趣味、それは人生の縦軸企画となる「好き」との出会い

幼い頃から私の生活の中にはいつも手芸があった。手芸教室の先生だった祖母と一緒に暮らし、毎年少しずつ使う毛糸の量が増えてゆくセーターと共に成長したおかげで、いつしかそれは私にとっても最高の趣味となっていた。

中でも特に刺繍が好きで、大人になった今でも変わらず、いや、むしろ一層熱量を増して惜しみなく時間を注ぎ込む日々を送っている。祖母の隣に椅子を並べて一緒に針を進めたあの日々に貰った幸せは数知れず、それはやがて揺るぎない私の支えとなった。祖母亡き今でも手芸は自分にとって趣味を超え、もはや「人生の縦軸企画」と言っても過言ではないほどの大切な存在である。

もちろんただ糸を縫い進めるのも悪くないが、実は現在の私の刺繍時間の楽しみ方はそれだけに留まらない。プラスあるものと一緒に楽しむことで、より一層深い沼へどこまでも落ちて行けるのだ。

その過ごし方というのは、『ラジオを聴きながら』である。音で楽しむ媒体×細かい手先の作業は非常に相性が良く、さらに集中するほど不思議な錯覚に深く落ちてゆける。今回はそんな刺繍を愛する私が密かに楽しんでいる最高の時間の過ごし方について、少し語らせていただこう。

始まりはなんとなくの思いつきから

あぁ、確かにラジオならテレビと違って作業中の手元から目を離す必要がないし、刺繍との組み合わせも良さそうだよね、と思ったそこのあなた。いえいえ、実はそれだけじゃないんです。

けれども普通、何か音でも流そうか、と思った時に大抵最初に選ばれるのは音楽の場合がほとんど。それも今の時代なら様々な媒体や配信サービスで手軽に幅広いジャンルの曲を楽しめるし、もし雨の日なら屋根をつたう雨音を楽しんだっていい(?)。なのになぜ令和の今、私がそこまでラジオにこだわるのか。

その答えは、「集中して刺繍を進めながらラジオを聞いた時にしか味わえない、奇妙で幸せな感覚にハマってしまったから。」・・・刺繍とラジオで奇妙な幸せ?え、なに急にこわっ。という声が聞こえてきそうなので、ちょっと説明しよう。確かに私も最初は普通に音楽を聴いていた。ラジカセで聞き飽きたCDを流したり、音楽系配信サービスに入会してからは好きなジャンルのプレイリストを作成したり、おすすめされた流行りの曲特集を楽しむ時もあった。しかし、それだけでは単純作業が続くパーツ部分だったりすると、つい余計な考え事をしてしまい上手く集中できなかった。今度は一旦音楽を止めて無音状態にしてみたが、深夜という時間も相まって秒針の音が響くばかりで余計に集中できない。静まり返った部屋にふと寂しさを感じ、誰かの声が聞きたくなって知人に電話でもかけようかと思ったが、大した理由もない0時過ぎの電話など非常識にも程がある。でも刺繍は進めたい。さて、どうしようかな、でもこんな時間に喋ってくれる誰かなんて、、いた。

そこではっと思いついたのがラジオだった。

心を満たす奇妙な錯覚の正体

もちろん流れてくるのは電波の向こうの声なので会話というわけにはいかないが、別にそれで構わない。今私が求めているのは、他愛もないお喋りをしながらそばで寄り添ってくれる誰かの声だ。

元々、暮らしの中でぼちぼちラジオには親しんできた方だが、深夜枠のラジオをリアルタイムで耳にするのはこれが初めてのことだった。「なんとなくこっちの方が雰囲気が出る気がするから」という理由で久しぶりにラジカセのアンテナを伸ばし、周波数のつまみを回してざらついた音の隙間に誰かの声を探す。こんな真夜中に部屋にひとりきりでいながら、こんなにもワクワクすることができるんだ。何気なく見上げた視線の先、時計の針はちょうど一時。この世界の夜はたった今始まるところだった。

ラジカセのアンテナを折れない程度に窓に向かって斜めに伸ばし、雑音混じりのオープニング曲の中にパーソナリティーの声を見つけたところで、先ほど投げ出しかけた刺繍糸を手に再び机に向かう。完成まであともう少し。くだらないオープニングトークにクスクス笑いながら針を進め、あっという間に番組開始から1時間ほど経過したある時、ふと奇妙な感覚に包まれていることに気が付いた。・・・近い。さっきよりもパーソナリティーの声が、お喋りが、相方の少し雑なツッコミや力の抜けた笑い声が、すごく近くに感じられる。なんだろう、この感じはまるで、気心の知れた友達二人が部屋に遊びに来ていて、刺繍を進める私のすぐ横でくつろぎながら喋っているみたいだ。そうして時々うなずいたり、フフッと笑い声をこぼしながら過ごす他愛もない時間の中で、不思議と心の深い部分まで満たされてゆく。手元の作業に集中するほどに没入感が生まれ、ラジオの向こう側との境界線が曖昧になり、電波の向こうから聴こえてくるはずの雑談がまるで今この部屋の中で生まれているような、パーソナリティー2人の会話を直接聞いているような錯覚に包まれてゆく。

気付けば番組はエンディングの時間を迎え、私はようやく完成した作品を眺めながら、達成感とどこか懐かしくて暖かい気持ちで満たされていた。心地よい眠気に身を任せそのままベッドに倒れ込むように眠りに落ちると、記憶はないけれど何だかとても幸せな夢をみた気がする。こうして私はこれまで祖母と2人、ある時からは1人で楽しんでいた刺繍という道の途中で、ラジオという最高の相方を見つけた。

独自に発見!浸りやすいラジオの条件

ではここで、「刺繍×ラジオ」という観点から私が独自に選んだおすすめラジオ番組を少し紹介したい。

まず、例の奇妙な錯覚と没入感を得やすい番組の条件として、次の三つが挙げられる。

 

ひとつ、フリートークの時間が長いこと。

番組内の企画や大喜利系のコーナーも個人的には大好きだが、「友達が遊びに来て喋っている感」という意味では、枠がしっかり練られて固められた番組よりも勢いのまま好き勝手に喋ってくれる時間が長い番組の方が浸りやすい。

 

ふたつ、番組パーソナリティーが2人以上いること

相方の相槌やツッコミがあった方が、より仲間と駄弁っている感を得られる。(ただし例外も)

 

みっつ、放送時間が30分以上であること

10分や15分程度の短い番組だと、彼らが部屋にたどり着くまでに間に合わない場合がある
 

これらを踏まえてオススメしたいラジオ番組ベスト3

〈第3位〉
TOKYO FMより「リリーフランキー スナックラジオ」毎週土曜午後4時~

この番組最大の魅力はまずなんといっても、タイトルの期待を軽く超えてくる圧倒的スナック感。リリーフランキーとスナック。こんなのどう考えても良いに決まってる。リリーさんの纏う雰囲気をそのまま煮詰めて電波に流し込んだかのような放送を聞くうちに、重厚な扉を開けると広がるバーカウンター、絶妙な色味と明るさのランプのもと繰り広げられる大人たちの社交場という幻覚まで得られるレベル。刺繍時間に一層のくつろぎと少しの刺激を与えてくれる素敵な番組。

 

〈第2位〉
ニッポン放送より「オードリーのオールナイトニッポン」毎週土曜26時~(日曜深夜1時~)

とにかく2人の会話が面白い。中高一貫の男子校で出会ったコンビというだけあって、仲のいい友達同士が放課後に集まって延々としょうもない会話をして笑い合っている感じがたまらない。番組の終わり際には友達を見送るように、「じゃ、またな!」と言いながらラジオを切りたくなるほど。

 

〈第1位〉
TBSラジオより「おぎやはぎのメガネびいき」毎週木曜26時~(金曜深夜1時~)

ラジオ界ぶっちぎり、圧巻の家っぽさ。あれ、2人って今どこにいるの?どっちかの家のこたつ?と思わず確認したくなるようなゆるさ。マジで家。「で、最近どうよ」とか言いながら途中からお菓子食べ出したりしちゃう。もはやこれ以上の説明は不要。

 

 

以上が、刺繍をしながら聞くとあの不思議な感覚に浸れる番組ランキングである。

その他番外編「二つ目の条件で挙げたパーソナリティーが2人以上には当てはまらないけれど浸れる例外な番組」として、1人喋りだけど番組スタッフとの距離の近さも感じられる「星野源のオールナイトニッポン」、笑い屋、という喋らずただひたすら笑い続けるだけの謎の存在がいる「問わず語りの神田伯山」、シンプルにトークが面白すぎる「伊集院光 深夜の馬鹿力」などもおすすめ。

味方は案外そばにいる、ただの糸と電波でさえも

達成度が目に見え、自分の手で形あるものを作り出す充実感を得られる刺繍。趣味としてのイメージはちょっと地味かもしれないが、私にとってはこの上ない熱を注ぎ続けられる最高の宝物なのだ。

ふいに孤独を感じる瞬間は、誰の人生にもあるだろう。ただ、お喋りな誰かと何でもない時間を共有して、くだらない会話に耳を傾け笑う。たったそれだけのことが、どれほど心を満たしてくれるか。

様々なコンテンツに溢れ、ラジオ離れが広がる現代。そもそも、娯楽の選択肢としてのラジオを知らない若者の方が多いのかもしれないが、それでも私は伝えたい。スイッチひとつで寄り添いながら「今」を紡ぎ続けてくれるラジオからしか得られない新しさや、誰かと時間を共有することでしか満たされない心の深い部分が確かにあることを。もし今度、うまく眠りにつけぬまま天井を眺め、ため息をついて過ごすような夜があったなら、どうかこの記事のことを思い出してみてほしい。

何が起こるかわからない人生。私にもこれまで色々なことがあったし、多分この先もどうしようもない出来事がいくつも待ち受けているのだろう。けれど、その時にも刺繍とラジオは変わらずそばに居てくれるはず。そう考えると、まだ見ぬ未来でも何だか大丈夫な気がしてきた。

ふと時計を見上げれば時刻はもうすぐ深夜一時。この原稿を書き終えた今、私はこの夜をどう過ごすだろうか。答えはきっと、あなたの想像通りだろう。