最近、短歌がZ世代中心にアツいようです。20歳前後の子達が短歌をたしなむ様子が注目されており、Twitter(現X)などで人気の現代短歌はポエムよりもエモく、洗練されていて、読むとゾクゾクするような感動があります。
感情が圧縮された見事な言語化と広がる情景に圧倒されるのです。
今回熱く語りたいのは、この令和時代にバズる短歌の勢いの良さと、平安時代の短歌が受け継がれている良さは、意外と共通点があるのではないかということです。
空前の短歌ブーム到来!Z世代に人気の現代短歌とは
全国各地の書店では、歌集が地味に売り上げを伸ばしているそうです。短歌フェアや詩歌フェアも開催され、特設コーナーを開設すると若い人が手に取って買っていくらしいのです。
まずは短歌の魅力を掘り下げて紹介します。
短歌の魅力とは?
そもそも短歌とはなんでしょうか。
短歌は日本文化を代表する定型詩で、和歌の一つ。五七五七七の三十一音を基準としていて、俳句のように季語を入れる制約はありません。初句・二句・三句・四句・結句の5つの句で構成され、作者の感情や情緒を表現する短い抒情詩のようなものです。
短歌の起源は諸説ありますが、日本最古の和歌集『万葉集』から、奈良時代には既に短歌は詠まれていたようです。
多くの新聞の文芸欄では、読者から短歌を募集するコーナーがあり、『NHK短歌』(NHK出版)、『歌壇』(本阿弥書店)、『短歌』(KADOKAWA)『短歌研究』(短歌研究社)など月刊の短歌の専門雑誌も何冊もあります。
俳句を嗜む人口のほうが短歌人口の3倍はいるといわれるほどで、圧倒的に多いのですが、短歌は短歌の魅力があります。特に、現代短歌は、自由な文体が魅力で、比較的親しみやすいものです。
現代短歌には、百人一首のように四季の美しさが主な題材になっているものもありますが、現代ならではの風習や事象、思わずくすりと笑ってしまう自虐等の内面の感情が掘り下げられている作品のほうが目立ちます。
現代短歌は、今まで気づかなかった視点や、意識していなかった観点が言語化されていて、共感や同調、心の揺らぎを味わえるのが大きな魅力です。
SNSを中心に短歌がブーム
では最近はどんなタイトルの本が売れているのでしょうか。タイトルだけでもなかなかのパンチ力があるヒット作を何冊かご紹介します。
『老人ホームで死ぬほどモテたい』(上坂あゆ美/書肆侃侃房)
『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』(枡野浩一/左右社)
『野球短歌 さっきまでセ界が全滅したことを私はぜんぜん知らなかった』(池松 舞/ナナロク社)
書店で見たら手に取りたくなるし、ネットで見かけたら即ポチしてしまうパワーのあるタイトルではないでしょうか。少なくとも筆者は感動してすぐ買いました……!
特にこの「ナナロク社」は2008年に創業した新興出版社で若手の歌集を相次いで刊行し、賞も創設して盛り上げているそうです。また、60年以上の歴史を誇り、歌壇で最も権威のある新人賞「角川短歌賞」の2022年の応募は、過去20年で最多だったそうで、いずれも昨今の短歌ブームを裏付けている事象です。
歌集が売れる理由は、詠み手の裾野と機会が広がり、優れた才能の詩人の誕生が相次いでいるからです。同人誌、学生短歌、文学フリマ……。特にTwitter(現:X)では 「#tanka」「#jtanka」「#短歌」などのタグをつけて短歌を投稿する人が目立ちます。
短歌を愛する人々を応援する「NHK短歌」では、写真と短歌をセットでつぶやく「#短歌写真部」の活動を2022年4月から開始。Instagramでも写真と一緒に詠む「#短歌フォト」なども流行っていて、写真付きという現代ならではの短歌の楽しみ方も広がりつつあるのでしょう。
Twitter(現:X)短歌がベストセラーになる
Twitter(現:X)で発信された短歌がバズったことがきっかけで、令和を代表する歌人も誕生しています。
会社員の傍ら、8年前からSNSで短歌を発信し続けていた岡本真帆さんが「まほぴ」名義で発信するTwitter(現:X)短歌、「ほんとうに あたしでいいの? ずぼらだし 傘もこんなに たくさんあるし」は5万いいねで大きな共感を呼んで当時話題に。
その後、2022年3月に出版した歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)はわずか3ヶ月で1万部に到達し、現在累計1万7,000部のベストセラーで長くランキングトップを走っています。これは短歌の世界では異例のヒットとのこと。ファンは学生も多く、10代から30代の読者からのアンケートハガキも多く届いているそうです。
シンプルで親しみやすく、わかりやすい言葉遣いながら、日常のささやかだけど切実な悩みごと、せつない感情が凝縮された表現、かつ視覚的な表現に多くの人が「わかる!」「それ!」と感じて惹かれて引き込まれたのではないでしょうか。
なぜ今の時代に短歌なのか
さて、ではなぜ今の令和時代に短歌を詠み、発表し、それに共感する人が増えているのでしょう。
ストレスの多い現代社会。自分の気持ちをそのまま伝えると場の雰囲気が悪くなるかも?言ったら面倒なことになるかも?などの不安で素直に感情を表現することが難しいシーンが増えているのも理由の一つかもしれません。
世相が荒れ、どこか不穏で疑心暗鬼になり、閉ざされた世界のなかで、自分の内面に心が向いていく人が多い傾向にあります。短歌はメールやLINEとは違い、特定の誰かに向けたメッセージではないけれど、モヤモヤや悩みなど心の動きを表現しているのが特徴です。誰も傷つけずに抽象的な言葉で気持ちを表したい、そしてそっと「いいね」で共感したいと思う人も増えているのかもしれませんね。
また、短歌を詠むのに道具はいらず、大きな額の初期投資も不要です。怒りや悲しみ、喜びを表現するのに、場所も選ばず、ひたすらに詠んで言葉を開かせていく。そんななかで才能があちこちで花開いていった可能性も伺えます。
百人一首が令和でも人気な理由
短歌ブームの裏には古典文学に対する関心の高まりもあります。
鎌倉時代初期の歌人、藤原定家によって編まれた「小倉百人一首」。1235年に成立したのですが、なかには平安時代の末期に詠まれたものもあります。約千年という月日が経ったにもかかわらず、令和の今に生きる私たちをいまだに惹きつけるものはなんなのでしょうか。
カルタとしても人気の百人一首
学生時代に学校で百人一首を覚えたり、お正月にかるたで遊んだりした記憶がある方も多いでしょう。誰しも、あの好きな札だけは取りたい!なんてお気に入りの一首があったもの。
なかでも、在原業平が詠んだ「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」などが人気の一首として知られています。この歌は「不思議なことが多かったという、神がおさめていた時代にもこのようなことは聞いたことがない。竜田川に舞い落ちた紅葉が浮いて、鮮やかな紅色の絞り染めになっているなんて」という内容で、色彩感があふれ、華麗な印象と耽美的な 世界観で今も人気があります。
近頃では、競技かるたを題材にした漫画や映画も多く、漫画で注目を集めた『ちはやふる』はこの一首を元にしたタイトルですね。漫画『うた恋い。』のブームもあり、百人一首は若い世代にも人気があるのが見て取れます。
ちなみに10歳の頃の私のお気に入りの歌は、紀友則の「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」。「こんなにも日の光がやわらかに降り注いでいる春の日なのに、なぜ桜の花は落ち着いた心もなく散ってしまうのだろう」というような意味の歌です。
言葉の響きの明るさが心地よく、まさに春の空気感をあらわしているようで、何度も口ずさんで口のなかで味わうように親しんでいたのを覚えています。もちろんかるた大会でも真っ先に手を伸ばしていましたが、そういうのって身体に染み込むように記憶されるのですよね。
何年も経った今も、散りゆく桜の季節になるとこの歌が浮かび、情景と言葉が溶け合うような感覚を覚えます。年齢を重ねるごとに、この歌が表現するせつなさとはかなさ、心がどこか落ち着かない慌ただしさを理解できるような気もしています。
千年前の感情に共感できる
短歌は、5・7・5・7・7の短い言葉のなかに、人間の持つ普遍的な感情である喜びや悲しみが込められており、時代を超越する人間の心の有り様を感じられるところが大きな魅力です。
例えば百人一首には恋の歌が43ありますが、忍ぶ恋から情熱的な苦悩までさまざまな感情が描かれています。人生経験を重ねると、若いときにはわからなかった解釈や発見に気付けるもの。百人一首はさすが、そういった、噛めば噛むほど味がわかる深さのある歌ばかりが選ばれています。
恋の歌で特に人気なのは藤原義孝の「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」ですが、「あなたに会うまでは、失っても惜しくはないと思っていた私の命も、あなたにお会いできた今は、長くあってほしいと思うようになりました」という意味です。
自分が抱く不可解で愛おしい感情は千年前の人と変わらないのか、と考えると、感動がさらに濃く、深いものに感じる気がします。
短歌とSNSで見る「平安時代と令和の共通点」
これまでお伝えしてきた現代短歌の人気、そして百人一首から見た短歌の人気を振り返りながら、さらに現代のSNSを通じて感じる、平安時代と令和の共通点を分析してお伝えします。
31文字に本質を凝縮して表現し、共感の価値を高める
短歌もTwitter(現:X)などのSNSも、短文で表現するためにすべてを説明せず、物事の本質だけを抜き出すので、想像の余地を残せます。そこが多くの人の共感を呼びやすいのではないでしょうか。
具体的に描写されすぎていないからこそ、自分の頭の中で美しい景色を想像できる余地もあります。
百人一首も長い年月を経ても色褪せず、時代を超えて愛される理由は、やはり人間の普遍的な感情の本質をついているので、現代の人々も共感しやすいからなのではないでしょうか。
また、平安時代には和歌などを通じて美意識を追求する文化が栄えていましたが、今日令和のZ世代も自己表現やクリエイティブな活動を通じて美意識を追求する傾向が見られます。
この美意識の深い追求も大きな共通点と思われます。
ひらがな、カタカナ、漢字の3種類の文字で構成され、主語を入れなくても良いために解釈が広く取れる日本語。ただし、言葉は生き物。時代によって正しい日本語、今の世相を反映した表現は微妙に異なります。この表現を洗練させ、時代の共通項を反映させる試みはどちらの時代にも通じる追求なのではないでしょうか。
誰も傷つけない表現が洗練されていく
「この表現は適切か」とよく練って考えられ、誰も傷つけないように表現されたものが共感を呼び、結局は世のなかに残るのも創造物の面白いところです。
過激な思想、そのものズバリの表現をストレートにぶつけるのではなく、むしろ匂わせる程度にする表現で自分の気持ちを表現する方が、結局は人間関係の維持に良いのではないでしょうか。
京都仕草のような、千年前から日本人が好む、遠回しな表現。会話では周りくどいように感じられることもありますが、短歌となると洗練さが際立つようにも見受けられます。
例えば、対象の人物像がいても、具体的に描写されていないことで、他者への思いやりまでも読み取れることもあります。余白に優しさや気遣いが滲み出るような表現は、いつの時代も人の心を打ちます。
令和の傑作短歌の誕生も楽しみ
千年の歴史の重みを持つ短歌がSNSを中心にZ世代も含めて再度ブームになっている昨今。今後も、言葉の持つ可能性と面白みを堪能できるブームの更なる盛り上がりが本当に楽しみです。
令和の傑作と新人の歌人たちが日々生まれ、輝く現象を目にするのもとてもワクワクします。
現代短歌を届けてくれる若い歌人達はとてつもない才能の塊ばかりで、その言葉の巧みさやパワーには魅入られます。ぜひ紹介した詩集に目を通してみて欲しいですね。