を持つ日本の伝統刺繍「刺し子(さしこ)」。
伝統技法が伝承者に受け継がれ続けている工芸品や土産品としてだけではなく、ハンドメイド界隈でも6年以上ブームが続き、夢中で模様を刺す人々も増えています。
また、2023年にはユニクロが古着をリペアする「SASHIKOサービス」を、ロンドンを皮切りに日本でもスタートしています。
丁寧な針仕事とはいえ、比較的シンプルで地味な手仕事である刺し子が、なぜここまで愛され注目されているのかを掘り下げて考察します。
日本の伝統刺繍「刺し子」とは

刺し子が日本に生まれたのは16世紀初頭。まずは刺し子への理解を深めるため、歴史と発展、意図や成り立ちなどの概略をご紹介します。
刺し子ってどんなもの?歴史や成り立ちは?
刺し子は、布地に刺し縫いする刺繍のような針仕事のこと。東北地方を中心に、秋冬の厳しい寒さを凌ぐため、衣服の補強や保温のために重ねた布をずれないように縫いあわせる目的で上から刺し縫いしたのが始まりです。
刺し子の原点を遡ると、飛鳥時代にも記録が残る「刺衲(さしつづり)」に系譜を得た「綴り刺し(つづりざし)」という糸の刺し方があります。この刺し方の技法が綿の普及と共に発展し、刺し子につながったようです。
そして、日本で初めて綿花栽培が成功したのは15世紀末。三河国で綿作と織りも発展し、その後徐々に近畿地方などに綿の布が広がっていきました。加工のしやすさや暖かさに特徴がある綿の布は、江戸時代中期には日本中に広く急速に普及し、藍染めとも相性が良かったこともあり、庶民の人々の生活に定着しました。
東北地方にも綿の布の魅力は広まったのですが、寒い気候ゆえに綿の栽培に適さず、綿製品が特に貴重品として扱われました。そのため、価値ある綿製品を大切に使う目的で、上から糸を通して布を重ねることで丈夫にし、長持ちさせるように刺し子の技法が発達したようです。東北地方で発展し、現代にも受け継がれる代表的な刺し子は、青森県津軽の「こぎん刺し」、青森県南部の「菱刺し」、山形県の「庄内刺し子」で、「日本三大刺し子」と呼ばれています。
しかし、東北地方のように丈夫にし、長持ちさせるためばかりではなく、地域によっては、装飾や魔除けの用途として刺し子を発展させた集落もあったようです。刺し子を施した布で作った服は、冷たい海水から身を守り、布の間に空気の層が作られるので浮き袋の代わりになるため、漁民の作業着として使われていた地域もあります。また、江戸ではびっしりと「縦刺し」が施された火消しの刺子半纏(さしこばんてん)や頭巾も流行しました。
刺し子は各地域で独自に育まれたので、地域で少しずつ刺し子の模様や手法に違いがあります。誰かが刺している図柄を横で見て覚えたり、町で見かけた刺し子の図柄を思い出しながら家で刺したりするなかで少しずつ模様が変化していったこともあります。
刺し子が施されたものは、晴れ着のほか、仕事着や野良着、手ぬぐいや雑巾、ふきん、風呂敷などの古作が日本各地に残されています。共通するのは、自分や家族など身内のために施されるもので、刺し子の工芸品などが売り物としては流通することはあまりなく、各家庭でぼろぼろになるまで使われるのが普通だったようです。
また、子女たちの行儀見習いや針仕事の手習い、精神修養として奨励されていた時代もあったとか。特に、布巾に刺し子をほどこした「花ふきん」は嫁入り道具の一つとして継承されていました。真っ白な晒しの一面に鮮やかな模様を刺した花ふきんは、吸水性も高いため実用性もある用の美を備えた台所用品として、または茶道具などの上にかける飾りふきんや包みものなどとして現代でも愛されています。
刺し子に惹かれたきっかけは…
筆者が刺し子を知り、初心者向けのキットを購入したのは2017年秋のことです。Instagramで刺し子の花ふきんの作品を見かけて気になり、手芸店で実物を見てから手作りキットを購入しました。
真っ白な晒しの生地に刺し子の模様が、洗うと消えるインクできれいにプリントされていて、針や糸、刺し方ガイドも付いているキットです。毛羽立ちが少なく、ふっくらと刺し上がるという触れ込みのカラフルな色の移り変わりの変化が楽しめる刺し子糸も別途選んで買いました。
そして、刺し子の刺し方や概要がわかる本も何冊か買い、インターネットで刺し方の例やコツも調べ、ファンの多さに驚きました。その後、「この刺し方で合っているかな?裏側の縫い目はどうしたらいいの?」などと迷いつつ、ちくちくと針を進めていくドキドキ感と、拙いながら1枚仕上げた時の達成感は忘れられません。
その後、何枚も縫い上げたわけではないのですが、コロナ禍にまたちょっと気になって1枚刺しかけている花ふきんがあります。そして、6年前と比べても、まだこんなに流行っているのか…とちょっと驚いています。
「刺し子」ブーム!世界各地で人気の理由

さて、刺し子は昔ながらの実用品として、伝統工芸品として、過去に何度か注目されていますが、そうはいっても比較的地味な見た目な内容の手仕事なわりに廃れずに続いているのはどうしてでしょうか?ここ数年の手芸界隈におけるブームぶりや世界各地でどう注目され、人気なのか、昨今の刺し子の流行りぶりを紹介します。
刺し子の本も復刻し、ブームが加速
刺し子は前述したように江戸時代に発展しました。しかし、明治時代には文明開化で交易が行きかい、生活レベルの向上や技術の進歩で、量産品が生産・流通するようになったので、刺し子は忘れ去られつつありました。
その後、しばしの休息期間を経て、大正後期から昭和初期にかけては柳宗悦達が始めた民藝運動で再び着目・見直されることに。日本各地で手仕事、民藝品の調査・収集や展覧会が数多く行われ、そこで刺し子の良さに共感した人びとが、古作の収集、研究、創作に尽力し、再び日の目を見ることとなりました。
昭和から平成にかけても、多くの活動家の方々が刺し子の伝統民芸としての歴史を残そうと奮闘されてきた経緯があります。
そして昨今、年々手芸を嗜む人口は減少傾向ではありますが、通販での手芸用品の売り上げは伸びていて、しかもテレビやインターネットの影響もあって、若い方の需要が少しずつ増えてきているそうです。特にSNSでの広がりが急伸しているとのこと。その一環として、家で楽しむ趣味の刺し子ブームがあります。
刺し子の図柄や刺し方を解説する本が、入門書から専門書まで次々と出版されています。書店の手芸コーナーに足を運べば、刺し子の本がずらりと並ぶ姿が見られるでしょう。名著として密かな人気を博した刺し子本の復刻も多く続いています。
また、初心者でも簡単に取り組める刺し子のキットは、手芸専門店だけではなく、DAISO(ダイソー)やSeria(セリア)など百円ショップにも充実していて、裾野の広さが窺えます。
ちなみに、小学校の家庭科の授業にも運針を学ぶためにもぴったりなことから、6年生は刺し子で作るコースターキットなども教材として取り入れられています。
日本のSASHIKOはサステナブルで世界でも注目
刺し子の伝統的な柄が、2017年にサッカー日本代表がW杯ロシア大会で着用するユニホームのデザインにも使われたことで当時話題になりました。歴史を紡ぐ糸をイメージした「刺し子柄」が採用された理由は、すぐに捨てずに長期間ものを大切に使い、無駄をなくす精神の美しさが評価されたからだそうです。
ちなみに、剣道の道着は、藍染に刺し子を施した生地が定番です。サッカーのユニホームに施されたのは日本の伝統色の藍色に白い針目だったので、剣道の道着に近しいイメージのものかもしれませんね。
昨今は世界規模で、サステナブルであることが重視され、リサイクルやアップサイクルの動きがSDGsの運動などと共に加速しています。そんな中、日本文化である「もったいない」精神が注目され、その文脈でも刺し子の特徴や良さが注目されているようです。
ものを大事につかい、寿命を伸ばす目的であること、また刺し子のシンプルな針目の美しさやパターンも評価されていて、世界各地で刺し子のワークショップなどが開かれることもあります。
この度、ユニクロは2023年4月からロンドンのリージェントストリート店でSASHIKOのリペアサービスを始めました。穴が空いたりほつれができたりしたユニクロのジーンズやデニムジャケットなどに刺し子を施して美しく蘇らせてくれるサービスで、日本でも1,000円から対象店舗でSASHIKOサービスが受けられます。
刺し子沼の魅力とはなんなのか

刺し子が、日本の伝統文化として注目され、デザインの流行や趣味分野でのブームが一過性のものに終わっていない理由を、他のブームとの差異や共通点、また受け入れられてきた時代背景などを踏まえて紹介します。
比較的地味な刺繍である刺し子を嗜む魅力とはいったいどんなものなのでしょうか。分析、解説します。
シンプルだが糸や縫い方など奥が深いのでハマる
刺し子は布と糸、針さえあれば始められ、特別な技術やステップアップも不要。手縫いでちくちくと運針して並縫いで仕上げていくだけで完成するので、年齢を問わず幅広い年代の人に受け入れてもらいやすい趣味です。刺せば刺すほど早く縫え、上達もしますが、そこまで難易度が高いものではありません。
場所も選ばずシンプルな作業で、どこでも誰でも気軽にでき、役に立つものが作れて無駄がないという良さもあります。
もともとは藍染の木綿布に白い木綿糸で刺すのが主流でしたが、昨今は刺し子に使う専用糸の種類も豊富でカラフル。伝統柄以外に、北欧風のモダンな新パターンも人気です。アイデア次第で好きなように発展できるのもハマりやすい一因なのではないでしょうか。
また、コロナ禍のものづくりやおうち時間がステイホームでの楽しみという人も増えたことなどが、趣味としての刺し子ブームの後押しをしたのは間違いありません。
とにかく無心に!没頭感覚に救いがある
真っ白な布や藍色の布に、幾何学模様を黙々と刺していくのは、日常のモヤモヤを忘れられるひとときです。
運針により、マインドフルネスのような、いわゆる「ゾーンに入る」ような、感覚が得られます。ひたすら無心になってひと針、ひと針と縫い進め、夢中になったあとに気がつくと綺麗な模様が現れている……。
ちなみに、東京の名門女子校である豊島岡女子学園では、毎朝5分間運針をする名物習慣があります。1mの白布に赤糸で刺すその時間は「5分間の禅」とも表現され、集中力を高めて心を鍛錬するのが目的だそうです。針の動かし方や縫い目で、その日の精神状態が現れるとか。
運針のような単純な繰り返し作業は人の心を穏やかに整える作用があります。ちくちくと針を進める動きは、人間の本能に基づくものなのかもしれません。普遍的な価値があるからこそ、夢中になってしまうものである気がします。
健康や厄除けなどの祈りにも似た願いを込められる
刺し子に使われる伝統的な絵柄は、一つ一つに意味と願いが込められているものが多いです。
茎がまっすぐに伸びる様子から、麻のように丈夫に育つようにと子どもの健やかな成長を願い、魔除けの意味を持つ「麻の葉」模様。古くから赤ちゃんの産着に用いられた柄ですが、刺し子ではとても人気のある定番パターンです。
輪が交差し、連鎖する平和や円満の意味を持つ「七宝つなぎ」の模様は、人と人とをつなぐ縁や和の大切さや、豊かさも表していて屏風の裏紙にも用いられてきました。
破魔矢に由来する「矢羽根柄」は魔を払う意味があり、幸せを求めて飛んでいくという意味もあるとか。
このような伝統柄を刺すことで、健康や長寿、厄除けなど、うちなる願いを針目に込める効果も良いのかもしれません。
昔から、厄災や飢饉、極寒などの困難があるなか、ひたすら布に刺繍する行為には、「焦る」「逸る」「荒ぶる」というようなネガティブな心を鎮静化する効果があったのではないかと推測します。
刺す人の心象風景が出る世界
安い使い捨てのキッチンペーパーでも事足りるのに、丁寧にひと針ひと針刺した模様のある手作りのふきんを使う丁寧な暮らし。いくらでも安い工業製品が買えるのに、破れた服をきれいに繕って使い続けるようなサステナブルな暮らし。
忙しい現代社会では、とくに合理的ではないかもしれませんが、伝統柄を刺すことで心の平和を得られるのは、なかなか貴重で精神性の高い行為です。刺し子は、刺す人の心象風景を映し出すとともに、お守りや祈りが込められたものとして人々を惹きつけているのではないでしょうか。
2023.10.12