最近、サステナブルやエシカルという言葉をよく耳にするようになった。
メディアでの特集や、商品のラベル。色んな場面で出会ううちに、今では多くの人にとって「なんとなく意味を知っている」言葉だ。
とはいえ、生活に取り入れるとなるとハードルを感じている人も少なくないようだ。
「意識高いね」なんて言葉がそれを物語っている。
今でこそサステナブルな生活を心がけているわたしも、数年前までは地球環境のことなんて真面目に考えたこともなかった。
ファストファッションに身をまとい、使い捨てカップでコーヒーを飲み、唐揚げを頬張っていた。
そんなわたしのライフスタイルが変化したのは、モノが持つ背景やストーリーに思いを馳せながら生活することの豊かさを知ったから。
きっかけは「食」だった。カナダで短期留学をしていた高校生の頃、偏った食生活が原因で体調を崩した。
その後、食生活を健康的に改善しようとネットで調べていくうちに、フードロスや農畜産業が環境に負荷をかけていることを学んだ。
これまで「おいしい」という基準でしか選んでいなかった食べ物の社会・環境への影響を考えるようになると、その興味はだんだん生活全体に拡がっていった。
当たり前のように食べているお肉は、生産のために環境が破壊されたり、動物福祉が軽んじられたりしているかもしれない。
何気なく捨てたプラスチックは、遠い海にいる生き物を苦しめるかもしれない。
セールで買った服は、製造時にたくさんの水やエネルギーが費やされたり、労働搾取が行われたりしているかもしれない。
こうしてモノの背景を考えるようになってからは、衝動買いをすることがなくなった。
でも、これは決して「我慢する」というネガティブな感覚ではない。
利便性や価格だけでモノを選んでいた時よりも、「つくり手に思いを馳せる」という豊かな時間ができたから。
どんな人が、どんな想いで作ったのかを知ると、買い物は「自分の欲を満たすための消費行動」ではなく「共感するつくり手の応援」になった。
持ち物をだれかに褒められれば、思わずモノのストーリーを共有してしまう。そうすれば、彼らと一緒に考えるきっかけにもなる。
食べ物も同じだ。仲良しの農家さんの野菜を食べる時には、「今年の〇〇さんのズッキーニもやっぱりおいしいな」とか「手間ひまかけて育ててくれたから大切に頂こう」なんてことが自然と頭に浮かび、舌だけでなく心でも味わえる。
サステナブルだとうたわれている商品を疑いなく消費し続けるのではなく、人や自然とのつながりを感じながら自分の暮らしをデザインしていくことに「サステナブルな生活」の本質があるんだと思う。
言葉に流されず、自分なりの「サステナビリティ」を体現できれば、それが豊かな未来につながっていく。
Text by 松丸 里歩
Photo by meme
Model by chihiro
プロフィール
松丸 里歩(まつまる りほ)
ひとと共に循環をデザインするコミュニティコーディネーター。株式会社Allesgood(エシカル就活)、ファーマーズマーケット株式会社、吉祥寺ハニカムプロジェクトなどのパラレルキャリアで、社会課題解決を軸にした企画立案やプロジェクトマネジメントを行う。ポッドキャスト「COMポスト資本主義」パーソナリティ。530week、Tokyo Urban Farmingメンバー。